5話 初めての贈り物です
翌朝、メイドのリリーに丁寧に身支度を整えてもらった私は、彼女の案内で広い屋敷を巡った。
すれ違う使用人たちは、誰もが作業を止めて温かい挨拶を向けてくれる。
私の顔にある呪痕を見ても、嫌悪感を示すどころか、誰一人として眉をひそめることさえしなかった。
やがて昨夜の食堂の前へと案内されたとき、ふと、サイラスの言葉が頭をよぎった。
(……いつか話す、か)
ただ待っているだけでは、何も変わらない。
それに、彼から温かい言葉や居場所をただ与えられるばかりの存在では、いたくなかった。
「リリー、少しの間、厨房をお借りしてもいいかしら?」
「厨房……でございますか?」
リリーは一瞬きょとんと驚いた様子を見せたけれど、すぐにと明るくうなずいてくれた。
——小一時間後。
私は、伯爵邸の執務室の前に立っていた。
手元にある小さなお皿を見つめ、緊張で硬くなった指先で、コン、コン、と遠慮がちに扉をノックする。
「エリシアです。……入ってもよろしいでしょうか?」
短い沈黙の後、「入れ」と低く落ち着いた声が返ってきた。
そっと扉を開けると、デスクに向かっていたサイラスが書類から顔を上げ、私を見た。
その視線が、私の手元にある小皿へと落ちる。
「あの……厨房をお借りして、クッキーを焼きました。もしよろしければ、召し上がってください」
おずおずと差し出すと、彼はしばらく無言のまま、私の差し出した小皿を見つめていた。
「……菓子作りが、できたのか」
「はい。実家では人目につかないようにと外出を制限されていたので……いつの間にか、料理やお菓子作りばかりしておりました」
口にしてから、急に恥ずかしさが込み上げてくる。
貴族の令嬢が自ら進んで厨房に立つなど、本来なら品を疑われる行為だろう。
「伯爵家の奥方としては、少し不釣り合いな趣味、ですよね……」
「そんなことはない」
サイラスは迷いのない声で否定すると、そっとクッキーを一枚指先でつまんだ。
口元へ運び、さくり、と軽やかな音を立てて食べてくれた。
その表情は相変わらず冷ややかで、美味しいのかどうかさえ読み取れない。
けれど彼は、飲み込むと同時にもう一枚、すぐにクッキーを手に取った。
(……美味しいって、思ってくれたのかな)
ただそれだけの無言の肯定が嬉しくて、私の胸の奥がほわりと温かくなった。
「あの、サイラス様」
「なんだ」
「昨夜のことですが……。もし、私が何か大切なことを忘れてしまっているのだとしても……」
私はクッキーの小皿をテーブルに置き、まっすぐに彼の青い瞳を見つめた。
「あなたの優しさには、ちゃんと気づいています。だから、私も……少しずつ、あなたのお役に立てるようになりたいです」
サイラスはクッキーをつかもうとしていた手を止め、私を見た。
その瞳の奥に、昨夜と同じ複雑な色が揺れる。
「……役に立つ、などと思わなくていい」
「でも、私は居候のようなものですし……」
「エリシア」
遮るように、けれど切実な想いをこめたように私の名が呼ばれた。
「ただ、ここにいてくれればいい。……私のそばにいろ」
「え……?」
彼は引き出しを開けると、小さな黒い箱を取り出した。
「……これを」
「えっ……」
「開けろ」
思わずその箱を手に取り、促されるまま蓋を開ける。
そこには、見るも鮮やかなピンクダイヤモンドのネックレスが入っていた。
「エリシアに贈る」
「……こ、これ、ものすごく高価なものですよね!? こんなもの頂くわけには……」
「肌見放さず身につけていろ。必ずだ」
「は、はい……」
サイラスは再び、机の上にあった書類を手に取り、視線をそこに落とし続けた。
私はそれ以上言葉をかけることができず、執務室を後にした。
静かな廊下に出た瞬間、トクン、と大きく跳ねた胸に手を当てる。
(ただ、ここにいてくれればいい……)
義務でも、憐れみでもない。彼の本心が滲み出たようなその言葉。
それが、じわじわと心の奥深くまで染み込んでいく。
呪痕のある頬が、なぜか今はひどく熱を帯びていた。





