1534年11月1週目。大友の姫君達が遊学の為に八郎の薩摩川内入り。道中の市の賑わいや話会、兵の鍛錬、見るものすべてが新鮮。
時を同じくして、大友の姫君たちも薩摩川内へ入った。
遊学のためである。
女中、護衛、文箱、衣、薬箱。
大友の本拠を出た時には、どこか物見遊山のような空気もあった。
だが、八郎領へ近づくにつれ、姫君たちの表情は少しずつ変わっていった。
道沿いに、荷を運ぶ者が多い。
米俵、薪、味噌樽、干物、布、野菜。
それを担ぐ者たちの顔が、思ったより暗くない。
疲れてはいる。
だが、諦めた顔ではない。
市に近づくと、さらに空気が変わった。
湯気。
味噌の匂い。
焼き芋の甘い匂い。
子どもの声。
商人の呼び込み。
湯浴み釜の前に並ぶ者。
寺社市の札を読む者。
米を持って支払いに来る農民。
姫君の一人が、馬上から小さく呟いた。
「佐土原とは、また違いますね」
別の姫君が頷く。
「佐土原は、立ち上がりかけでした」
「ここは、もう回っております」
「人の表情が違います」
護衛の侍も思わず周囲を見る。
「これほど市が常に動いているとは」
「豊後の湊とはまた違いますな」
姫君は静かに答えた。
「湊ではなく、暮らしの中に市が入っております」
「飯を食べる」
「湯に入る」
「借金を返す」
「少し物を買う」
「それが同じ場所で回っているのですね」
一行は本拠へ向かう途中、いくつかの市を見た。
小さな寺社市。
大きな市。
湯浴み場。
飯場。
焼き芋屋。
話会の札が立っている場所もあった。
「九州面白話の会」
その札を見て、姫君たちは顔を見合わせた。
「これは何でしょう」
案内役が苦笑しながら答えた。
「八郎様が始められた娯楽でございます」
「旅商人や船乗り、話のうまい者に話をさせ、客が面白ければ竹串を入れます」
「竹串一本五文で、おひねりになります」
姫君は興味深そうに頷いた。
「話に銭をつけるのですね」
「はい」
「笑いにも、情報にもなります」
「まだ試しながらですが、意外と人が集まっております」
姫君は文箱を軽く押さえた。
これは父へ書かねばならぬ。
そう思った。
佐土原で見た証文破りは、強烈だった。
だが、薩摩川内で見たものは、もっと静かで、もっと根深い。
すでに仕組みが生活の中に入っている。
借金を消す一瞬の感動だけではない。
その後の暮らしが、明るくなっている。
それが分かった。
一行がさらに進むと、今度は別の音が聞こえた。
怒号。
木槍の打ち合う音。
盾を叩く音。
土を蹴る音。
姫君たちは足を止めた。
広い訓練場で、八郎軍の兵たちが島津本家の侍にしごかれていた。
「遅い!」
「前に出すぎるな!」
「槍を揃えろ!」
「倒れた者を見捨てるな!」
八郎軍の兵が次々と転がされる。
立ち上がった瞬間にまた崩される。
それでも、島津の侍は容赦しない。
姫君の一人が、思わず息を呑んだ。
「あんなに激しいことをしているのですか」
案内役が頭を下げる。
「十一月より、島津本家の侍衆に来ていただいております」
「八郎軍を鍛えるためでございます」
「八郎様は、うちの軍は勝ってきたが、強いわけではない、と」
「飯を炊き、米を買い、敵を眠らせず、策で勝ってきた」
「しかし、それだけでは大きな相手には足りない」
「だから冬のうちに、しごいていただくのだと」
姫君は静かに訓練場を見つめた。
兵たちは苦しそうだった。
だが、飯場には湯気が立っている。
訓練の後に湯浴みもあると聞いた。
ただ潰すのではない。
鍛え、食わせ、湯に入れ、また立たせる。
「弱点を、分かっておられるのですね」
姫君は呟いた。
「勝っているから強いのではない」
「勝った理由を分かっている」
「だから、次に備える」
その言葉に、護衛の侍も頷いた。
「恐ろしいことです」
「自分たちの弱さを見て、冬の間に直そうとしている」
「戦だけ見れば、島津に鍛えられている弱い軍」
「ですが、飯と湯と銭があれば、四か月で変わります」
やがて一行は八郎の本拠へ着いた。
八郎は、兄たちとともに出迎えた。
「遠いところ、ようこそお越しくださいました」
姫君たちは丁寧に頭を下げる。
「こちらこそ、遊学を受け入れていただき、ありがとうございます」
八郎は頷いた。
「佐土原では立ち上がりを見ていただきました」
「ここでは、回っている市を見てください」
「飯屋」
「湯浴み」
「寺社市」
「焼き芋屋」
「話会」
「それから、島津本家の侍衆による訓練」
「いろいろあります」
三郎が横で笑った。
「八郎がまた変なことを増やしてます」
五郎も続ける。
「話会は、まだ試し試しです」
「焼き芋はもう売れてます」
「うなぎは、今ちょっと研究中です」
姫君の一人が微笑んだ。
「うなぎまで」
八郎は真面目に答えた。
「骨を取れば、もっと食べやすくなります」
「食べやすくなれば、銭になります」
「銭になれば、借金が減ります」
姫君たちは思わず笑った。
「ああ」
「佐土原で聞いた通りです」
「全部つながっているのですね」
八郎は胸を張った。
「はい」
「順繰りです」
その後、姫君たちは用意された館へ通された。
館は広すぎず、しかし清潔で、女中が動きやすいように整えられていた。
湯浴み場も近い。
文を書く部屋もある。
護衛の詰所も用意されていた。
姫君たちは荷を解きながら、しばらく黙っていた。
やがて一人が文箱を開ける。
「父上には、どう報告しましょう」
別の姫君が窓の外を見る。
遠くから、市の声が聞こえる。
さらに遠くから、訓練の掛け声が聞こえる。
「佐土原で見たものは、始まりでした」
「ここで見たものは、続きです」
「市は立ち上げるだけではなく、暮らしに染み込ませるもの」
「兵は勝った後に強いと思い上がらせず、弱さを見せて鍛えるもの」
「飯と湯と笑いと訓練が、同じ領で動いております」
姫君は筆を取った。
義鑑へ送る最初の文には、何を書くべきか。
一千万文が小さく見えるほどの利益。
証文が破られる音。
湯浴みで明るくなる顔。
話会で笑う民。
島津に叩きのめされる八郎軍。
そして、そのすべてを平然とつなげる四歳児。
姫君は小さく笑った。
「父上」
「これは、思ったより長い文になりそうです」
そう言って、最初の一行を書き始めた。
――八郎領は、佐土原で見た毒が、すでに薬として民の暮らしに染み込んでおります。




