17.悲報
大山祇神社は、深い悲しみに包まれた。
「安房……」
「安房!」
安用は沈痛な面持ちで我が子の名を、安舎は悲しみに顔を歪めて弟の名を呼んだ。
戸板にぐったりと横たわった安房は、全身がびしょ濡れだった。
その青白く浮腫んだ顔が、彼の身に何が起きたのかを雄弁に物語っている。
――陣代として出陣した安房は、物言わぬ身となってここに戻って来たのだった。
「兄上!」
少女の魂切るような叫びが響いた。
遅れてやってきた、鶴姫だ。
「兄上……安房兄上……っ!」
鶴姫は、裾を乱して兄の亡骸に駆け寄ると、そのまますとんと膝をついた。
今朝、出陣の折。
『お鶴に触れられれば、百人力じゃ』
そう言って白い歯を見せた安房は、ぐったりと目を閉じたままだ。
「兄上、安房兄上!」
鶴姫は、安房の肩をゆさゆさと揺すった。
「兄上、鶴に御座ります。さあ、早うお目をお開け下さい!」
鶴姫は、必死に安房を呼び戻そうとした。
だが。
安房の目が、開くことはなかった。
「嘘じゃ……こんなの、絶対に嘘じゃ!」
鶴姫の双眸から、大粒の涙が零れ落ちた。
あの、優しくて雄々しい兄が。
どうして、こんなことに。
「お鶴、取り乱すでない」
安用は静かに娘を窘めた。
「父上!父上は悔しくはないのですか!」
鶴姫は涙を拭うことなく、屹と父を見上げた。
「言うな、お鶴」
安用は呻くような声を上げた。
「この父とて、忸怩たる思いじゃ。まさかに、安房がこのような姿で……」
安用の拳が、微かに震えていた。
「大祝様。まこと無念にござります」
副将を務めた侍は、顔を俯けたまま大きく肩を震わせた。
「何があったのじゃ。申せ」
「――は、はい」
安用に促された侍は、ぽつりぽつりと安房が命を落とした状況について語り始めた。
あの時。
「来島じゃ!」
「通康殿が来て下された!」
来島勢の到来に、三島水軍は大いに沸き立った。
「それ、攻めに転じるぞ!」
安房の下知の元、猛然と大内勢に挑みかかる三島水軍。
「儂も参るぞ!今こそ一気に片を付ける!」
「承知!」
安房の本陣も、周囲の船団と共に勢いをつけて前進した。
その最中――。
敵の船との交戦中、安房は敵の槍に煽られて船から落ちた。
「安房様!」
「陣代殿!」
慌てた三島勢が助けに向かう。
だが。
そこにいち早く辿り着いたのは、あろうことか敵の小早舟。
「おお、敵の大将じゃ」
「このまま海に返してしまえ」
大内の兵達は、何とか浮上してきた安房を櫂で押し、再び海へと沈めてしまった。
こうなると、人は己の力のみでは浮上出来ない。
「安房様あ!」
三島水軍は大内の船に阻まれて、大切な陣代が海に沈む様をただ見ていることしか出来なかった。
ややあって。
安房は、うつぶせの状態でぽっかりと上がってきた。
「死んだか」
「それ、首を取れ。大手柄ぞ」
勇躍した大内勢。
「おのれえええ!」
「陣代様を渡すなっ!」
三島水軍は、我も我もと海に飛び込み、必死で安房の身体を奪還した。
「安房様!」
「陣代様!お気を確かに」
安房を引き上げた兵達は、何とか蘇生を試みた。
だが。
安房の息は、戻らなかった。
「なんと……」
安房の最期を聞き届けた安舎は、天を仰いだ。
安用は顔を俯け、鶴姫は両手で口元を覆った。
「まさかに、我らが陣代が海に沈められるとは……っ」
「さぞや、安房様も御無念でござりましょう」
居合わせた側近たちは、皆俯いて肩を震わせた。
「……許せぬ……っ」
鶴姫の桜色の唇から、押し殺した怒りが漏れた。
「おのれ大内、この屈辱、我がきっと晴らしてくれる……っ!」
ぎりっ。
噛み締めたその唇から、血が滲んだ。
鶴姫は、袖で顔を拭うと、
「父上!お願いがござります!」
鋭い眼光を父に向けた。
安用はただ、怪訝そうに眉根を寄せた。
鶴姫はそれへ、並々ならぬ気迫で以て願い出た。
「このお鶴に、陣代のお役目をお申し付け下さりませ!」
「なんじゃと――!」
「お鶴!それはならぬ!女子の身で戦に出るなど!」
父は言葉を失い、長兄は妹の願いを即座に撥ねつけた。
僅か16歳の少女が。
自ら戦に出るなど。
まさに、前代未聞。
「お言葉ですが兄上。我が一族には、最早陣代として立てる男子はござりますまい!」
鶴姫は、眼光鋭く兄に迫った。
「そ、それは……」
安舎は思わず口籠る。
「であれば、我が陣代として出張るしかないではありませぬか!違いますか!」
「む、むう」
妹の気迫に、安舎はたじたじだ。
「父上、お願いです。どうかこの鶴に、陣代をお命じ下さりませ!」
鶴姫は、父の前に両手をつくと、深々と頭を下げた。
「いや。ならぬ」
安用は、冷え冷えとした声音で、娘の申し出を拒絶した。
「父上!何故です!陣代がおらねば、誰が我が三島水軍を束ねること叶いましょうや!」
鶴姫は言葉鋭く父に迫った。
その父は、口元を微かに緩ませた。
そして、意外な言葉を吐いた。
「ひとり、おるではないか。我が血を継いだ男子が」
「――!」
息を呑む鶴姫。
その顔が、見る見るうちに蒼白になる。
「父上――何を言うのです!あの者には何のかかわりも!」
「いや、ある!」
安用は力強く断言した。
「我らが三島大明神は、今日この時のためにその者を慈しみ育てて参られたのじゃ!」




