18.安用非情
「父上……その者は、もしや……」
安舎は呻き声を上げた。
「安舎。気付いておったか」
安用は、ちらりと安舎に視線を送った。
「はい。お鶴が生まれし日、産声が二度聞こえておりました故」
「左様か」
安用は鷹揚に頷いた。
「畜生腹故、一方を海に沈められたかと思いましたが……まさかに生かしておいでとは」
「それこそが、三島大明神と海神のお導きだったのであろうよ」
安用は尤もらしく頷いたものだ。
「父上!父上は、都合が良すぎます!」
鶴姫は金切り声を上げた。
「今この時まで、鶴丸を捨て置いたくせに!ようも都合よく、そんなことが言えまするな!」
鶴姫はだん、と勢いよく足を踏み鳴らして立ち上がった。
「これ、お鶴!落ち着け!」
「兄上も兄上です!どうしてこんな理不尽にご納得されるのですか!」
鶴姫は、なだめようとした兄にも噛みついた。
「父上は、鶴丸を捨てたのです!であれば、捨てたままにしておけばよい!それが人の道理というものです!何故にそうなされないのですか!我には納得できません!」
「お鶴よ。お前は鶴丸と親しくしておる故、目が眩んでおるのだ。世の道理はお前が考えるようなものではないし、これは女のお前が口出しするような話ではない!」
対する安用は、ばっさりと斬り捨てた。
「……」
鶴姫は、激しく父をねめつけた。
そして、おもむろに懐刀を取り出した。
「では、我は女を捨てまする!それならば文句は御座りますまい!」
「なに――?お鶴。そなた、何を」
安用が瞠目したその刹那。
鶴姫は、豊かな黒髪をむんずと掴むと、懐刀でもってばっさりと斬り落としたものだ。
「お鶴!」
「ばかな!」
父と兄は、鶴姫の暴挙に戦慄した。
「父上。これにて鶴は女ではなくなりました」
鶴姫は、斬り落とした髪をはらりと足元に落とした。
「さあ、お命じ下さりませ。我に、陣代のお役目を!」
「……やれやれ、全くお前という奴は」
安用は心底呆れたような溜息をついた。そして、
「髪を切ったからと言って、お前が真実男になれるはずもなかろう。何をしても無駄じゃ。諦めよ」
娘の願いをあっさりと拒絶した。
「父上!」
「ただ――お前が髪を切ってくれたお陰で、こちらもやりやすくなった。礼を申すぞ、お鶴」
「えっ?」
険しく眉根を寄せる鶴姫。
「誰か。弥次郎をここへ」
安用は、己の「計画」を形にすべく、弥次郎を呼び寄せた。
それから小半時後――。
弥次郎に伴われて、三人の男達が安用の居室の庭先に姿を見せた。
中津治右衛門と、その二人の息子だ。
(俺達、何で呼ばれたんだ?)
(さあ)
太郎次と鶴丸は、不安な視線を交わし合う。
(……)
鶴丸は、思わず頭巾に手をやった。
この後、何か尋常ではないことが起きる気がした。
鶴丸は、安用が弥次郎をして「赤子を海に沈めよ」と命じたことを知らぬ。
それは安用にとっては「もっけの幸い」であった。
もし鶴丸がそのことを知っていたら、彼はこの場には決して来なかったであろうから。
「三人とも。急に呼び立てて済まぬな」
安用の穏やかな声に、三人は片膝をついて畏まった。
「中津治右衛門。それに、その一子・太郎次か」
「はっ!」
「そして……」
安用は、ゆっくりと縁側まで出てきた。
「頭巾を被りしは、我が子鶴丸か」
(我が子?我が子だと?)
鶴丸は、込み上げてくる不快感を、どうにか奥歯で噛み殺した。
「鶴丸。この父に顔を見せてくれ」
安用は優しい声音で鶴丸を促した。
「……」
だが、鶴丸は片膝の上に手を置いて、俯いた姿勢を通した。
「鶴丸、如何した?」
怪訝そうな安用の声。
「――っ」
鶴丸は頭巾の中で、忌々し気に顔を歪めた。
何もかもが、不快だった。
「鶴丸。大祝様の仰せじゃ。頭巾を外せ」
見かねた治右衛門が小声で促した。
鶴丸は、ちらりと治右衛門の顔を窺った。
治右衛門は、眉根を密かに寄せてこちらを見ている。
(お前の気持ちはわかるが、ここは言うことを聞いてくれ)
治右衛門の目は、そのことを雄弁に語りかけていた。
「……わかった」
鶴丸は承諾すると、のろのろとした仕草で頭巾を外した。
そして、ゆっくりと眼差しを上げる。
目の前には、初老の域に達した、泰然とした男の姿。
これが、己が目で初めて見る、大三島の支配者。血を分けた父親。
そして。
産まれたばかりの己を、要らぬと言って捨てた男。
「おお、なるほど」
安用は、にやっと笑った。
「確かにその顔、我が娘と瓜二つじゃな」
「……」
まるで「良いものを見た」とでも言いたげなその態度に、鶴丸は思わず眉根を寄せた。
(一体、何をお考えなのだ、この方は)
鶴丸には、安用の思惑が読めない。
そんな鶴丸の心の内を知ってか知らずか。
安用は、上機嫌な様子で今度は治右衛門の方を向いた。
「中津治右衛門」
「はっ」
「まずは、我が息子をここまでよう育ててくれた。この安用、心より礼を申す」
安用は、治右衛門に向かって軽く頭を下げた。
「これは、勿体なきお言葉」
治右衛門は畏れ入って平伏した。
「ついては、その礼と言ってはなんだが、戦が終わり次第、銭と舟一艘を与えよう」
「えっ……それは、まことで」
「うむ。そこなる息子にも、舟を与える」
「あ、あの、俺にも、ですか?」
「そうじゃ。そなたは兄として鶴丸を慈しんでくれたのであろう?私からの心づくしじゃ」
「は、ははっ……」
治右衛門と太郎次は、ますます畏れ入ったものだ。
思わぬ褒美に、治右衛門と太郎次が顔を紅潮させる中――。
鶴丸の心は、急激に冷えていった。
(なんだ、この茶番は)
鶴丸は、遂に睨むように実の父を見上げた。
(あなたは、何を企んでいる――?)




