15.出陣前夜
その頃。
治右衛門とその二人の息子は、戦小屋にて戦いの準備に追われていた。
「おーい、油はあるか?」
「足りぬか。持って来るわ」
「壺も頼む」
「心得た」
「何じゃ、何もかも足らぬのか」
「久しく大戦などなかったからのう」
「それもそうじゃの」
集められた足軽達は、わいわいと語り合いながら、武器の準備を進めている。
三島水軍のみならず、瀬戸内の水軍の主な武器は、焙烙玉と火矢だ。
焙烙玉とは、小さな壺に油を入れ、火をつけて相手の船に投げ込んで火災を起こさせるもの。
火矢は、油を染み込ませた鏃に火をつけ、相手の船に向けて放つものだ。
「そこの二人は、矢を揃えておけ」
「はい」
命じられた太郎次と鶴丸は、せっせと矢を作っている。
「兄者。どれぐらい要るものかな」
「知らん。作れるだけ作るのが良かろう」
「わかった」
鶴丸は、頭巾を上から押さえて、顔の汗止めをした。
小屋の中は、人の息で妙に蒸し暑かった。
「ときに、前回、あいつらが来たのは何時じゃったかの」
「そうさのう。あれは確か、10年、いや、もっと前であったかの」
「なんと。そんなになるか」
「それでは若い者は知らぬことじゃな」
「まことじゃ。おい、お前ら。相手は立派な船で来る。腰抜かすでないぞ」
「お爺こそ、張り切りすぎて腰痛めるでないぞ」
「おっと、これは一本取られたわい」
小屋の中に、爺の笑い声がこだまする。
これから西国の雄・大内勢と命のやり取りをするというのに。
この男たちは、まるで気負う所がなかった。
どんどんどん。
どんどんどん。
物見櫓から太鼓の音が上がったのは、翌朝の事であった。
「来たか!」
治右衛門は布団から跳ね起きると、二人の息子を蹴とばした。
「痛っ!」
「蹴るな、親父」
寝ぼけ眼の息子たちは、むんずと首根っこを掴まれて、無理矢理起こされた。
「来たぞ!支度致せ!」
「!」
父のその一言で、太郎次と鶴丸の目が覚めた。
「腹が減っては何とやらです。今のうちにお食べなさい」
お寿は、用意していた握り飯を愛する家族の前に差し出した。
「お母。助かる!」
鶴丸は、早速握り飯に齧りついた。
「鶴、慌てると喉に詰めるぞ」
「むぐっ!」
「ほら、言わぬことではない」
太郎次は苦笑いと共に、柄杓の水を手渡してくれた。
ごくごくと、清水が鶴丸の喉を通り過ぎていく。
「はあ。助かった、兄者」
「やれやれ。初めての大戦というに、締まらぬ奴じゃな」
「はは……」
鶴丸は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「まあよい。さ、もう行くぞ。漕手を待たせては申し訳ないからの」
父に背を押され、兄弟は握り飯を片手に戦へと旅立つ。
(お前様。太郎次。鶴丸。どうか、三島大明神のご加護があらんことを)
家に一人残されたお寿は、戦いに向かう男たちの無事を祈った。
大山祇神社では、出陣の儀式が行われていた。
安用の正面には、陣代を務める安房。
その後ろには主だった将が顔を揃える。
皆の前に置かれた三方には、かわらけの盃がひとつ。
その盃には、神前にて浄められた酒が注がれていた。
安用は、社殿に恭しく畏まり、三島水軍の武運長久を願って祝詞を上げた。
そして、一同に向かって力強く鼓舞した。
「皆々。我ら三島水軍には、三島大明神様が付いておられる!存分に働かれよ!」
「はっ!」
一同、盃をくいっと煽ると、刀の柄でかわらけを壊した。
いざ、出陣――!
目で頷き合った一同が、まさに床几から腰を上げたその時。
「皆々様。お待ちを」
凛とした少女の声が、侍たちを引き留めた。
「おお」
「これは」
振り向いた諸将から、感嘆の声が上がる。
巫女装束に身を包んだ、鶴姫が姿を見せたのだ。
美しい面に、薄く化粧を施し。
目尻には丹を。唇にはつややかな紅を。
彼女が歩く度に、ちりん、ちりん、と巫女鈴が鳴る。
まるで、出陣前に今一度、侍たちに神の息吹をもたらすかのように。
「鶴姫様」
「どうか、神の娘たるあなたのご加護を」
居合わせた男たちは、美しい神の娘に熱い視線を送った。
「無論。我は、そのためにここに来たのじゃ」
鶴姫はそれへ、微笑みを持って応えた。
「兄上」
鶴姫は、まず安房の右手に触れた。
「どうか、ご武運を。大内など海の藻屑とならしめて下さりませ」
「うむ。必ずその期待に応えよう。お鶴に触れられたこの身、神が宿ったわ」
安房は快活に笑った。
鶴姫はそれへ微笑むと、控えて待つ諸将に順番に触れた。
鶴姫が触れた者は、戦で傷を受けない――。




