36.裂けた頭巾
太郎次と鶴丸は、敵の小早舟と交戦中だった。
ひとつやり過ごせば、また別の舟が目の前に現れる。
「くっ!こやつら、どれだけ沸いたら気が済むんじゃ!」
太郎次は苛立ちの声を上げる。
「兄者!後ろ!」
「ちっ!小賢しい!」
太郎次は予備の櫂で、敵兵の横っ面を思い切りぶっ叩いた。
「うわあ!」
もんどりうって海に落ちる敵兵。
「もう、いい加減に致せ!」
「兄者落ち着け。文句を言ったところで敵は減らぬ」
「鶴丸、何でお前はいつもそう冷静なのじゃ」
「兄者が先に熱くなるからじゃ」
実のところ。
鶴丸の方も決して冷静なわけではなかった。
本陣を取り巻く状況は極めて悪い。
味方の舟は減る一方なのに比べて、敵の舟は減るどころか増える一方だ。
(本陣は?安成様は?)
鶴丸は兄よろしく予備の櫂で敵と交戦しながら、何とか本陣を目視しようと頭を巡らす。
「鶴丸!よそ見するな!」
太郎次の鋭い声が飛んだ。
(ちっ)
鶴丸は頭巾の中で顔を歪める。
本陣の様子が気になるが、確認する余裕すらないのが実にもどかしい。
その直後。
わああああ……。
尋常ならざる声が、他ならぬ本陣の方角から降ってきた。
「!」
鶴丸は、間一髪のところで敵兵の槍を躱し、本陣を仰ぎ見る。
「まずい!」
思わず声を上げる。
鶴丸が目撃したもの。
それは、本陣に大内の旗を背負った兵が、次々と取りつき、制圧にかかっている様だった。
「兄者!本陣が!」
「なに?」
鶴丸に促され、太郎次も本陣の方に視線を送る。
「!」
その顔から、血の気が引く。
「兄者!本陣をやられたら、全てが終わりぞ!」
「わかっておる!だが、こやつらっ」
「……っ」
鶴丸は、敵と交戦しながら、本陣との距離を測る。
自らの舟と本陣の間には、敵味方の小早舟がひしめき合っている。
(あれをうまく使えば――いけるか!)
「兄者」
「何じゃ!」
「すまぬが、後を頼む」
「えっ」
「俺は、安成様を助けに行く!」
「バカな……やめろ、鶴丸!無理じゃ!」
「無理でも、やらねばならぬ!」
その声を残して、鶴丸は船の縁を勢いつけて蹴とばした。
「鶴丸!」
「済まぬ。邪魔をする!」
鶴丸は、身軽に舟から舟へと飛び移り続けた。
「うわ」
「何じゃあれは」
思わぬところから降ってきて、船を踏み台にして去っていく鶴丸の姿に、敵も味方も啞然と見送るのみだ。
(安成様。どうか、ご無事で)
鶴丸は心から安成の無事を願った。
安成は、鶴姫の大切な許婚者。
鶴姫が心から愛する男。
何しろ、鶴丸が崩れ落ちるほどに散々のろけられた、その相手だ。
(安成様に何かあったら、お鶴はどうなる)
(俺は、お鶴が泣く顔など見たくない)
絶対に。
そのようなことは、させぬ。
「わあああああ!」
鶴丸は咆哮しながら、本陣に取りついた敵兵に飛び掛かった。
「わあっ!」
背後からいきなり踏まれた兵は狼狽する。
鶴丸はそれに構わず、あろうことか敵を踏み台にして、どんどん上へ上へと上がっていく。
「何じゃこの小童は!」
「海に叩き落とせ!」
敵が喚く中、鶴丸はひらりと本陣の甲板に降り立った。
本陣は、敵味方入り混じっての泥試合の様相を見せていた。
刀を交える者。
抱き合うように甲板の上を転がり合う者。
槍を突き出し、それを躱す者。
かろうじて三島大明神の旗は守られているが、他の旗印は酷い有様だ。
「安成様!安成様はいずこに!」
鶴丸は安成の姿を探した。
「せやっ!」
横から突き出された槍をかいくぐり、素早くその懐に入り込む。
どん、と肩から突き上げると、相手はいとも簡単に転がった。
鶴丸はそれに構わず、安成の姿を探す。
「安成様っ!陣代様っ!」
「おのれ!小僧!」
転がされた敵は跳ね起きると、憤怒の表情で再び槍を繰り出してきた。
(くっ……しつこい!)
