13.打合
それから時は流れ、天文10(1541)年を迎えた。
二羽の鶴は、当年16歳になる。
「鶴丸。姫様の言伝じゃ。此度からは、木太刀を持参せよとの仰せじゃ」
ある日のこと、弥次郎は困惑気味に切り出した。
「木太刀、ですか?」
鶴丸は頭巾の中で瞠目する。
「うむ」
弥次郎は意味ありげな顔で、じっと鶴丸を見つめている。
(――よもや、これは)
久し振りに、何とはなしに嫌な予感がした。
弥次郎はにやっと笑うと、鶴丸の肩をぽんと叩いた。
「まあ、適当に相手してやってくれ。頼んだぞ」
「つるまるー!」
鶴姫は、相変わらず無邪気に駆け寄ってきた。
この日の鶴姫の出で立ちは、いつもの女性の小袖姿ではなかった。
額にキリリと巻かれた鉢巻。
ぎゅっと高い位置に結い上げた黒髪。
たすき掛けをした小袖。
その下には、男物の袴。
そして、手には使い古された木太刀。
実に凛々しくも勇ましい姿だ。
(やはり、そうか)
鶴丸は、ごくりと唾を飲んだ。
予感、的中だ。
「鶴丸!突然で悪いのじゃが、我に稽古をつけてたもれ」
鶴姫は、予想した通りの「おねだり」をしてきた。
「鶴姫様。どうして俺に?」
「安房の兄上が、多忙を理由に全く構ってくれなくなったのじゃ!我と真実稽古してくれるのは兄のみであったのに!」
鶴丸が理由を尋ねると、鶴姫は途端に仏頂面を突きつけた。
「しかし、姫様。お社には他の者もおりましょう」
「あの者たちでは、話にならぬ。あやつら、我に遠慮して手加減ばかりする故」
「それはそうですが……万が一、御身にお怪我でもさせたら、叱られるのはその者たちでは」
「そこじゃ。故に我も強くは言えぬのじゃ」
鶴姫は、言葉の端に苛立ちを込めた。
「我もほとほと困り果てていたのじゃが、昨日神事の折、ふとそなたの顔が浮かんでの」
「えっ、俺?」
「左様。これはきっと、三島大明神が双子の兄に頼めと仰せになったのじゃ!」
鶴姫は、満面の笑みでずい、と鶴丸に迫った。
「いや、それは絶対に気のせい」
「鶴丸!これは勿体なくも神のお告げぞ!我に稽古をつけてたもれ!」
鶴丸の言葉は、鶴姫の確信の前に儚くもかき消された。
「……」
頭巾の中で、鶴丸の顎が垂直に落ちた。
参った。
鶴姫は神の娘。
その娘が「神託を得た」と確信したのであれば、恐らくは何を言っても無駄だ。
(仕方ない)
鶴丸は、潔く諦めた。
(気取られぬように加減して、適当に力を引き出してやれば満足してくれる)
――と、思う。
鶴丸はそんな予測を立て、鶴姫の申し出を受け入れることにした。
「いざ!」
鏡写しの兄妹は間合いを取り合うと、木太刀を正眼に構えた。
(ふむ。基本通りか)
鶴丸は、そろりと右に足を踏み出す。
鶴姫も、それについてくる。
少し間合いを詰める。
鶴姫はすっと下がる。
鶴丸は、鶴姫の木太刀の切っ先を軽く叩いて牽制する。
鶴姫はよろけることなく、正眼の姿勢を維持している。
(なるほど。それなりの鍛錬は積んでいるようじゃな)
鶴丸は、切っ先を下げて鶴姫に誘いをかけた。
「やあ!」
誘いに乗った鶴姫は、素直に踏み込んできた。
鶴丸は打ち込まれた木太刀を峰で受け流す。
「小癪な!」
鶴姫は続けて攻撃を仕掛ける。
「なんの!」
鶴丸は、巧みに応戦した。
打ち合いの始まりだ。
(なるほど。鋭い太刀筋じゃ。安房様は、真面目に稽古をつけていたと見える)
鶴姫に打ち込ませながら、鶴丸は妹の力量を測った。
(そろそろ、攻めさせてもらうか)
鶴丸は、ぎゅっと足元に力を入れると、今度は反撃に転じた。
「くっ!」
鶴姫は即座に応じる。
かんかんかん、と小気味よく木太刀が鳴る。
(なるほど。これはついてくるのじゃな)
鶴丸は、少しずつ打ち込みの速度を上げてくる。
鶴姫が何処までついてこれるかを、確かめたくて。
「ええい!じれったいぞ鶴丸!」
鶴姫が苛々とし始めた。
どうやら、手加減されていると思ったようだ。
(ほう。これを手加減と思うのか)
鶴丸は、眉を上げた。
(では)
鶴丸は、更に速度を上げた。
鶴丸の武器は、敏捷性とそこからもたらされる攻撃の早さ、そして正確な太刀筋だ。
(では、これはどうじゃ)
鶴丸は、足を使い始めた。
正面からだけではなく、その場全てを使って鶴姫に攻撃を仕掛けるつもりだ。
「うわ!」
鶴姫から戸惑いの声が上がった。
(なるほど。所詮は道場での鍛錬のみか)
鶴丸は目を細める。
(つまりは――人を殺す刀など持っていないということじゃ)
鶴丸は、不意に足を止めた。
そして、高揚する心のままに、不遜な態度に出た。
「いい加減、攻め飽きたわ。今度はお前の番じゃ。来い、お鶴!」
全く意識せぬままに。
するりと口から出たその言葉。
「え」
鶴姫は、心底驚いたような顔をした。
「鶴丸。今、何と?」
「えっ……あっ!」
鶴丸の頭上から、盛大な冷や水が落ちてきた。
しまった――!
調子に乗った!
あろうことか、鶴姫様を、お鶴よばわりした上に。
しっかりと挑発までしてしまった――!
鶴丸の背中を、冷汗がするりと流れ落ちた。
「も、も、申し訳ござりませぬっ!」
鶴丸は弾かれるように土下座した。
「畏れ多くも鶴姫様に対し、大変御無礼致しましたっ!」
鶴丸は地面に額を擦りつけた。
「あははっ」
頭上から、鶴姫の快活な笑い声が聞こえてきた。
「鶴丸。何を畏れておる。前々から申しておる通り、そなたは我が兄ぞ」
ふわっ、といい匂いが鶴丸に触れる。
「鶴丸。我は嬉しいのじゃ。そなたは今この時、やっと、お鶴と呼んでくれた」
たおやかな手が、鶴丸の手を取り上げる。
「そればかりではない。我に対して、やっと普通の言葉で話してくれた。我はそなたとこのような関係になるのを、ずっと待っておったのじゃ」
「……」
鶴丸は、おずおずと顔を上げた。
そこには、まさに太陽が輝いていた。
「鶴姫様……」
「鶴姫は禁止じゃ。お鶴と呼んでたもれ」
「……」
「鶴丸。我は傅かれることには飽きたのじゃ。そなたは我と同じところに立っていてほしいと願う」
この世でたった二人。
同じ日、同じ時に、同じ女の腹から生まれた兄妹であるのだから。




