20.受諾
この日。
陣代を引き受けた鶴丸は大山祇神社に留め置かれ。
治右衛門と太郎次は、鶴丸を何度も振り返りながら帰っていった。
「親父。鶴丸、大丈夫かな」
「わからん」
「わからんって……」
「かくなる仕儀となった上は、足軽の儂らには何もしてやれぬわ」
治右衛門は、乱暴に吐き捨てた。
以後は、二人とも無言だった。
それぞれに自らの無力さを噛み締めているかのように。
鶴丸は、安舎の居室から更に奥にある小部屋をあてがわれた。
「手狭な部屋で済まぬな」
安舎は率直な言葉で詫びてきた。
「いいえ。これぐらいの部屋の方が却って落ち着きます」
「左様か」
鶴丸の言葉に、安舎は小さな笑みを浮かべた。
安舎は廊下に人影がないことを確かめてから、静かに障子を閉めた。
「鶴丸」
「はい」
「先ほどの父の言、さぞや気を悪くしたことであろう。許せよ」
「……」
鶴丸は、ちらりと安舎の顔を窺った。
「父は赤子のそなたを捨て、我が大祝家とは何の関わりのないものとした。そなたからすれば此度のことは理不尽でしかないことと思う」
安舎は言葉を選びながら、訥々と言葉を重ねた。
「父は確かに食えぬ男ではあるが、この神域を守る責務を果たそうと必死なのだ。大三島の民のためだけではなく、瀬戸内の海の民のために。どうか、そのことだけはわかってやってほしい」
鶴丸は、ただ無言で安舎を見つめた。
安舎の言が本当のことだとしても、「わかった」と受け入れる気にはどうしてもなれなかった。
そんな鶴丸の様子に何かを感じたのか。
安舎はふと、複雑な笑みを浮かべた。
「というのはあくまでも建前のことで――本音を言えば、父はお鶴を戦になど出したくないだけなのだと思う」
「え……」
鶴丸の表情が僅かに変わった。
「鶴丸。結局のところ、我らの思いは同じなのだ」
太陽のような神の娘に、戦の現実など見せたくない。
そして、陽が海の彼方に沈みかけた頃。
鶴丸の許に夕餉が運ばれてきた。
山盛りの飯。
一夜干しの魚。
季節の野菜の煮物。
葱を散らした潮汁。
そして、香の物。
(やっぱり、大祝様はいいもの食ってるな)
鶴丸は、潮汁を啜りながらぼんやりと考える。
(でも)
(やっぱり、お母の飯の方が旨いな)
雑穀の混ざった飯と、庭の野菜を刻んで入れただけの汁。
時々手に入る干し魚と梅干が何よりのご馳走。
それが、鶴丸が旨いというお寿が作る飯だ。
(安舎様の話を信ずるとするならば、結局、大祝様もただの人の子の親ということか)
鶴丸は、ぱくぱくと飯を口に運びながら、ぼんやりと考える。
安舎は、鶴姫に戦の現実を見て欲しくないという思いは皆同じだと言った。
それは恐らく本当のことだろう。
だが。
(だからといって、あの申しようはない)
安用の鶴丸に対する態度とその言葉が、鶴丸の心を頑なにさせていた。
先ほどの安舎の誠実ささえ素直に受け取れぬほどに、安用の態度は鶴丸を深く傷つけたのだ。
(まあいい)
鶴丸は、己の心に渦巻く感情に一旦蓋をした。
どの道、鶴丸はあくまでも鶴姫の身代わり。
明日は大祝家の旗印として、本陣の上座に腰を据えていればいいだけの話だ。
翌朝。
鶴姫は、目覚めて早々に父に呼び出された。
(このような早き時間に、何用か)
慌しく身支度を整えて廊下に出ると、女房達が後をついてきた。
(何じゃ、仰々しい)
鶴姫は眉を顰めたが、努めて素知らぬ顔を通した。
彼女たちは、安用の言いつけを守っているだけ。
文句を言ったところで始まらぬ。
「お鶴よ。お前に折り入って頼みがある」
居室に入るなり、安用は単刀直入に切り出した。
「はい。何でしょうか」
安用は、部屋に控えていた小者に目配せをする。
小者は、脇の衣装箱を手に取ると、それを鶴姫の目前に置いた。
中身は姫装束だ。
「父上、これは?」
「本日、陣代を務める鶴丸が着用する装束じゃ」
「父上、どういうことです!」
「鶴丸は、我が大祝家の男として陣代と立つことに承諾した。だが、残念ながらいない筈の子がそのままの姿で立つのは都合が悪い。故に、あれには「鶴姫」として出陣してもらう。そういうことじゃ」
安用は淡々とした口調で事のあらましを説明した。
「なんと……」
鶴姫は言葉を失った。
(鶴丸。このような理不尽な申し出、何故に受けたのじゃ――っ)
鶴姫は膝の上で拳を握り締めた。
「お鶴よ。信じてもらえぬかもしれぬが、父の存念を聞いてくれ」
「……」
鶴姫は、上目遣いに父をねめつけた。
「そう怖い顔をするな。父とて、鶴丸には済まぬことをしたと思うておるのじゃ。だが、安房が命を落とした以上、こうするより他になかった。それだけはわかってもらえると有難い」
言葉とは裏腹に、安用には何の表情も浮かんではいない。
鶴姫は、桜色の唇をぎゅっと噛み締めた。
父の老練さを、この時ばかりは嫌悪した。
「お鶴。頼みというのは他でもない」
安用は、面を引き締めると、改めて鶴姫に向き直った。
「鶴丸の戦支度を、手伝ってやって欲しいのじゃ」
「なんと――!」
鶴姫は言葉を失った。
鶴丸を送り出す手伝いをやれと?
バカな。
父は何を言っているのか。
「鶴丸はお前として出陣する。であれば、お前が手づから支度を手伝うのが道理」
安用はそんな理屈で鶴姫を説き伏せにかかる。
「ついては、化粧を施してやらねばならぬ。お鶴。お前がするのと同じ化粧を」




