19.父と子
「さて、ここからが本題じゃ」
安用は、居室の奥を振り向くと、そっと目配せした。
それに呼応するように、床を踏みしめる足音が近づき。
やがて、すっきりとした顔立ちの、背の高い男が姿を見せた。
「鶴丸。これなるはそなたの兄、安舎じゃ」
安用は優しい声音で、生き別れた兄と弟を引き合わせた。
「え……?」
「そなたが、鶴丸か」
瞠目する鶴丸に、安舎は優しい笑みを向けた。
「お鶴の、そしてそなたの兄、安舎じゃ。兄というには些か年を取り過ぎておるが、以後宜しく頼む」
安舎は膝に手を置くと、鶴丸に向けて律儀に頭を下げてきた。
「あっ……」
鶴丸は慌ててその場に手をつき、深々と頭を下げた。
(これは、どういうことじゃ)
鶴丸は、ますます困惑した。
ここで兄が顔を見せた、その意味とは――?
「鶴丸。実は、お前に頼みがあるのだ」
安用は、猫なで声を出してきた。
(なんだ。気味が悪いな)
鶴丸の肩に力が入った。
「まあそう剣呑な顔をするな」
安用はほろ苦く笑って見せた。
「父上。きちんと話してやらねば、鶴丸も戸惑いましょう」
「確かにそうじゃの」
安舎の言葉に、安用は鷹揚に頷いた。
「では鶴丸。有体に申す」
一転して。
安用の双眸が、ぎらりと光った。
(――っ)
鶴丸は更に身構える。
安用はそんな鶴丸の様子など構うことなく。
「頼みというのは他でもない。お前には我が三島水軍の陣代を務めてもらいたい。やれるな」
穏やかな表情とは裏腹に、その声音には有無を言わさぬ凄味があった。
「えっ……!」
「なんと……」
「それは!」
鶴丸は戸惑い。
治右衛門は呻き。
太郎次は思わず大きな声を上げた。
治右衛門親子にとって、このことは正に「青天の霹靂」だ。
「大祝様、お待ち下され!」
治右衛門は、顔を真っ赤にして両手をついた。
「これなる鶴丸は、今日までしがない足軽の子として育ちました!その子が一軍の将など、務められる道理が何処にございましょうや!」
「治右衛門。そなたの存念は聞いておらぬ」
安用はあからさまに嫌な顔をした。
「し、しかし……」
「まだ話は終わっておらぬ故、黙っておれ」
ぴしゃりと撥ねつけられて、治右衛門は不本意ながら口を噤んだ。
「さて鶴丸。話の続きじゃ」
安用は鶴丸に向き直ると、静かに言葉を繋いだ。
「本日の戦で、陣代が武運拙く命を落としたことは存じておるか」
鶴丸は、ただ小さく頷いた。
「あれは、我が大祝家で陣代に立てる唯一の男子であった。これなる安舎は私の跡継ぎ。神に仕える身なれば最早戦場に立つことは出来ぬ。つまり」
安用は、扇の先で鶴丸を指し示した。
「不本意ながら、陣代と立つに相応しき男子は、鶴丸。お前を置いて他にいないのじゃ」
「――っ」
鶴丸は唇を噛み締め、安用を睨んだ。
畜生腹。不吉な子。
神が選ばなかった子。
要らぬ子として捨てたくせに。
その子を、三島大明神の旗を背負う陣代に任ずるなど。
いくら何でも勝手が過ぎる。
鶴丸は、心に渦巻く怒りをどうにか飲み込んだ。
そして。
「……もし、断ったら?」
その一言だけ、問いかけた。
「お前が断ったならば――か」
安用は厳しく眉を上げた。
そして、実に鶴丸にとって恐ろしい言葉を口にした。
「その時は、お鶴が陣代として立つことになるであろうよ。他ならぬお鶴がそれを望んでおる故な」
「!」
鶴丸の顔がさっと蒼ざめた。
無邪気で。
じゃじゃ馬のお転婆で。
自分勝手で。
でも、笑うと可愛くて。
鶴丸にとっては、空に輝く太陽のような。
そんな妹が戦に出るだなんて――。
否。
そんなことは、あってはならない。
お鶴は。神の娘は。
戦の現実など、知ってはならないのだ。
「駄目だ!そんなこと、絶対に!」
鶴丸は、我知らず大きな声を出していた。
「そうであろう?鶴丸。我らも同じ思いぞ」
安用はしたり顔で頷いた。そして、
「お鶴は神の娘。その娘の手を血で汚すなど――おお、考えただけでも恐ろしい」
大仰に身体をぶるっと震わせてみせたものだ。
「……」
鶴丸は、その様子に再び嫌悪感を抱いた。
この男。どこまで。
だが。
自分が断れば、鶴姫が陣代に立つ。
それは脅しなどではなく、本当のことだと思った。
ならば――。
「――わかりました。俺が陣代になります」
鶴丸は、掠れた声で安用の申し出を受諾した。
「そうか。では、宜しく頼む」
安用は、ほっとしたような笑みを見せた。
「鶴丸……」
太郎次は心配そうに声をかけてきた。
「兄者。俺がやるしかない故」
鶴丸は、己に言い聞かせるように何度も頷いた。
俺が、やるしか、ないのだ。と。
そして。
鶴丸は、安用がついでのように付け足した言葉に、再び眉を顰めることになる。
「鶴丸。くれぐれも言うておくが、お前はお鶴として出陣するのじゃ。何しろお前は、いない筈の人間である故な」
一方。
鶴姫は、女房達によって部屋に閉じ込められていた。
「そなたら!いい加減に致せ!」
鶴姫は苛々と金切り声を上げた。
「姫様。なりませぬ」
「どうか、今日の所はお部屋にお留まり下さりませ」
女房達は障子や襖の前にでんと腰掛け、鶴姫が外に出られないようにまさに身体を張っている。
「お前たち!我の言うことが聞けぬと申すか!」
「しかし、姫様。これは、大祝様のお申しつけなのです」
「ええい、それは存じておる!」
鶴姫は地団駄を踏んだ。
「そなたらが我を邪魔したお陰で、あたら若武者が命を落とすやも知れぬのだぞ!どうしてくれるのじゃ!」
「そう申されましても……」
「私共は、姫様をここに留まらせるように申し付けられただけでござります」
流石は、大祝家に仕える女房達。
姫君が怒ろうが怒鳴ろうが、全く動じるものではない。
「――!」
鶴姫は、桜色の唇をきゅっと噛み締めた。
「もうよい!」
鶴姫は、ぷい、と女房達に背を向けた。
(――鶴丸。済まぬ)
女房たちに見せぬその顔には、忸怩たる思いが滲んでいた。
(鶴丸。決して父の言に篭絡されるでないぞ。よいな)
鶴姫は、心の中で兄に語り掛けるより他になかった。




