28.梅干と瓜
さて。
此度の戦では、大内・大三島双方に多くの死傷者が出た。
「戦が終われば、敵も味方もない」
安用のこの言葉に従い、早速三島水軍は動いた。
即ち。
全ての戦死者を海から回収して、僧侶をして丁重に葬らせ。
傷を受けた者には敵味方の別なく薬師の手当てを受けさせた。
大三島は、神の島。
理由はどうあれ、憎しみや恨みをこの海域に残すようなことは、断じてあってはならないのだ。
海から戦いの記憶が消えた頃。
大祝家の神職たちは、沖へと舟を漕ぎ出した。
人が海神の住処を騒がせたことへの詫びと、三島水軍を勝利に導いてくれたことへの礼を尽くすために。
その中には、鶴丸の姿はない。
鶴丸は既に「大祝家の存ぜぬ者」として、中津治右衛門の許に帰されたのだ。
(まこと父上は、都合の良い御仁じゃ)
巫女装束の鶴姫は雄弁な溜息をつく。
(とは申せ、鶴丸本人が大祝家の一員になることなど望んではいまい)
(少々腑に落ちぬが、双方に取りて良き落としどころなのであろうな)
人知れず独り言ちる鶴姫の髪を、海を渡る風が優しく吹き上げた。
鶴姫の想像した通り。
鶴丸は「足軽・中津治右衛門の子」としての生活を満喫していた。
安用は、鶴丸の労をねぎらい、何でも望みの物を与えると言った。
そこで鶴丸は、新しい小太刀と銭のみを願った。
安用は鶴丸の望み通りのものを与え、治右衛門の許に帰してくれた。
余人から見ればあまりにも些少な褒美かも知れぬが、鶴丸にとっては何よりの処遇だった。
「ああ、お母。お母の作る飯はまこと旨い!」
鶴丸はにこにこと飯を掻き込んだ。
膳にあるのは、飯の他には海藻の汁と青菜のおひたし、それに治右衛門が貰って来た大きな梅干しが1つ。
「まあ……こんな飯を美味いだなんて、鶴丸は味音痴ですね。大祝様のお屋敷では、さぞや良いものが出されたでしょうに」
お寿は頬を赤らめて、そんな軽口を叩く。
「お母。良いものが旨いとは限らぬぞ。俺にはお母の飯が一番じゃ」
「鶴丸。そんなに褒めてくれても、何も出ませんよ」
「俺はまことのことを申しているだけじゃ」
「ところがその良いものなど、こちらは口にしたことなどないのじゃがな」
すかさず太郎次が混ぜ返した。
「そうか。では次は、兄者が陣代をやってみるか」
「!馬鹿を申せ。そんなこと、あるわけがなかろう」
「ははは、確かに」
「まあなんにせよ、再び家族揃ってこうして飯が食える。まこと目出たいことじゃ」
しみじみとした治右衛門の言葉に、二人の息子は大きく頷いたものだ。
「お母。おかわり」
「あ、俺も」
「まあまあ、二人ともよく食べること」
「お母。それは梅干しのせいじゃ」
「そうじゃ。梅があると飯がいくらあっても足りぬ」
「おい、二人とも。貴重な梅じゃ。心して食せよ」
「そうですよ。今度いつお目にかかれるかわかりませんからね」
「あっ……そういうことか。では残りは朝餉に取っておくか」
「兄者。それは妙案じゃ」
「ふふ。飯の上にこれを置いて」
「湯をかけて食す!」
「たまらぬ。考えただけで唾が出そうじゃ」
「太郎次。お前よいことを思いついたの。儂もそうしよう。お寿もそう致せ」
「はい、お前様」
治右衛門と太郎次は、陣代の舟を守った功績が評価され、多くの銭を得た。
それでも。
治右衛門の身分は変わらず、その暮らしは全く変わらない。
まこと足軽とは、そのようなものである。
一方。
鶴姫の方は、多忙を極めていた。
戦勝祝いの来客がひっきりなしに訪れた故だ。
何しろ、鶴姫は陣代として立ち、あの大内勢を見事撃退して見せた娘だ。
その事実は衝撃を以て瀬戸内の海を席巻していた。
「これは一度、そのお顔を拝まねばなるまい」
「そうじゃ。何でも、海にて奇跡が起きたとか」
「鶴姫が命じたところ、たちまち波が立ち上がり、大内の奴ばらを飲み込んだというぞ」
「儂は、姫の求めに応じ、海神が顕現されたと聞いたぞ」
……このように、鶴姫の「武勇伝」には壮大な尾ひれがつき。
心ならずも、彼女は一躍「時の人」となっているのであった。
(やれやれ、これは困った)
鶴姫は、笑顔の下でげんなりしていた。
来客は一様に、あの戦のことを根掘り葉掘り聞いてくる。
「まあ、お恥ずかしいことでござります」
「さあ……何分、夢中でござりました故、しかとは覚えておらぬのです」
鶴姫はこのように巧みに言葉を濁したが、それで納得してくれるとは限らない。
(はあ……面倒な事じゃ)
鶴姫のこめかみに、青い筋が浮き出した。
「左様に訊かれても、陣代を務めたのは我ではない!わかるわけがなかろう!」
――そう言えたなら、どんなにか良いことか。
「お鶴。疲れたであろう」
客が帰ったところで、安舎が冷えた瓜を持って来てくれた。
「これは兄上。ありがとうございます」
鶴姫は「いただきます」と小声で言うと、早速瓜を口に含んだ。
「ん、美味しい」
「ふふ。今の季節はこれが一番じゃ」
「はい。何よりのものでござります」
鶴姫はにこにこ顔で瓜を頬張っている。
「連日の来客、難儀な事であるな」
「全くです。どうやら妙な噂が独り歩きしているようで」
鶴姫は小さく頬を膨らませた。
「ほう、妙な噂か」
「はい。我の命で海が動いただの、大内勢を大波が襲っただの」
鶴姫は、うんざり顔のまま瓜をぱくぱくと口に運んだ。
「挙句の果てには、我の求めに応じて海神が顕現したとか」
「それは、なかなか凄いことになっておるのう」
「人と会うごとに新しい話が飛び出して、それはそれで面白くもありますが――」
鶴姫はここで、雄弁な溜息をつく。
「我は結局、あの戦のことは伝え聞いているのみ。皆は武勇伝を期待してこなたに来られるのでしょうが、話せることなど何も御座りませぬ。」
「確かにのう」
「はい。まさかにかような仕儀になるとは、我も思うておりませなんだ」
鶴姫はげんなりと肩を落とした。
「ははは。それは、鶴丸が完璧にお鶴として振舞った故であろうな」
「まさに」
「それは重畳」
安舎は最後の瓜に手を伸ばした。
「ま、かようなことはそう何度もあるまい」
「兄上。何度もあるようでは困ります!」
「そうじゃな。大内殿にも、そろそろ諦めて頂きたいものじゃ」
瓜をすっかり平らげた安舎は、切実さを込めて独り言ちた。




