25.神託
(よし、食いついた)
鶴丸は、迫りくる大内の船団を前に、悠然と笑った。
「皆、逃げるぞ。向き先はあちらの入り江じゃ」
鶴丸は、右後方を薙刀で指し示した。
「はっ!」
「そなたらは、弓で以て敵を牽制せよ!」
「はっ!」
鶴丸は、三島明神の旗を引き抜くと、味方に向けて大きく振った。
(安正様!後はお任せしましたぞ!)
「安正殿!姫様からの合図です!」
「よし!左方の敵前線が崩れた!総攻めにかかれ!」
状況を見守っていた若衆からの報告に、安正は力強く下知を飛ばした。
「はっ!」
本陣から勇壮な攻め太鼓が絶え間なく響く中。
「それ、攻め時じゃ!」
「かかれええええ!」
三島水軍は、水を得た魚のように猛然と襲い掛かった。
「鶴姫様の捨て身の業を、無駄にするでない!」
「方々、必ず手柄をお上げなされよ!」
使番は各隊をそんな言葉で鼓舞して回った。
逃げる鶴丸。
追う大内勢。
鶴丸は、飛んでくる矢を薙刀で払いつつ、ちらりと周囲に目をやる。
この舟の護衛に当たっているのは、五隻の小早舟。
うち一隻は、無断で合流してきた治右衛門の舟だ。
追ってくる大内勢は、10、いや、20ほどか。
しかも、小早舟だけではなく、それより大きな関船も混ざっている。
(なんとか、あの手前まで頑張ってくれ)
入り江には、味方の伏兵が手ぐすね引いて待っている。
その時。
突然、左側に船影が現れた。
(くっ……新手か)
鶴丸は厳しい視線をそちらへと巡らす。
その目に飛び込んできたのは、来島村上氏の旗印。
村上通康の船だ。
「ははは、これは鶴姫殿!逃げ足も中々でござるな!」
快活な声が、その船上から聞こえてきた。
「通康殿!」
「鶴姫殿!先ほどの捨て身の一幕、この通康、深く感じ入った!」
通康は、槍を肩に担ぎ上げると、不敵な笑みを浮かべた。
「良いものを見せて貰った故、ご助勢致す!あの手柄に逸った奴ばら、我らが引き受けた!」
通康の船は、鶴丸の返事を待たずして大内方の船団の只中に突撃した。
「それ、こやつら、一艘とて生きて返すな!殲滅せよ!」
通康の口から、実に恐ろしい下知が飛んだ。
「……」
鶴丸は、大内の船が来島水軍に食われる様を、茫然と眺めていた。
(助かった……のか)
そのことに思い至った途端。
鶴丸の足が、ガタガタと大きく震えた。
「陣代様!」
側近の若武者が、慌ててその身体を支えようとした。
(いかぬ)
鶴丸は、なんとか薙刀で身体を支えると、若武者を手で制した。
「大事ない。少々気が抜けただけじゃ」
そんな言い訳を、零しながら。
その頃。
大山祇神社の神前には、安舎と鶴姫の姿があった。
安舎は大祝職の束帯姿。
鶴姫は、巫女装束だ。
最初の攻め太鼓が海を包んだその時から――。
この兄妹は、神と相対して一心に祈りを捧げていた。
安舎は祝詞で三島水軍の勝利を願い。
鶴姫は舞を捧げて神の御心を慰めた。
(我は女という理由だけで、戦に出ること叶わなんだ)
(ならば、皆のために我に出来ることは、神前にて舞を捧げるのみ)
(鶴丸。聞こえておるか。これが我の戦じゃ)
神よ。
大山積の神よ。
どうか我が兄に。
そして、三島の軍勢に。
あなたの御加護があらんことを――。
ちりん、ちりん。
鶴姫の動きに合わせ、巫女鈴が鳴る。
その鈴の音は、次第に鶴姫の心を神へと近づける。
身体は神の望むままに動き。
意識は、本来彼女が立ちたかった場所へと。
ここは。
瀬戸内の海。
多くの船が行き過ぎ、ぶつかり合い。
そして、舟では多くの侍が、命のやり取りをしている。
――戦場?
なぜ、我は、ここに――?
次に鶴姫が舞い降りたのは、三島水軍の本陣。
自らと瓜二つの少女が雄々しくそこにある。
あれは。
鶴丸――か?
ちりん。
ちりん。
鈴の音が、二つ。
鶴姫のそれと。
鶴丸のそれ。
――神の娘よ。
鶴姫の耳元で、神が囁く。
潮が、変わる。
風が、変わる。
そなたの片割れに、疾く伝えよ――。
「つる、まる」
鶴姫の唇から、不思議な声音が零れた。
「しおが、かわる。かぜが、かわる……」
「――お鶴?」
妹の異変に、安舎は思わず振り向いた。
「かみの、すてしこよ、かみの、むすめに、わが、ことばを、たくす……」
鶴姫は、両手を天に突き出したまま、その場をくるくると回っていた。
「つる、まる……せめ、どき、じゃ……いまこそ、かみの、わざを、そなた、に」
その言葉を言い終えると。
鶴姫は、はたりとその場に崩れ落ちた。
「お鶴!」
安舎は、慌てて鶴姫を抱き起した。
「誰かある!薬師を!――それから、本陣へ使者を!」
「はっ!」
廊下の外で、慌しい足音が聞こえた。
『つるまるー!』
「えっ?」
鶴丸は、きょろきょろと辺りを見回した。
「姫様。如何されましたか?」
「あ、いや――何でもない」
鶴丸は、小さく咳払いをして誤魔化した。
(お鶴の声がしたと思うたが――考えてみれば、ここに来るはずはない、な)
(やはり、ちと疲れたようじゃ)
鶴丸は、トントンと拳で己の額を叩いた。
彼がそう思うのも無理はない。
小早舟で大内勢を盛大に挑発に出掛け。
その結果、結構な数の船に追い回され。
その敵を来島水軍が引き受けてくれたお陰で、やっと本陣に戻って来たばかりだ。
ちりん。
鎧につけた、巫女鈴が鳴る。
『つるまる、つるまる』
再び、鶴姫の声が聞こえてきた。
(お鶴?いるのか?)
『わからぬ』
(なんじゃそれは)
『つるまる。神からの言伝じゃ。聞いてたもれ』
(えっ)
『潮目が変わる』
『風も変わる』
『今が、攻め時ぞ』
ちりん。
そこで、鶴姫の声は、消えた。