鶴丸は内心舌打ちすると、今度は小太刀で以て相手の腿を薄く斬りつけた。
「うわっ」
敵がひるんだのを横目に見ながら、鶴丸は再び走り出す。
「ぐあああああ!」
凄まじくも魂切るような叫び声。
鶴丸はそちらに視線を移す。
見ると、安成が敵の雑兵に圧し掛かられ、今にも制圧されそうになっているではないか。
「やあああ!」
鶴丸は咆哮すると、勢いつけて敵の雑兵に体当たりを食らわせた。
「ぐあ!」
不意打ちを食らって転がる雑兵。
「邪魔をするなあ若造!」
雑兵は喚き散らすと、鶴丸に刃を向けてきた。
「くたばれ!」
振り下ろされた刀を、鶴丸は身体を沈めて避けた。
空いた腹に向けて、思い切りぶちかましをくらわす。
「ぐえっ!」
奇妙な声を上げてうずくまる雑兵。
「南無三」
鶴丸は、背後からその首に小太刀を突き立てた。
雑兵は、直ぐに動かなくなった。
「す、済まぬ。助かった……」
解放された安成、荒い息の下で律儀に礼の言葉を述べてきた。
「何を仰います、安成様――」
言いさした鶴丸は、ぎくりとした。
安成の右腕――。
肘から先がない。
「安成様……その腕は……」
「今、そなたが仕留めた男に……やられた……」
「なんと!」
「すまぬ、血止めを頼みたい」
「心得ました」
鶴丸は、自らの袖を引きちぎると、安成の腕をぎゅっと縛り上げた。
「ううっ」
縛り上げられた痛みに、安成の端正な顔が歪む。
「ご辛抱を!」
鶴丸は、敵兵の動きに目を配りながら、安成の腕を抑え続けた。
(血よ、止まってくれ)
(神よ。三島大明神よ――これなるは神の娘の大切な思い人)
(どうか、命だけは――)
安成の顔から血の気が引いていく。
腕を切り落とされた衝撃と、出血がひどい故だ。
「安成殿!お気を確かに!」
「……」
安成は、うつろな瞳を鶴丸に向けた。
「!」
その目が、驚愕に見開かれる。
その刹那。
鶴丸の背中に、強烈な悪意がぶわっと襲い掛かった。
「危ない!」
安成は鋭く警告を発した。
「くっ!」
鶴丸は咄嗟に、安成を抱きしめた。
そのまま、身体を巧みに回転させて、半歩ほど横に移動する。
間一髪。
背後から突き出された槍は、鶴丸と安成を行きすぎた。
――筈だった。
頭巾の端が、槍の穂先に引っ掛かる。
「おのれ、しくじったか!」
敵が槍を跳ね上げたとき、頭巾がびりびりと音を立てて左右に引き裂かれた。
「!」
鶴丸の顔が、日の下に曝け出される。
鶴姫と鏡写しの、美しいその顔が――。
(――まずい!)
鶴丸は明らかに動揺した。
慌てて顔を隠そうと、小太刀を顔の前に掲げる。
「お?」
鶴丸の様子がおかしいことに気付いた敵兵は、鶴丸の顔をまじまじと見た。
「ほほう、これは」
その武骨な顔に、下卑た笑みが浮かぶ。
そして、揶揄うような声を上げた。
「おい、女じゃ!女がここにおるぞ!」




