30.周防・大内館
それから2年の年月が流れ——。
天文12(1543)年6月。
周防・大内館――。
「何じゃ。またお前か」
この館の主・大内義隆は、目前にて平伏した男を見るや、うんざりとした声を上げた。
「はっ……御屋形様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「長々とした挨拶は良い。さっさと要件を申せ」
「ははっ」
男は、主君のつれない仕草に臆することなく、実に堂々とした態度で顔を上げた。
真直ぐに義隆を見つめるその顔は、なかなかの男振りだ。
この男の名は、陶隆房。
23歳の若さにして、西国随一の勢力を誇る大内家を支える重臣の一人である。
「畏れながら御屋形様。先だってよりお願いの儀につきまして……」
「はて、何であったかのう」
義隆は、あからさまにとぼけて見せた。
(またか)
隆房は眉を顰めかけ――。
「瀬戸内の海のことに御座ります」
気を取り直したように、努めて穏やかな声音で応じた。
「瀬戸内の海とな。かの海にはさほどの問題はないと思うが」
義隆は手にした扇を広げると、己に向けてそよと扇いだ。
(……)
隆房は内心溜息をつく。
ここのところの義隆は、いつもこのようにのらりくらりとはぐらかすのだ。
(尼子との戦で、ご嫡男・晴持様を失われたお悲しみは重々理解出来るが……)
(あれだけの大敗を喫した後じゃ。周囲に武威を示さねば、更なる離反を招きかねぬ)
(だが――あの戦で我らは多くの兵を失った。しかも、安芸国人衆の足並みが揃わぬ状況では、再び尼子に挑むは無謀)
(故に我らは、海にて武威を示すより他になし)
隆房は膝に置いた拳をぎゅっと握りしめた。
(御屋形様には何としても、そのご決断をして頂かなければ――!)
「御屋形様、単刀直入に申し上げます!」
隆房は床に両手をついて、再び義隆を見上げた。
「どうかこの隆房めに、大三島攻めをお申し付け下さりませ!」
「隆房。お前は何故左様にかの島に拘るのか」
義隆は心底面倒臭そうな顔をした。
「お前も知っての通り、儂は警固衆らの求めに応じ、かの島へは何度も兵を出した。だが、戦果は何れも芳しからず」
「……」
「それに――」
義隆は、ぱちりと音を立てて扇を閉じた。
「我らは、あの尼子の奴ばらに辛酸を嘗めさせられた。経久亡き後の尼子など大したことはないと申したは、お前たち武断派ぞ」
「――っ」
義隆の指摘に、隆房は唇を噛み締めた。
(御屋形様こそ、安芸国人の奴ばらに言葉巧みに唆され、すっかりその気になっておられたではないか!)
――だが。
これは決して、口にしてはならぬ指摘だ。
隆房は、一度目を閉じ、何とか己を落ち着かせにかかった。
(御屋形様に付き合っては、纏まる話も纏まらぬ)
(今日こそ、どうあっても出兵のお赦しを頂戴致さねば)
このまま、徒に日を費やすわけにはいかなかった。
「――確かに、我らは尼子を甘く見過ぎていたやもしれませぬ。ですが、それとこれとは別の話でござります」
「確かにのう。瀬戸内の海に浮かぶ小さき島と、堅牢な月山冨田城とではまさに月とスッポンじゃ」
義隆は、乾いた声で笑った。
「御屋形様。これまで我ら、大三島もまた、甘く見ていたのやもしれませぬ」
「ん?」
義隆の顔色が微かに変わった。
「隆房。それは如何なることじゃ」
義隆が、ようやく食いついてくれた。
(よし。この機を逃してはならぬ)
「我らはこれまで、幾度かかの島を手に入れんと出兵致しましたが、御屋形様のご指摘の通り、いずれも失敗に終わっております」
「そうじゃな。鼻息荒く出掛けて行って、しょんぼりと戻ってくるのが常であったわ」
義隆は強烈な皮肉で以て、隆房の言を肯定した。
「大三島を守る三島水軍は、我が大内水軍に比べますれば弱小勢力。私が愚考致しますに、そこに我らの慢心があったのやもしれぬと」
「ほう」
「2年前の戦では船100を揃えて出陣致しましたが、結果は散々。来島勢の加勢があったとは申せ、まこと情けなき有様」
「確かにのう」
「翻って此度は、我ら必ず勝利して、瀬戸内のみならず、安芸・伯耆に武威を示さねばなりませぬ」
隆房は、ずいと膝を進め、義隆の前に両手をついた。
「故に――敵を寡兵と侮ることなく、我が大内水軍の威信をかけてこれを叩きに参る所存!」
「むう。隆房。お前はさほどの覚悟をしておるのか」
「はっ!船の数を150以上に増やし、その威勢にてかの者達を屈服させること叶えば上々」
「なんと。隆房、お前は戦うことなくかの島を手に入れると申すか」
「御屋形様。無論相手次第ではござりまするが、試してみる価値はあろうかと存じまする」
「ふうむ……」
隆房の熱意に引き込まれるように。
義隆の顔つきが、変わった。




