23.「鶴姫」出陣
鶴丸は、主だった将に囲まれるようにして、軍勢が待つ浜へと歩を進めた。
大祝家の旗印も誇らしく。
「神の娘」を大将に据えたその一団は、不思議な自信に満ち溢れていた。
命を落とした安房が不足だったわけでない。
しかし、
「この娘に触れられた者は、戦で傷を負わぬ」
そんな霊験を噂される娘というのは、兵達にとって特別な存在なのだ。
(悪いが、俺はそんな力など持ち合わせておらぬぞ)
(何しろ、お鶴と違って神に要らぬと言われた男であるからな)
鶴丸は、周囲をちらりと見ると、そんな皮肉を考えた。
鶴丸がここにいる理由。
それは、鶴姫を戦になど出したくない。
戦の現実を、あの無邪気な妹に見せたくない。
たったそれだけだ。
わあああああ!
鶴姫一行は、浜を揺るがすような声で迎えらえた。
「鶴姫様!」
「神の巫女様!」
「姫様が来られたからには、我が方の勝利、間違いなし!」
兵達は得物を振り上げ、鶴姫の到来を歓迎した。
(……)
鶴丸はその異様な光景に、思わず立ち止まった。
(――俺は――)
皆の狂気にも似た高揚感が、鶴丸の頭に冷や水を浴びせた。
俺は。
この人たちの期待に。
応えられるのか。
俺はお鶴ではない。
ただの足軽の息子だ。
「鶴姫様、如何されましたか?」
壮年の侍の声が、鶴丸を現実に引き戻した。
(いかぬ)
鶴丸は、無意識のうちに顔に手をやる。
いつもは触れる筈の布の感触が、今日はなかった。
「どうしました?お顔が優れぬようですが」
壮年の侍は、声を潜めて鶴丸を気遣った。
この男は、越智安正。
鶴姫の許婚者・武丸の父だ。
大祝家の親戚衆にして歴戦の将でもあるこの男は、此度副将を務めてくれる心強い味方だ。
「あ、いえ……皆の意気盛んな様を見て、少々驚いただけです」
鶴丸は小さな笑みを作って、何とかその場を取り繕った。
「ははは、そうでしたか。あなた様におかれては初めての戦故、無理からぬことです」
安正は「鶴姫」の初々しさに破顔した。
「それにしても、まこと、頼もしい限り。流石は神の軍勢ぞ!」
鶴丸は、殊更に明るく声を張り上げた。
わあああああ!
鶴丸の言葉に、周囲の者たちは再び歓声を上げた。
鶴丸は、兵達の歓声に、微笑みを以て応えた。
鶴姫の身代わりは、皆を鼓舞するためにここにいるのだ。
「総員、出陣準備にかかれ!」
侍大将の下知のもと、三島水軍の面々は持ち場へと散っていく。
「陣代殿。我らも乗り込みましょう」
鶴丸はただ小さく頷くのみ。
普段、足軽などは近づくことさえ憚られる本陣が、多くの旗をたなびかせて鶴丸を待っていた。
鶴丸は、三島大明神の旗を背に、本陣の上座に腰掛けた。
目の前には、朝の陽光をふんだんに受け、キラキラと輝く瀬戸内の海。
その向こうには、陸からの侵略者。
大内の旗を掲げた数々の軍船が、実にふてぶてしい態度でこちらを眺めている。
「皆の者。状況は如何か」
「はっ、敵は来島勢の挑発に乗ることなく、昨日夕刻よりあの海域に留まっている由」
「やはり、村上通康殿と直接対決に及ぶことは、望んでおらぬと見受けられます」
「当方はその敵の思惑を利用し、来島勢と共に攻めるが得策かと存じます」
鶴丸は、諸将の言上それぞれに頷きを持って応えた。
「陣代殿」
遅れてやってきた安正が、鶴丸の前に膝をついて畏まった。
「出陣の準備、整いましてござります。お下知を!」
「承知!」
鶴丸は、軍配を手に取ると、つかつかと舳先へと向かった。
「鶴姫様!」
「そこは危のうござります!」
「構わぬ!」
鶴丸は諸将を一喝すると、舳先にぽん、と飛び乗った。
――まさに、じゃじゃ馬の面目躍如だ。
鶴丸は、ばっ、と軍配を振り上げた。
すうっ。
肚に思い切り息を吸い込む。
そして。
「皆の者!いざ出陣じゃ!出遅れるでないぞ!」
肚の底からの大音声にて、見事下知を飛ばしたものだ。
「出陣!」
「出陣じゃ!」
周囲の船を渡る指示の声。
どん、どん、どん、という攻め太鼓の音。
朗々たる法螺貝の音。
軽快に打ち鳴らされる鉦の音。
(海よ。俺を要らぬと申した神々よ)
鶴丸は、睨むようにして海原を見つめた。
(俺は、安用様の申す通り、今この時のために生かされたのか?)
(であれば、三島大明神よ。海神よ。今こそその証をこの俺に見せよ)
鶴丸の心の内を知ってか知らずか。
海はただ、本陣の前を小さくうねり、時折三角の波を立てるのみだった。
やがて、三島・来島連合軍と大内軍は正面から激突した。
「押せ!押せ!」
「怯むな!足の速さはこっちが上じゃ!」
三島水軍は互いを鼓舞しながら、大内の軍勢に勇敢に立ち向かい続けた。
三島水軍が押し込まれると、すかさず来島の旗を立てた船が間に入る。
来島勢とやり合いたくない大内側は、すっと下がっていく。
「来島じゃあ!大内ども、勝負せえ!」
大音声で呼ばわりながら、来島勢は焙烙玉を大内の船に投げつける。
実は、来島勢も、強大な大内勢と正面切ってやりあいたくない。
そこで、こうやって小賢しく動き回ることで、大内側を挑発して冷静さを削いでいく作戦だ。
だが、流石は西国の雄・大内義隆の軍勢。
「挑発に乗るな!」
「こちらを怒らせて、隊列を乱すつもりぞ!」
歴戦の将達が冷静に声を張り上げ、ともすれば熱くなる軍勢を引き締めている。
戦況は、一進一退。
総じて船の数が多い大内方が優勢だが、局地戦では三島・来島連合軍が確実に押し返している。
「右側が薄くなってきたな」
「後方の船隊を援軍に向かわせよ」
三島勢の本陣では、慌しく盤上の配置が変わっていく。
正直な所、鶴丸が見たところで何がどうなっているのかよくわからない。
それで、
「ところで、今の戦況は如何に?」
小声で安正に訊いてみた。
「来島が上手く立ち回っているお陰で、今のところは五分と五分でござる。ただ何分、兵力は向こうの方が遥かに上。長期戦になれば我が方不利となりましょう」
安正は、微かに眉を顰めた。
「では、今のうちに何らか手を打った方が良いのでは?」
「はあ――それはそうなのですが」
安正は、言葉を濁した。




