34.安成出陣
翌日。
(――遅い)
陶隆房は、じりじりしながら大三島側からの返答を待っていた。
(こちらは最大限譲歩したのだ。受入れよ)
隆房は、目の前の島影を睨みつけた。
(意地を張ったところで、お前たちに勝ち目はないのだ。無駄な戦をするでない)
隆房の言う通り。
彼が大三島側に出した条件は、破格の内容とも言えた。
過去あれだけ抵抗し続けた勢力であるにも関わらず、誰の命も求めず、誰の責任も問わない内容だ。
ここに、隆房の意図が見て取れる。
武断派にして剛の者と呼び声高いこの男も、無駄な戦はしたくないのだ。
それに。
この条件は、隆房が主君・大内義隆を説得して、何とか承諾してもらったものだ。
「三島水軍の武装解除。現当主・安舎殿の隠居。前の当主・安用殿を人質に出させる、か――隆房。散々我らに歯向かった相手ぞ。もっと強気に出ても良いのではないか」
「いいえ。強硬策では相手方が意固地になります。窮鼠猫を噛むという言葉も御座ります」
「確かに、人は追い詰められると思わぬことをしでかすものではあるな」
「御意」
「わかった。但し、人質は鶴姫殿に致せ」
義隆のこの要求に、隆房の目が大きくなった。
「えっ、鶴姫殿でござりますか?」
「うむ。若い女子の方が後々使えるしの。儂の養女として良き縁を結ばせるも一興」
義隆は、すまし顔で嘯いた。
「御屋形様、それはあまりに……」
「戯言じゃ。気に致すな」
隆房の困惑に、義隆は意地悪い笑みで以て応えた。
「ともかくも、大内館では丁重に扱う故、何も心配するなと伝えておけ」
「は……」
隆房の頭の上で、義隆が立ち上がる音がした。
「殿。間もなく、約束の刻限です」
「そうか……」
隆房は、奥歯をぎりっと噛み締めた。
(彼奴等は、滅びを選びたるか)
(かくなる上は、致し方なし)
隆房は床几から立ち上がると、大音声で下知を飛ばした。
「皆に告ぐ!かねてより申し合わせの通り、巳の刻(午前10時頃)を以て攻撃を開始する!準備致せ!」
「ははっ!」
そして、巳の刻。
大内の軍船から、海に向けてひょおおおおっ、と鏑矢が放たれた。
続いて勇壮な攻め太鼓と、法螺貝の音。
「かかれ!」
隆房の大音声と共に、大内勢は一斉に前進した。
向かうは、神の島・大三島。
「一気に押し込め!島を占拠せよ!」
「はっ!」
隆房はどっかりと腰を下ろすと、味方の軍船が追い越していく様を眺めていた。
本陣は後方に下がり、味方が敵を蹂躙する様をただ見届けるのみだ。
(さて。あやつら、一刻も持てば良い方か)
その唇がふいに歪む。
(全く、弱い者いじめをしているようで、胸糞悪いわ)
一方。
三島・来島連合軍は、出陣の準備を着々と進めていた。
「よいか。機会は一瞬。逃せば全滅。心してかかれ!」
「はっ!」
陣代・安成の下知の元、諸将はそれぞれの持ち場へと散っていく。
昨日の軍議で、安成が立てた作戦。
それは、本陣を囮にして敵を引きつけ、その隙に精鋭部隊が敵の本陣のみを襲うというものだ。
まさに、捨て身。
安成が口にした通り、勝機は一瞬だ。
(準備は整えた。後は、やるだけだ)
そこへ。
「安成様」
安成を、愛しい女が呼び止めた。
「鶴姫殿!」
振り向こうとした安成の背に、鶴姫は無言で額を押し付けた。
(……)
安成は動けない。
「安成様。ご武運を」
ややあって、鶴姫の右手が安成の右手に触れた。
「我が触れた者は、戦で傷を負わないと言われています。どうか、ご無事で」
ふわり。
良い香りを残して、鶴姫の温もりが消えた。
「……」
安成は唇を噛み締め――。
そして、涼し気な双眸に力を籠め、毅然と前を向く。
この戦、負けるわけにはいかぬ。
絶対に。
そして。
治右衛門一家も、今まさに小早舟に乗り込もうとしていた。
治右衛門は敵本陣を狙う精鋭部隊の一員に。
太郎次と鶴丸は、味方本陣を守る足軽隊の一員に。
父と二人の息子は、別々の役目を負って強大な大内勢に挑む。
「お前様!」
三太を抱いたお奈津が、太郎次の背中に声をかける。
太郎次は顔だけを巡らせて、愛する妻と子に笑いかけた。
「お奈津、行ってくる。お母と三太を頼む!」
「はい!」
お奈津は、涙声になりながらも、気丈に声を張り上げた。
「皆様、ご武運を!どうか三島大明神のご加護を!」
その時。
沖の方から、勇壮な太鼓の音が聞こえてきた。
大内勢の攻め太鼓だ。
「巳の刻か」
治右衛門はぼそりと呟いた。
「親父。手柄を挙げてくれ」
太郎次は父に右手を差し出す。
「うむ。任せておけ」
治右衛門は武骨な顔を綻ばせると、太郎次の手をぐっと引き寄せた。
「太郎次、鶴丸。お前たちは、必ず本陣を守り抜け。頼んだぞ」
「任せろ、親父」
「あやつらの好きにさせるつもりはない!」
親子はお互いを鼓舞し合うと、それぞれの持ち場に向けて舟を漕ぎ出した。
戦の始まりだ。




