42.援軍要請
安舎の居室に誘われた鶴姫は、勧められるままに腰を下ろした。
(何であろうか。兄上のご様子が、いつもと違うような)
鶴姫は、安舎の身体から立ち上る緊張を感じ取っていた。
(やはり、状況はかなり厳しいのか)
「お鶴」
安舎は鶴姫に相対すると、静かな口調で語り始めた。
「我が三島水軍は、大内勢によりて窮地に立たされている。昨日は安成殿が深手を負い、兵も多く失った。これは紛れもない事実じゃ」
「兄上。我が三島水軍には神がついております。大内勢などに断じて負けるはずが――」
鶴姫は屹と眼差しを上げて、兄を睨むように見上げた。
「お鶴。前にも申したが、神は人の都合で動かれるものではないぞ」
安舎は、穏やかに妹を窘めた。
「だが――私は、無心にこそ神は宿ると信ずる。故に、神には遠く及ばぬが、人として出来る限りのことをしようと思う」
「兄上。それは、どのような」
「お鶴。私は先ほど、お前に頼みがあると申した。その話をする」
安舎は、傍らから一通の書状を取り出した。
「私の名代として、この書状を村上通康殿に届けて欲しい。援軍要請じゃ」
「お待ち下さい兄上。通康殿は我らと同心されている筈。何故に今更、このようなことを」
「それが……通康殿は来島に戻られたのじゃ。勝ち筋のなき戦は出来ぬと申されてのう」
「そんな……」
鶴姫は茫然と呟いた。
「通康殿の申しようはご尤もなれど、我らもこの島を守らねばならぬ。故に、もう一度ご参戦頂きたく、こうして書状を書いたというわけじゃ」
「通康殿はご納得されましょうか?」
「お前の口から直接通康殿を説き伏せて貰いたい。神の娘の言であれば、通康殿も心を動かされるやも知れぬ」
鶴姫は、ごくりと唾を飲んだ。
これは、大三島の命運を左右する重大かつ重要な役目。
(我に、通康殿を説き伏せることが出来ようか)
来島水軍を率いる歴戦の将が、勝ち筋がないと見捨てたこの戦。
再び参戦してもらうためには、それ相応のものを提示しなければならない。
(状況は何も変わってはおらぬ。援軍のあてもなく、ここに残るは我らのみ)
(良い材料などなにひとつないが)
鶴姫は、膝の上でぎゅっと拳を握る。
それでも。
やるしかない。
安舎は言った。
無心にこそ神は宿る。
それを信じて出来るだけのことをする、と。
であれば。
(我も無心で、ただひたすらにこのことを成し遂げることだけを考えよう)
鶴姫は、覚悟を決めた。
「兄上。承知致しました。使者の役目、しかと果たして参ります」
鶴姫は床に両手をつくと、真直ぐに安舎を見上げた。
「おお、行ってくれるか」
安舎は心底ほっとしたような顔をした。
「はい。真摯に言葉を重ねれば、通康はご協力下さると信じます」
「うむ。私もそう願っている」
「では、早速支度を――」
「あ、いや。待て」
立ち上がりかけた鶴姫を、安舎は押しとどめた。
「大内勢が島の周りを警戒しておる故、出立は夜半に致せ」
「夜半、でござりますか」
「うむ。こなたが沈黙を貫けば、その頃合いには彼奴等も油断するであろう」
「なるほど。わかりました」
「それで、来島には良い薬師がいると聞く」
「……?」
「書状には、安成殿の療養願いもしたためた。二人で共に行くがよい」
「兄上……」
鶴姫の瞳が微かに潤んだ。
(兄上は、安成様のお身体のことまで考えて下されたか。有難いことじゃ)
鶴姫は、兄の気遣いに心から感謝した。
(だが我は、神の娘)
(来島の軍勢を引き連れ、ここに戻らねばならぬ)
「お心遣い、まことに痛み入ります。ですが我は、来島の軍勢と共に必ずや戻って参ります」
鶴姫は淀みなく兄に向けて宣言した。
「なんと。安成殿を置いてそなたは戻ると申すか」
「はい。私は大祝家の娘。我が大三島の危機を前に、他所に留まることなどどうして出来ましょうや」
鶴姫はきっぱりと言い切った。
(ほんに、我が妹は)
安舎の顔がほろ苦く綻んだ。
(しかし、これこそがお鶴であるな)
「兄上?」
「いや、何でもない。お前の心意気に感じ入ったまでじゃ」
安舎はそんな言葉で誤魔化した。
そして、同じ頃。
鶴丸は一旦自らの住まいに戻っていた。
「親父。傷を負うておるところを済まぬが、頼みがある」
鶴丸は上がるなり、横になっていた治右衛門に声をかけた。
「鶴丸か。どうした」
治右衛門はちらりと鶴丸の顔を見た。
(むっ)
治右衛門は思わず息を呑む。
鼻から下を隠した息子の双眸は、これまで見たことのない凄味を帯びていたからだ。
(これは――心して聞いてやらねばなるまい)
そう悟った治右衛門はゆっくりと起き上がった。
「わかった。聞こう」
「済まぬ、親父」
鶴丸は治右衛門の前に背筋を伸ばして座ると、床の上に両手をついた。
「親父がこれと思う腕利きを集めて欲しい。数は多いに越したことはないが、集められるだけでよい」
「鶴丸。お前は何をするつもりじゃ」
治右衛門の目が、すっと細められた。
「今宵――いや、明日の夜明け前に夜襲をかける」
「なんじゃと……!」
さしもの治右衛門も度肝を抜かれたような顔をした。
「それは、大祝様のご指図か」
「さにあらず。俺が言い出したことじゃ」
「何故じゃ。何故お前が左様なことを」
呻くような治右衛門に、鶴丸はきっぱりと言い切った。
「全ては、お鶴を逃がすためじゃ」




