29.鶴丸受難(再)
連日の来客にすっかり嫌気が差していた鶴姫だったが――。
この日ばかりはうきうき気分でその客を待っていた。
本日の鶴姫の出で立ちは、薄紅色の小袖に減紫の帯。
肩先でふつりと切った髪は、
(やはり、このような髪は、ちと恥ずかしいな)
思い切って若衆よろしく「きゅっ」と結い上げてみた。
(少々勇ましくもあるが、ざんばらよりはましじゃ)
鏡の中の鶴姫は、満足げに頷いた。
やがて。
その人は、父親に連れられて姿を見せた。
「安正殿!武丸さま!」
鶴姫は、弾かれたように彼の許へと駆け寄っていく。
「鶴姫殿!」
武丸は、頬を紅潮させて許婚者を迎えた。
「鶴姫様。先だっては大変なことでござった」
安正はにこにこと鶴姫を労った。
「なんの。あれは安正殿のご尽力の甲斐あってのこと。我はただ、旗印を務めたまで」
「何を申されます。陣代としてご立派なお振舞でした。ただ――」
「ただ?」
安正はここで、鶴姫にだけ聞こえるような小さな声に転じた。
「御自ら敵を挑発に行かれた時は、正直肝を冷やしましたぞ」
「あっ……」
「武丸が心配する故、このことは伏せております」
「そうですか。良かった」
鶴姫は、ほっと胸を撫で下ろした。
どうやら、このことについて武丸からじっくりと問い質される懸念はなさそうだ。
「では、私は大祝様にご挨拶して参ります。御免」
安正は、鶴姫に軽く頭を下げると、武丸にそっと目配せした。
やがて、若い二人は庭園をゆるゆると散策し始めた。
「鶴姫殿。あなたが陣代として立たれたと聞いた時には、肝を冷やしました」
武丸は微かに眉根を寄せて、そのことを口にした。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、兄・安房があのような仕儀になった以上、大祝家には陣代となる男子がおらず」
「それは、存じております。ですが」
武丸は、ふと立ち止まって青い空を見上げる。そして、
「私は悔しいのです――元服さえ済ませておれば、私があなたの代わりになれたかも知れないのに」
言葉の端に悔しさを滲ませた。
家の事情で未だ元服を果たしていない武丸は、此度の戦に参戦することさえ出来なかった。
大人たちが慌しく出陣していく様を、ただ見送るしかなかったのだ。
武丸には、何かあった時に家を守るという役目は与えられていた。
だが。
しかし。
「武丸さま……」
許嫁のその言葉は、鶴姫の胸を熱くした。
「お鶴は、武丸さまのお気持ちだけで……」
後は、言葉にならない。
「鶴姫殿」
武丸の手が、鶴姫の髪に触れた。
「髪を、切られたのですね」
「はい。陣代として戦うに、長いままでは何かと不都合でしたので」
鶴姫はさりげなく嘘をついた。
本当は、陣代を願い出るにあたり、どうしても許可を出さない父に苛立って勢いで切ってしまっただけだ。
「そうですか。そのようなお覚悟まで」
武丸は、鶴姫の言葉を信じた。
「しかし」
武丸の指が鶴姫の髪をすっ、と撫でる。
「鶴姫殿は、このような勇ましきお姿さえ、お美しい」
「まあ……」
鶴姫は、思わず頬を赤らめる。
「ですが――もう二度と、このようなお姿にさせてはいけませんね」
「武丸さま……」
「もし再び、大内の軍勢押し寄せた時には、必ず私が」
武丸はその涼し気な眼差しに力を込めた。
「つ・る・ま・るー!」
久し振りに姿を見せた鶴姫は、殊の外上機嫌だった。
(うわ)
鶴丸はそのある種の圧に、思わず後ずさる。
何だか、とても嫌な予感がした。
今日の鶴姫は、木太刀を持参していない。
ただただ、鶴丸に会いに来ただけのようであった。
「お、お鶴。すっかり元気になったようじゃな」
「うむ!もうこの通りじゃ。なかなか会いに来られず、済まなんだの」
「あ、いや、それは」
「実はあれから、我に目通りを願うものがひっきりなしに訪れてな」
「あっ、戦勝祝いか何かで?」
「さにあらず。鶴丸が、派手に暴れてくれた故じゃ」
鶴姫は、大仰に肩を竦めて見せた。
「いや……俺は何もしてはおらぬが」
鶴丸は小首を傾げる。
確かに、大内勢を挑発に出向きはした。
鶴姫の神託を皆に伝えた。
その結果、味方は首尾よく大勝利。
それは事実。
(でも、俺自身は刃を交えてはおらぬし、至って大人しくしていたつもりなのだが)
鶴丸の顔に「解せぬ」の文字が浮かんだ。
「さても人の噂とは面白きものでの。あの戦で我は数々の奇跡を起こしたことにされているのじゃ」
鶴姫は「あはは」と口を開けて笑った。
「奇跡とは、お鶴を通して神託がもたらされたという奴か」
「いや、もっと派手な奴じゃ」
「なんじゃそれは」
「鶴姫様の命で、海が動いたとか」
「えっ」
「鶴姫様の命で、大波が敵の船を飲み込んだとか」
「なんと」
「挙句の果てには、海神が我の求めに応じてお姿を現したことになっておる!」
「……」
けらけらと笑う鶴姫の前で、鶴丸の顎がゆっくりと垂直に落ちた。
「まあ、それはよい」
鶴姫は、とろけるような極上な笑みを浮かべて、鶴丸を見つめた。
「……」
鶴丸は思わず後ずさる。
「鶴丸!聞いてたもれ!」
「こ、今度は何じゃ」
「過日、武丸殿が我が社に来られてな」
鶴姫は両手を合わせると、うっとりとした目でその時の様子をじっくりしっとりと語り始めた。
(か、勘弁してくれ……)
この日。
鶴姫と別れた鶴丸は、久し振りに太郎次の逞しい胸に崩れ落ちたのである。




