14.異変
その年の、6月。
この日も鶴丸は、鶴姫に乞われて木太刀の相手をしていた。
今日も鶴姫は、ありったけの力を持って鶴丸に挑んできた。
鶴丸はそれを受け止め、突き放し、時には攻めに転じた。
あくまでも、鶴姫に怪我をさせない範囲内において。
「鶴丸!もっと本気を出さぬか!」
「お鶴こそ、まだまだこのようなものではあるまい!」
「言うたな!では参る!」
「来い!」
二人は挑発しつつ、まるで踊るように打ち合いを愉しんだ。
――傍から見ると、まるで喧嘩をしているようにも見えるのだが。
鶴丸は、夕方になって家に戻ってきた。
「ふう……」
鶴丸は井戸端で顔を洗い、手拭いで汗を拭った。
夏はもう、すぐそこまで来ている。
「鶴丸。また、鶴姫様のお相手か」
家の中から、太郎次が姿を見せた。
「そうじゃ」
鶴丸は、滲む汗を拭いながら、小さく頷いた。
「どうなのじゃ、姫様の腕は」
「筋は悪くない」
「ほう。では、強いのか」
「女子にしてはな」
「そうか。それは勇ましいのう」
「だが、所詮は道場の剣じゃ」
「つまりは、戦で使える剣ではない、か。なるほどのう」
「そういうことじゃ」
鶴丸は、じゃぶじゃぶと音を立てて手拭いを洗い始めた。
「あの腕であれば、雑兵相手なら何とかなろうが――その前に、お鶴には人は殺せまい」
「さもあろうな」
太郎次は、したり顔で頷いた。
「お鶴は、我が身ひとつ守ることが叶えば、それでよかろう」
鶴丸は、手拭いをぎゅっと絞ると、井戸端に引っかけた。
そこへ。
「太郎次!鶴丸!」
血相を変えた治右衛門が戻ってきた。
「おお、親父」
「そんなに慌ててどうしたのじゃ」
のんびりと首を傾げる兄弟に、治右衛門は緊迫した声音で告げた。
「海に、異変ありじゃ!」
大内勢、襲来――!
その知らせは、先ほど戻ってきた物見からもたらされた。
「大祝様に申し上げます!大内の軍船、先ほど周防大島を出立し、真直ぐこちらへ向かってきております!その数、およそ100!」
「何――!」
知らせを聞いた安用は、思わず筆を取り落とした。
「それは、確かなのか?彼奴等は九州に向かっているのではないのか?」
安用は一縷の望みを胸に、念押しした。
「いいえ、その気配は全くござりません!」
「むう……」
安用は息を呑んだ。
大内義隆。
周防を本拠とする西国随一の大大名。
彼は周防大島を中心に強大な水軍を保持しており、度々大三島を、そして瀬戸内の海を我が物にせんと軍勢を差し向けてくる。
実に、厄介な相手だ。
(これは、急ぎ手を打たねばなるまい)
そう思い極めた安用は、直ぐに援軍要請の書状をしたため始めた。
その宛先は伊予守護・河野晴通だ。
「大祝様」
「何じゃ」
「伊予守様に助勢を頼んだところで、結局来るのは来島かと思いますが……」
「わかっておる。だが、立てるべきものを立てておかねば、後々面倒なことになる故な」
「まこと、歯がゆいことにて」
「それを言うな。では、頼んだぞ」
「はっ……」
書状を押し抱く側近を見つめながら、安用は雄弁な溜息をつく。
(全くもって、こやつの申す通りじゃ。伊予守様がもそっとしっかりして下されば、かようなことにはならぬのだがな)
三島水軍も来島・因島の村上水軍も、建付け上は河野氏の配下に組み込まれている。
本来ならば、その河野氏が先頭に立ってこの海を守るべきなのだが――。
河野氏は度重なる大内勢の攻勢に押されて力を失い、今では配下の水軍の陰に隠れて伊予に引き籠るばかり。
側近の言う通り、役に立たぬ河野氏を通すよりも、村上通康と直接話をした方が早い。
だが、そうはいかないのが戦国の世。
(力が全ての世とは申せ、なかなか、なかなか)
安用の唇に、じんわりと苦笑いが浮かんだ。
昨日までの穏やかさから一転して、大三島は異様な物々しさに包まれた。
それは、ここ大山祇神社も同様だ。
「何じゃ、どうしたのじゃ?」
社に戻った鶴姫は、頭を下げて行き過ぎようとした小者を引き留めた。
「私も詳しいことは知らぬのですが――どうも、戦の気配があるようです」
「なんじゃと……相手はどこじゃ」
「さあ……」
小者は困惑した様子で、小さく首を横に振った。
「わかった。呼び止めて済まなんだ」
鶴姫は小者を解放すると、その足で父の許へと向かった。
(一体、何が起きているのじゃ)
「父上!御無礼致します!」
鶴姫は、勢い良く障子を開いた。
「お鶴!」
安用は驚きの声を上げ、長兄の安舎は眉を顰めた。
その中で。
「お鶴。やはり来たな」
次兄の安房だけは、したり顔で頷いた。
その安房の出で立ちは、まごうことなき戦装束。
既に小手と佩楯を身につけ、後は甲冑さえ身に纏えばいつでも戦場に立てる状態だ。
「兄上……出陣なされるのですか」
「うむ」
安房は鷹揚に頷いた。
「今の大祝家で陣代を張れる男子は私のみ。私が行かずば誰が行くのだ」
安房は涼しい瞳を妹に向けた。
三島水軍の総大将は陣代と呼ばれ、大祝氏一門の男子が大祝職から委託される形でその任に当たる。
陣代には原則として大祝家の子息が指名されるのだが、跡継ぎはその候補から外される。
次代の大祝職になる者が、その手を血で穢すわけにはいかないからだ。
長兄の安舎は、昨年正式に次代の大祝職に指名された。
故に、此度の陣代を務めるのは、自ずと次兄の安房ということになる。
「して父上。相手は何処なのです?」
「知れたこと。大内じゃ」
「やはり……」
鶴姫はごくりと唾を飲んだ。
「あの御仁も、懲りぬ御方じゃ。まるで思い出したように攻めて来られる」
鶴姫が生まれる前の戦で、陣代として大内勢を撃退した安舎は乾いた声で笑った。
「兄上。大内殿は、さほどにこの島が欲しいのでしょうか」
「お鶴。それはな。この島が、神の島だからじゃ」
安用は、身体をゆすって娘に向き直った。
「大内がこの島を手に入れるということは、瀬戸内の海の民の心を奪うということじゃ」
「心を、奪う?」
「左様。我らが頂く大山積の神は、古の時代より海の民の信仰を集めてきた、ここは海に生きる者に取りて、まごうことなき心の拠り所。つまりは、そういうことじゃ」
「故に、我らはどうあってもここを守らねばならぬ」
安房は眦に力を込めた。
「我らの心を、陸の者に渡すわけには参らぬ故――!」




