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27.神懸りの末に

 どれ位、眠っていたのだろうか。

 

 (……?)

 鶴姫は、ゆっくりと目を開けた。


 障子の外は既に(くら)く。

 部屋の中は灯明(とうみょう)(ほの)かに周囲を照らしているのみだ。

 (我は……)

 鶴姫はぼんやりと天井を見上げるばかり。

 彼女の意識は、未だ濃い霧の中にある。


 (我は一体、どうしてしまったのか)


 部屋の外に、行燈(あんどん)の灯りが見えた。

 すっ、と音もなく障子が開く。

 (誰じゃ)

 誰何(すいか)しようとしたが、声が上手く出せない。

 ただ、掠れた息が漏れただけだ。


 誰かが、部屋に入ってくる。

 すっ。

 再び音もなく障子が閉まる。

 部屋に入ってきたその者は、鶴姫の脇に座った。

 薄暗闇のなか、灯明がその者の顔を(おぼろ)に浮き立たせた。


 「つる、まる……?」


 「起きていたか、お鶴」

 鏡写しのその顔は、ほっとしたような笑みを浮かべた。

 「鶴丸……なぜ、ここに」

 「お鶴が倒れたと聞いた」

 「倒れた?我が?」

 「そうじゃ。覚えておらぬのか?」

 鶴丸の問いに、鶴姫はふるふるとかぶりを振った。

 「そうか。無理もあるまい」

 「鶴丸。何か存じておるのか?」

 「いや、詳しいことは。着替えを済ませた後、安舎(やすおく)様よりお前が神懸(かみがか)りになって倒れたと聞かされた。それだけじゃ」

 「神懸り……」


 鶴姫は、眉根を寄せて再び天井を見上げる。

 (本日、我は何をしていた?)

 ゆっくりとゆっくりと、記憶を遡る。


 神前で、安舎が額に玉の汗を浮かべながら、懸命に祝詞(のりと)を上げていた。

 鶴姫は、巫女装束(みこしょうぞく)にて巫女舞を捧げていた。

 祈願を依頼したと思しき者の姿は、そこにはない。


 何故?

 我ら兄妹は、かように必死に祈りを捧げていたのか?


 ――?


 ――!!

 

 「あっ!」

 鶴姫は、小さな叫びをあげて跳ね起きようとした。

 「お鶴、まだ起きてはならぬ!」

 鶴丸は慌てて鶴姫を制した。

 「鶴丸、鶴丸」

 鶴姫は、鶴丸のその手を凄まじい力で掴んだ。

 「戦は――戦は、どうなったのじゃ?我が三島は?大内勢は?」

 「案ずるな。我が方の大勝利じゃ」

 「それは……まことか」

 「まことじゃ。我が軍勢、見事敵の総大将の首級を挙げた。それで敵方は総崩れとなり、這う這うの体で逃げ帰っていったぞ」

 鶴丸は、努めて穏やかな声音で戦果を伝えた。

 「左様か……良かった」

 鶴姫は、安堵したように全身の力を抜いた。

 「鶴丸も、怪我はせなんだか?」

 「大丈夫じゃ。お鶴の鈴が守ってくれたぞ」

 鶴丸は、妹がくれた巫女鈴を取り出した。

 「そうか。我も少しは役に立ったのじゃな」

 「少しどころか、大手柄じゃ」

 「それは、どういうことじゃ」

 鶴姫は、兄の顔を見上げて小首を傾げた。


 (やはり、何も覚えておらぬのか)

 鶴丸は小さく咳払いをした。

 そして、

 「お鶴。不思議なことが起きたのじゃ」

 本陣でその身に起きたことを、ぽつりぽつりと語って聞かせた。


 「なんと――我が鶴丸に御神託を?」

 鶴丸が語り終えた時、鶴姫の目が大きく見開かれた。

 「そうじゃ。初めは気のせいかとも思ったが、あまりにもはっきりと聞こえたものでな」

 「……」

 「だが、正直な所、お鶴の申した『神のお告げ』は(にわ)かには信じがたく――どうしたものかと躊躇(ちゅうちょ)した」

 鶴丸はぽりぽりと頭を掻いた。

 「それは、何故じゃ」

 「俺が神に要らぬと言われた子であるから、かな」

 鶴丸は、ぽつんと呟いた。

 「鶴丸。そなた、気にしておったのか」

 「俺はさほど信心深い男ではない故、普段は忘れておる」

 鶴丸は、ふとほろ苦く笑う。

 「だが、此度はお鶴の身代わりとして、三島大明神の旗を背負う立場になった。それで、嫌でも色々考えさせられたというわけじゃ」

 鶴丸はほろ苦く笑って見せた。

 

 そんな双子の兄の姿に、何か思う所があったのか。

 「のう、鶴丸。我は思うのじゃが、そもそも神は、鶴丸のことも要ると思うておられるのではあるまいか」

 鶴姫はいつも通りの口調で、そんなことを言い出した。

 「それは、どういうことじゃ」

 鶴丸は(かす)かに眉根を寄せた。

 「我が父もそうであったが、人は同じ時に産まれた子らを、畜生腹、不吉と騒ぎ立てる。だが、果たして神ご自身はどうなのであろうかと思うてな」

 「ではお鶴は、神の存念は違うとでも?」

 「うむ。我らのうち何れかを取り、何れかを捨てると決めたのは、父であって神ではないからの」

 鶴姫は、またしても父の安用(やすもち)が組み立てた「神の理屈」を根底からひっくり返した。

 「もしそれが神から示されたことであるならば、確かに鶴丸は神に取りても要らぬ子だったと言えよう。だが、神は一言もそのようなことは申されぬ」

 「……」

 「それが証拠に、鶴丸、そなたは今日まで健やかに生きて来られたし、此度は陣代まで勤め上げた。これこそが神の答えぞ」

 

 鶴丸は、絶句した。

 鶴姫とは、何という女子なのだ。


 しかし。

 鶴丸はどうしても素直になれなかった。

 それで、

 「だ、だがお鶴。神は俺には直接何も語ってはくれぬぞ」

 つい、そんな減らず口を叩いてしまった。

 「なんじゃ。鶴丸は神に言葉をかけて欲しいのか」

 「そうではない!ただ、お鶴は神懸りするほどに神と近くて、俺は全然じゃと言いたいだけじゃ」

 「もしやと思うが、鶴丸は妬いておるのか?」

 「!違う!それは断じて違う!」

 「鶴丸。三島大明神も海神(わだつみ)も男神ぞ」

 「そ、それが、どうしたというのじゃ」

 「男神であれば、語る相手は女子の方がよかろ?」

 「!」

 「真面目な話、我が大祝(おおほうり)家で神懸るは巫女だけじゃ。父も兄も、そのような状態になったことはないそうな」

 「えっ、それは、まことか」

 「まことじゃ。かようなことで嘘をついてどうする」

 鶴姫は、いつもの無邪気な顔で笑った。


 「はあ」

 鶴丸は、すとんと肩を落とした。

 (全く、お鶴という女子は)

 (いつも俺ひとりでは到底越えられぬものを、いとも簡単に飛び越えてくる)

 「参った。お鶴に掛かると、何もかもがどうでもよいことのように思えてくるわ」

 鶴丸の顔に、ようやく屈託のない笑みが戻ってきた。


 「ときにお鶴。この鈴、貰うてもよいか。この鈴は、我らに勝ちをもたらした縁起ものじゃ」

 「無論じゃ。我はもとよりそのつもりであった」

 「ありがたい」

 鶴丸は、巫女鈴を手拭いで包むと、大事そうにしまい込んだ。


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