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10.鶴丸受難

 弥次郎(やじろう)が来たのは、その10日ほど後のことだ。

 「鶴丸。鶴姫様からの言伝(ことづて)じゃ」

 弥次郎は、鶴姫が指定した待ち合わせ場所を伝えてきた。

 (ついに来たか)

 鶴丸は、微かに眉を(しか)める。

 「ふっ。お主、やはり迷惑か」

 「あ、いえ」

 「安心せい。姫には言わぬ」

 「はあ」

 「お主もわかっておると思うが、鶴姫のあの御気性じゃ。(いさぎよ)く諦めよ」

 弥次郎は、ぽん、と鶴丸の肩を叩いた。

 

 「つるまるー!」

 待ち合わせ場所に行くと、そこにいたのは満面の笑みを浮かべた鶴姫だ。

 「鶴姫様。お待たせして申し訳ござりませぬ」

 片膝を付こうとした鶴丸を、

 「鶴丸。やめよ」

 鶴姫は静かに制した。

 「我とそなたは兄妹じゃ。二人だけの時は対等でありたい」

 「ですが……」

 「我が構わぬと申しておる。さ、こなたへ」

 鶴丸は、渋々と鶴姫の隣に腰掛けた。


 鶴姫は、喋りたいことを喋り続け、鶴丸は(もっぱ)ら聞き役だった。

 鶴丸は訊かれたことにだけ答え、それ以外は無言を通した。

 鶴丸には話したいことなどなかったし、話すべきものも持ち合わせていなかった。

 ただ、早くこの場が終わればいい。

 それが鶴丸の、偽らざる気持ちだった。


 「ときにそなた、惚れた女子はおるのか?」

 鶴姫は、唐突にそんなことを訊いてきた。

 「いえ、特には」

 鶴丸は素っ気なく答えた。

 「左様か。案外つまらぬ男じゃの」

 鶴姫は、鶴丸の胸をちくりと刺した。

 (つまらぬ男……だと?)

 鶴丸は、反射的に妹をちろりと睨んだ。

 (全く、ずけずけと物を申す女子じゃ)

 

 「鶴丸。我には許嫁(いいなづけ)がいるのじゃ」

 そんな鶴丸の様子など気にも留めず、鶴姫の頬がほんのりと紅潮した。

 「元々は、親同士が決めたことなのだが――これが何というか、会うてみたら、案外良きお方での」

 「はあ」

 「身体は我より大きくて、(たくま)しくて、凛々(りり)しい若武者振りでな。しかも、(こと)の外お優しいのじゃ」

 鶴姫は、両手で頬を抑えた。

 「もう、我は三島大明神に感謝したぞ。よくぞこの殿方と、我を結び付けてくれたものよと」


 鶴姫は、恍惚(こうこつ)とした表情で武丸(たけまる)との甘い恋をのろけ倒した。

 少しでも段差があるところでは、優しく手を差し伸べてくれる。とか。

 会えずに淋しく思っていたところに、武丸の歌が届いた。とか。

 文を送れば、必ず返してくれる。とか。

 先日談笑した際には、夫婦になったら厳島(いつくしま)に行こうと言ってくれた。とか。

 その熱量と来たら、まさに犬さえも胸焼けしそうなほどだ。

 

 (はあ……)

 鶴丸は、うんざりとした顔のまま、ただただ妹ののろけ話を聞かされている。

 (お母は、好いた男が出来れば、姫はそちらに夢中になると申した)

 (だが、既にこれほど熱烈に好いた男がいるではないか)

 (ということは……)

 

 俺はひょっとしたら、鶴姫から一生逃れられないかも知れない。

 

 (何ということじゃ)

 鶴丸は、がっくりと項垂(うなだ)れた。

 「鶴丸。如何した?」

 「あ……鶴姫様のお幸せなご様子に、胸が一杯になりまして」

 「まことか!では、我と武丸さまのことを、もっと聞かせようぞ」

 鶴丸の言葉を真に受けた鶴姫は、更にのろけてみせた。


 (……勘弁してくれ)


 

 「ただいま……」

 鶴丸は、げっそりとした様子で家に戻ってきた。

 驚いたのは、太郎次(たろうじ)だ。

 「鶴丸。何じゃ、その顔は」

 「はあ……兄者」

 鶴丸は、兄の逞しい胸になだれ込んだ。

 「どうした、熱でもあるのか?」

 「いや、身体は何ともない」

 「では、どうしたのじゃ」

 鶴丸は、情けなく眉尻を下げて、太郎次を見上げた。

 「兄者。俺は、もう耐えられぬ」

 「はあ?」

 「今日は延々とのろけ話を聞かされた。もううんざりじゃ」

 「ああ、鶴姫様か」

 「そうじゃ」

 「それは、災難だったのう」

 「そっけなくしても気付かぬ。嫌味も効かぬ。もう、俺はどうしたらいいのかわからぬ」

 鶴丸は、珍しく弱音を吐いた。

 「ははは。さてもさても、鶴丸がかように弱るとは珍しい」

 「兄者、笑い事ではないぞ!」

 「わかったわかった。そうむくれるな」

 太郎次は、鶴丸の背中を優しくさすった。

 「鶴丸よ。俺は思うのだが、お前が話を聞いてやるからいけないのではないか?」

 「それは、どういうことじゃ」

 「鶴姫様は、お前に聞いてもらえるから、延々と喋り続けるのではないかと思うてな」

 「そうであろうか」

 「次に会うた時は、お前の方から何か話してみるのはどうじゃ」

 「え、俺から?」

 「試してみる価値はあると思うぞ」

 「兄者。俺から話すことなど、何もないぞ」

 「何でもよいではないか。相手は姫君。しかも好奇心の(かたまり)じゃ。お前のことなら何でも食いつくと思うぞ」

 「で、あろうか」

 「鶴丸。お前らしくもないの。四の五の言わずに試してみよ」

 太郎次は、今度は鶴丸の背中をばしん、と叩いた。


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