11.黒糖
「つるまるー!」
兄の姿を認めた鶴姫は、満面の笑みで大きく手を振ってきた。
全く、良家の姫とは思えぬあけすけな振舞だ。
(やれやれ)
鶴丸は頭巾の中で小さく溜息をついた。
(俺はいつまで、姫様の気紛れに付き合わされるのであろうか)
そんな鶴丸の心のうちなど知る由もなく、鶴姫は変わらず上機嫌だ。
「鶴丸。早うこちらに参れ」
鶴姫は、自らの隣をぽんぽんと叩いて、強引に鶴丸を座らせる。
「今日は、珍しき菓子を持って来たのじゃ!」
鶴姫はにこにこ顔で、傍らから巾着袋を取り出した。
その中には、陶器製の、蓋がついた小さな入れ物。
(なんじゃ、これは)
鶴丸は訝し気に眉を寄せた。
「うふふ。かような小さきものに何があるか、不思議であろう?」
鶴姫は、悪戯っぽく目元を緩めた。
その白い指が、かぱっと蓋を開ける。
すると。
そこには、茶色くてごつごつしたものが、何個も。
「姫様。これは?」
「黒糖じゃ」
「黒糖……?」
「うむ。がんじょうなるものの汁を煮詰めて、このような形にするらしい」
「その、がんじょう……とは?」
「さてのう。我にもわからぬ」
鶴姫は、「あはは」と声を立てて笑った。
「ともかくも、これは明で作られたものじゃそうな。先だって、因島の者が我が社に立ち寄りし折、土産に置いて行ったのじゃ」
「へえ……」
「鶴丸。手を出せ」
鶴丸は、言われたままに右手を出す。
ころり。
陶器の入れ物から、黒糖が転がり出した。
「食してみよ。甘くて頬が落ちそうになるぞ」
鶴丸は、黒糖をつまみ上げると、まず匂いを嗅いだ。
「これ、何をしておる!」
「あっ……すみません、得体の知れぬものだったので、つい」
「得体の知れぬものとは何じゃ!折角そなたのために持って来たというのに」
「えっ」
鶴丸の表情が、止まった。
(この珍しきものを、俺のために……?)
「鶴丸。如何した?」
鶴姫は、小首を傾げた。
「いえ……では、有難く頂戴致します」
「うむ。我も一緒に食す故」
鶴姫は、先に黒糖を口に入れた。
「んーっ!甘いっ!」
途端にその表情が幸せそのものになった。
「……」
鶴丸も、思い切って黒糖を口に含む。
「んっ!」
その目が、驚きに見開かれた。
まず最初に来たのは、ほろ苦さ。
次に、滋味深く、優しい風味。
そして、舌を刺激する強烈な甘み。
「甘い!これは不思議な!」
「ふふ。そうであろ?一度口にしたら忘れられぬ味じゃ」
目を輝かせた鶴丸に、鶴姫は嬉しそうな顔で頷いた。
「実はの。これを父から貰った時に、真っ先に鶴丸の顔が浮かんだのじゃ」
「俺の……?」
「そうじゃ。鶴丸は絶対に喜ぶと思うてな」
「……」
「なんじゃ、その顔は」
「あ、いえ、何でもありません」
「鶴丸。これはそなたにやる」
鶴姫は、にこにこ顔で陶器の蓋を締めると、巾着袋ごと鶴丸に押し付けた。
「いえ、かような高価なものを、頂戴するわけには参りません」
鶴丸は、慌てて押し返した。
「何を申す。そなたの家族にも食わせてやればよいではないか」
「えっ」
「過日は、突然押しかけて治右衛門たちに迷惑をかけた。これはその時の詫びじゃ」
鶴姫の表情は、真剣そのものだった。
鶴丸は、巾着袋を押し付けられながら、内心瞠目していた。
(お転婆で強引で我儘な姫君と思うておったが――こんな気遣いをするところもあるのじゃな)
そういえば――。
鶴丸は、初めて鶴姫と会った時のことを思い出す。
あの時鶴姫は、「鶴丸の顔には酷い火傷痕がある」という嘘を信じた。
それで、例えそうであっても、武士として働く分には何の問題もないと励ましてくれたのだ。
(――この方は、初めから優しかったのだ)
「そういうこと故、鶴丸。これは是非にも受け取ってたもれ」
鶴姫は、懇願するような眼差しになった。
何だがその必死な姿が可笑しくて、
「ははっ」
鶴丸は、思わず破顔した。
「何じゃ。何故笑う」
口を尖らせた鶴姫。
「あっ、これは御無礼を」
鶴丸は慌てて咳払いをする。
「それはよい。何が可笑しかったのじゃ」
「それは申せません」
「何故じゃ」
「言うたら、お怒りになるでしょう」
「怒らぬ故、申せ」
「本当に?」
「本当じゃ」
「では、申します」
「うむ」
「鶴姫様が、どうにかしてこれを俺に受け取らせようとしているお姿が、何だかとても」
――可愛らしくて。
そう言いさした鶴丸は、慌てて口を噤んだ。
(俺は今、何を)
「何だかとても?その続きは何じゃ」
「あ、いえ、何でもありません」
鶴丸は、そんな鶴姫からおどおどと視線を逸らす。
「何でもないことはなかろう。事実、何か言いかけたではないか」
「え、えと」
鶴丸の顔が真っ赤になった。
「さ、申せ。何を言われても怒らぬ故!」
鶴姫は、瞳をキラキラさせて、鶴丸の次の言葉を待っている。
(これは、どうでも言わされる)
観念した鶴丸は、遂に口を開いた。
「あ、あの」
「うむ」
「その、鶴姫様のなさりようが、とても、可愛いと……」
消え入りそうな小さな声で、打ち明けた。
「……」
鶴姫の顔が、鳩が豆鉄砲を食ったようになった。
次の瞬間。
「あああ!」
その桜色の唇から、感嘆の声が漏れた。
「鶴丸!」
「は、はい」
「今、何と申した!もう一度、申してみよ!」
「あ、えと、何を」
「もう!我に言わせてどうするのじゃ!わかっておるくせに!」
「……」
「早う!」
「なさりようが、可愛い……という、あれですか?」
「ああああ!つるまる!そなた、女心がわからぬにも程がある!そんなことだから、女子のひとりも出来ぬのじゃ!」
「お言葉ですが、それとこれとは別の話ではありませんか」
珍しく、鶴丸が口答えをした。
「ほう、そうか?そなたのような朴念仁、残念過ぎるわ!」
「何を仰います!俺のことなど何も知らぬくせに!」
「しかし、事実であろうが!」
「違います!」
「では、どう違うのじゃ!」
「俺にだって、意中の女子の一人や二人……」
「ほう」
ぴくっ、と鶴姫の右眉が動いた。
(……しまった)
鶴丸は、慌てて両手で口元を塞いだ。
何ということだ。
うっかり意中の女子などと口走ってしまったが。
実際のところは、あの娘ちょっと可愛いな、と思った程度のことだったのに。
時は既に遅し。
鶴丸はこの後、その女子について根掘り葉掘り訊かれる羽目に陥り。
この日も家に戻った後で、太郎次の胸になだれ込むことになったのである。




