9.鶴姫襲来(2)
「むう」
鶴姫は、小さく唸った。
鶴丸と鏡写しの、美しい顔が微かに曇り。
右手の親指が、桜色の唇に押し当てられた。
ややあって。
ふと、その眦が緩んだ。
まるで「いいことを思いついた」と言っているかのように。
「……」
鶴丸の心に、不安がせり上がる。
――もう、勘弁してくれ。
「鶴丸」
「は、はい」
「そなたは先ほど、我がこの家に来るのが問題と申した」
「……はい」
「であれば、人目につかぬ、何処か別の場所なら構わぬと理解したが、如何じゃ」
「あの、鶴姫様。そうではござりませぬ」
「何じゃ。違うのか」
「我らがこうして顔を合わせること自体が、問題なのです!」
「それは、何故じゃ。身分が違うからか?」
「それもあります」
「鶴丸。さては他に何か含みおるか」
「……っ」
「有体に申せ」
鶴姫は、厳しい口調で迫った。
「……」
鶴丸は、思わず顔を伏せた。
鶴姫の問いには、明確な答えがある。
だが、それを口にするのは、どう考えても違う。
少なくとも、鶴姫に聞かせるような言葉ではない。
でも――。
鶴姫は、賢い。
下手な言い逃れをすれば、即座に見破ってしまうだろう。
鶴丸は、観念した。
どうあがいても、結局はそのことを言わされる気がしたのだ。
「――あなた様と俺は、同じ父母を持ち、同じ時にこの世に生まれ落ちました」
鶴丸は、ぼそぼそとした声で語り始めた。
「口にすることさえ憚られますが――俺たちは、畜生腹。神を戴く家の子でありながら、不吉と断ぜられた子です」
「……!」
鶴姫が息を呑む音が聞こえた。
「神はあなたを選び、俺は選ばれなかった。これが、どういうことかわかりますか?」
鶴丸は、まるで仇を見るような目で、妹を見つめた。
「俺は、要らぬ子。むしろ、産まれぬ方が良かった子――そう断ぜられた者が、どうして選ばれた者と……」
後は、言葉にならなかった。
すっ。
鶴姫の顔が、蒼ざめた。
桜色の唇が、わなないた。
――やはり、怒らせたか。
鶴丸は、そう確信した。
かくなる上は、どのような言葉も受け止めよう。
鶴姫は立ち上がると、足音を鳴らして鶴丸に近づいた。
履物をはいて土間に降りる。
そして、鶴丸の前に両膝をつくと、鏡写しの顔をずい、と突きつけた。
「言いたいことは、それだけか」
「え、あ、はい」
「ならば我も、言わせてもらうぞ」
鶴姫は、美しい眉を跳ね上げると、こう言い放った。
「畜生腹も何もかも、結局は神が許された事ではないか!」
「――!」
鶴姫の剣幕に、鶴丸は驚愕した。
あろうことか。
神職の娘は、神職である父が考えた神の理を、ものの見事にひっくり返したのだ。
「だって、そうであろう。もしまこと我らが穢れし者ならば、神がこの世に生まれ出ることさえお許しにならなかった筈じゃ。そなた、そうは思わぬか?」
「は、はあ」
「じゃが、神は我ら二名に命を与えられた。これこそが、神の御意志ぞ!我らに、ここで生きよと申されたのじゃ!違うか、鶴丸!」
「……」
鶴丸は、小さく口を開けて、ぷりぷりと怒る妹を見つめるばかりだ。
鶴丸ばかりではない。
治右衛門も、お寿も。
まるで呆けたように、鶴姫を見つめていた。
言うだけ言って気が済んだのか。
鶴姫は、すっくと立ちあがると、威圧的に鶴丸を見下ろした。
「とにかく、我が父が何と言おうと、我らは血を分けた兄妹じゃ。良いな鶴丸」
「えっ……あっ」
最早、鶴丸には返す言葉さえ思いつかない。
「だが、確かに我のせいで治右衛門に迷惑をかけるのは本意ではない。以後、ここには顔を出すのは控えよう」
「……」
「鶴丸。何処か良き場所はあるか?」
「あのう、鶴姫様」
「お鶴で良いと申すに」
「お言葉ですが、それは些か」
「左様か。で、何じゃ」
「俺も一応、侍の子なので、色々とやることがあります」
「うむ」
「ですので、いつお会いできるとは、お約束致しかねます」
鶴丸は、今度はやんわりと断りにかかった。
「左様か。我も神事や家のあれやこれやがある。約束できぬのは、我も同じじゃ。気に致すな」
鶴姫は、無邪気な笑みを浮かべた。
(駄目だ。断れぬ)
鶴丸は、がっくりと肩を落とした。
「そうじゃ」
鶴姫は、何か思いついたようにぽん、と手を叩いた。
「そなたら、弥次郎を存じておるな」
「は、はい」
「うむ。では鶴丸。弥次郎を通して、我ら連絡を取ることに致そう」
「えっ……」
「我はそろそろ戻る。では、楽しみにしておるぞ」
鶴姫は勝手に決めてしまうと、さっさと帰ってしまった。
「親父」
「何じゃ」
「俺は、どうしたらよいのじゃ」
「暫くは、付き合ってやるより他にあるまい」
「……」
「まあまあ、相手は姫様。気が済んだら、自然と足が遠のきますよ」
悄然とする息子を、お寿はそんな言葉で慰めた。
「お母。姫はまこと飽きてくれるか?」
「ええ。あの御気性なら、好いた男でも出来れば必ずそちらに夢中になりましょう」
「そうか……確かにそうかも知れぬ」
鶴丸は、母の言葉に一縷の希望を見出した。
妹の情熱は、鶴丸にとっては、迷惑だ。




