37.「鶴姫」参上
「女?」
「女じゃと?」
その場に居合わせた全ての視線が、鶴丸に注がれる。
「――っ」
鶴丸の頭が真っ白になる。
何故。
どうして。
こんなときに。
「つ……」
安成が呻くような声を上げた。
「つる、ひめ……どの?」
その左手が、鶴丸の袖を掴む。
「どうして、かようなところに――」
「……」
鶴丸は、戸惑った。
安成は、自分のことを「鶴姫」だと思っている。
今日の出で立ちは、姫装束のそれではなく。
しがない足軽の粗末な具足だというのに。
「鶴姫殿……ここは……あぶない」
安成は、眼差しに力を込めて、鶴丸を見上げた。
「早く、逃げて……ここは、あなたが居るところでは……」
「!」
鶴丸は思わず目を見張った。
この男も、己と思いは同じ。
安成もまた。
愛する女に戦の現実など知って欲しくないのだ。
(やはり、お鶴にはこの方が必要だ)
(このお方は、必ず助けなくては)
ならば。
今の鶴丸に出来ることは――。
「安成様」
鶴丸は、優しい声音で安成に語り掛けた。
「我は神意により、ここに来たのです。必ず皆を助けよと」
「なんと……三島大明神の、御神託が……」
「然り」
「神よ……なんということを」
安成は、忸怩たる思いで瞳を閉じた。
「安成様。しばしこちらで身体を休めて下さい。後は我が」
「鶴姫どの……なにを」
鶴丸は、安成をそっと寝かせると、すっくと立ちあがった。
そして、手にした小太刀を振り上げ、ありったけの力で呼ばわった。
「神を守りし三島の軍勢よ!我は鶴姫である!」
「鶴姫様っ!」
「鶴姫様が参られた!」
「神の娘が我らを救いに!」
おおおおおおお!
鶴丸の声に、三島の兵達は沸き立ち――。
「鶴姫じゃと?」
「二年前の戦で、様々な怪異を起したという、あの娘か!」
「神憑きという噂ぞ!用心せよ!」
対する大内勢は、戸惑いの声を上げた。
(よし)
鶴丸は、ぐるりと辺りを見回すと、更に声を張り上げた。
「皆の苦境を耳にし、我はここに来た!我がここに来たは、神の御意志ぞ!皆の者!本陣を守れ!三島大明神の旗を守るのじゃ!」
「承知!」
これまで押し込まれていた三島勢は、完全に息を吹き返した。
「鶴姫様っ!」
越智安正が敵を振り切って駆け寄ってきた。
「安正殿!よう踏ん張られました」
「いいえ。敵の侵入を許したのは、我らの不徳の致すところ」
「なんの。あれだけの敵を向こうに回したのです」
「鶴姫様――っ!」
安正は、感激したように目を赤くした。
「して、鶴姫様。そのお姿は……?」
「あっ……。敵に気取られぬよう、此度は足軽の男に身をやつしたのです」
鶴丸は、咄嗟に尤もらしい嘘をついた。
「左様でござりましたか」
安正は、その言葉を信じた。
「安正殿。安成殿が心配です。急ぎ撤退を」
「は……しかし、別動隊からの知らせは未だこれなく」
「なんと……」
鶴丸は色を失くした。
(親父……まさかに)
鶴丸は、小さく首を横に振った。
今の鶴丸は「鶴姫」だ。
三島水軍を統べる旗印。
育ての父への思いよりも。
優先させるべきものが、ある。
鶴丸は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
そして、屹と眼差しを上げる。
「皆の者!本陣より敵を追い出せ!」
鶴丸は、再び大音声で下知を飛ばした。
「各部隊に伝令!本陣は撤退に転じる!退路を確保し、敵を牽制せよ!」
「はっ!」
「左舷の味方には、伏兵があるかのように扇動するよう伝えよ!」
「はっ、直ちに!」
「来島勢にも使者を!」
「承知!」
鶴丸の意を受けた使番達は、さっと散っていく。
「安正殿。ひと暴れ致しましょうぞ」
「はっ」
鶴丸と安正は、不敵な笑みを浮かべ合うと、ぱっと反対方向へと駆け出した。
鶴丸の戦いぶりは、後に伝説として語られることになる。
美しい神の娘が突然本陣に現れ。
三島大明神から預かった神託を告げ。
大薙刀で以て敵を縦横無尽に切り裂き。
圧倒的劣勢から、皆を救った英雄として――。
「本陣じゃ!」
「本陣が戻って来たぞ!」
大山祇神社を守る兵達から声が上がった。
「!」
前回同様、神前にて舞を捧げていた鶴姫の動きが止まった。
「兄上……」
「うむ。皆を出迎えよう」
安舎は緊張した面持ちで頷いた。
「皆、無事でしょうか」
「そうであることを願おう」
不安気な鶴姫の背を、安舎は優しく押した。
「兄上」
「どうした」
「此度、大山積様は何も仰いませんでした」
「左様か」
「……」
「なんじゃ。それが不安だったのか?」
「はい」
「お鶴。お前は何か思い違いをしている」
安舎は穏やかな口調ながら、妹に苦言を呈した。
「そも神とは、人智では計り知れぬ方々。故に、人にとって都合よく動かれるものではない」
「……」
「此度大山積様がご静観なされているのは、我々には思いもよらぬ思慮があってのことであろう」
安舎は、黙ってしまった妹に優しい眼差しを向けた。
「お鶴。お前は確かに神懸る娘じゃ。だが、それを常と思うのは傲慢というものぞ」
「!」
安舎の穏やかな声音は、鶴姫に冷や水を浴びせた。
鶴姫は、口元に手を当てて沈思する。
(確かに、兄の申す通りじゃ。我は、知らぬうちに慢心していたのやも知れぬ)
2年前はただひたすら、皆の勝利だけを願って無心で舞っていたというのに。
今日の己は、どうだったか。
神からの言葉を欲しがり。
期待して。
無心とは程遠い有様ではなかったか。
(まさに、慢心――)
鶴姫は桜色の唇を噛み締めた。
「神は無心に宿ると申す。ゆめそのことを忘れるでない」
安舎の言葉に、鶴姫はただ小さく頷いた。




