38.動揺
本陣に乗船していた面々が、三々五々と下船してきた。
皆、あちこち薄汚れたり、衣服が破れたりしている。
鶴姫は、兵達の疲弊を目の当たりにして、思わず息を呑む。
(安成様のご様子から、厳しい戦いになると覚悟しておったが)
(まさかに、本陣に詰めた方々がこのような有様とは)
重傷者が、戸板に乗せられて運ばれてくる。
「!」
見覚えのある甲冑姿に、鶴姫の顔から血の気が引いた。
「安成様!」
叫びかけた声は、寸でのところで立ち消える。
安成に付き添っている足軽の姿を認めたからだ。
その者は、まさに鶴姫と鏡写し。
(つる、まる――?)
立ち尽くす鶴姫の姿を、安舎はさりげなく後ろに隠した。
「お鶴。奥へ」
「――はい」
安舎の指示に、鶴姫は素直に従った。
(安成様――安成様)
鶴姫は、自室でただただ両手を引き絞る。
身体が越智の旗に覆われていなかった故、生きていることには違いない。
だが。
(きっと、かなりの怪我を負われているに違いない)
(我が触れた者は、戦で傷を負わぬと――)
(やはり、さようなことは……)
(我が慢心が、愛しい安成様を危険な目に)
「う……」
鶴姫の目から、大粒の涙が零れ落ちた。
(我は……無力じゃ)
「お鶴」
障子の向こうから、小さく声が掛った。
「!」
鶴姫は飛びつくように障子を開ける。
「鶴丸――鶴丸!」
鶴姫は、兄にその身体をぶつけた。
「我は、我は、何も出来なんだ……」
「泣き言は後じゃ、お鶴」
鶴丸は妹の身体を抱きとめながら、短く戒めた。
「早く、安成様のところへ」
「えっ……」
「敵と斬り結んだ末に、右腕を失われた」
「――!」
鶴姫の叫びは、音にならなかった。
「血止めはしたが、出血が酷くてな。今、薬師殿が診て下さっておる」
「いや、いや、いやじゃ、いやじゃ」
「お鶴、落ち着け」
「安成様……安成様が……っ」
鶴姫は、その場に泣き崩れた。
「お鶴!」
鶴丸は、妹の身体を引きずり上げた。
「泣くのは後じゃ。お前にしか出来ぬことをやれ」
「わ、我は無力じゃ。此度は神託を得られなかったばかりか、安成様をお守りすることさえ――」
「その安成様が、黄泉平坂に迷い込まぬようにせよ!」
鶴丸は強い言葉で妹を諭した。
「よもつ、ひらさか……」
「そうじゃ。安成様は生死の境を彷徨っておられる。お前がこの世に繋ぎとめるのじゃ」
「我が……」
「お鶴。それこそが、許嫁のお前にしか出来ぬことではないのか!お前の安成様への思いはそんなものなのか!」
「……!」
鶴姫は泣き顔のまま、鶴丸を見つめた。
そして、ごしごしと手の甲で涙を拭う。
「そ、そうじゃな。確かに泣いている場合ではないわ」
涙声のまま、気丈に呟いた。
「よし。それでこそお鶴じゃ」
鶴丸は薄く笑うと、手拭いで自らの鼻から下を隠した。
「では俺は、家に戻る。親父と兄者が心配じゃ」
鶴姫は、愛する安成の枕元でその寝顔を見つめていた。
安成は軽く呼吸をしていたが、顔色は死人のように青白かった。
「手は尽くしました。後は安成様の気力次第です」
薬師は静かな口調でそう告げた。
「――左様か」
鶴姫は冷静に頷いた。
もうその顔に、涙が伝うことはなかった。
「安成様」
鶴姫は、愛する男の左手を握った。
「安成様。お鶴はここにいます。ずっとお傍に。ですから」
早く、お戻りあれ。
(……鶴姫様)
安正は、鶴姫の献身に胸を熱くしていた。
(安成。このお方を悲しませてはならぬ)
(気力を振り絞り、必ずや戻って参れ)
(そして、このお方を必ず当家の嫁にお迎えするのじゃ。よいな、安成)
「――もしや、鶴丸か?」
鶴丸は、大山祇神社を出たところで聞き慣れた声に呼び止められた。
「!」
慌てて声をした方を向く。
「やはり、鶴丸か」
そこには、左腕を白い布でぐるぐる巻きにした治右衛門が立っていた。
「親父――よくぞ無事で!」
「お前もな」
父と子はがっしりと抱擁し合った。
「太郎次はどうした?」
「わからぬ。俺は本陣の助けに入った故」
「本陣に鶴姫様が参られたと聞いたが、やはりあれはお前であったか」
「頭巾を裂かれ、顔を隠せなくなって。それで仕方なく」
鶴丸は、顔を隠す手拭いを引きずり上げた。
「なるほど。そういうことであったか」
治右衛門は得心したように頷いた。
「それで親父。陶隆房は?」
「無念じゃ。失敗した」
鶴丸の問いに、治右衛門は忸怩たる表情を浮かべた。
「敵本陣の守りは予想以上に固く、我らは彼奴の顔さえ拝めなんだ」
「えっ、あの精鋭部隊で以てしてもか」
「うむ。ただ手ぶらで帰るのも癪に障る故、本陣の周りの関船は燃やしてやったわ」
「流石は親父。転んでもただでは起きぬな」
「あれだけ大掛かりな作戦を立てたのじゃ。何も出来ずに逃げ帰ったでは申し訳も立たぬ故な」
治右衛門は何でもないことのように言った。
「ただ、生きて戻れた者は半数。儂もこの通り傷を負った。村上殿の船が助けてくれなんだら、儂らは全滅していたやも知れぬ」
「そうであったか……」
「ともかくも、命永らえたのは目出たいことじゃ」
治右衛門は白い歯を見せた。そして、
「さあ、鶴丸。太郎次を探しに参ろうか」
息子に向けて、努めて明るく声をかけたものだ。
さて。
その太郎次は、父親と弟のことなど顧みず、誰よりも早く家族の元へ戻っていた。
やはり、妻と子のことが気になって仕方なかったのだろう。




