表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
493/649

1534年11月1週目。大友の姫君達が遊学の為に八郎の薩摩川内入り。道中の市の賑わいや話会、兵の鍛錬、見るものすべてが新鮮。

時を同じくして、大友の姫君たちも薩摩川内へ入った。

遊学のためである。

女中、護衛、文箱、衣、薬箱。

大友の本拠を出た時には、どこか物見遊山のような空気もあった。

だが、八郎領へ近づくにつれ、姫君たちの表情は少しずつ変わっていった。

道沿いに、荷を運ぶ者が多い。

米俵、薪、味噌樽、干物、布、野菜。

それを担ぐ者たちの顔が、思ったより暗くない。

疲れてはいる。

だが、諦めた顔ではない。

市に近づくと、さらに空気が変わった。

湯気。

味噌の匂い。

焼き芋の甘い匂い。

子どもの声。

商人の呼び込み。

湯浴み釜の前に並ぶ者。

寺社市の札を読む者。

米を持って支払いに来る農民。

姫君の一人が、馬上から小さく呟いた。

「佐土原とは、また違いますね」

別の姫君が頷く。

「佐土原は、立ち上がりかけでした」

「ここは、もう回っております」

「人の表情が違います」

護衛の侍も思わず周囲を見る。

「これほど市が常に動いているとは」

「豊後の湊とはまた違いますな」

姫君は静かに答えた。

「湊ではなく、暮らしの中に市が入っております」

「飯を食べる」

「湯に入る」

「借金を返す」

「少し物を買う」

「それが同じ場所で回っているのですね」

一行は本拠へ向かう途中、いくつかの市を見た。

小さな寺社市。

大きな市。

湯浴み場。

飯場。

焼き芋屋。

話会の札が立っている場所もあった。

「九州面白話の会」

その札を見て、姫君たちは顔を見合わせた。

「これは何でしょう」

案内役が苦笑しながら答えた。

「八郎様が始められた娯楽でございます」

「旅商人や船乗り、話のうまい者に話をさせ、客が面白ければ竹串を入れます」

「竹串一本五文で、おひねりになります」

姫君は興味深そうに頷いた。

「話に銭をつけるのですね」

「はい」

「笑いにも、情報にもなります」

「まだ試しながらですが、意外と人が集まっております」

姫君は文箱を軽く押さえた。

これは父へ書かねばならぬ。

そう思った。

佐土原で見た証文破りは、強烈だった。

だが、薩摩川内で見たものは、もっと静かで、もっと根深い。

すでに仕組みが生活の中に入っている。

借金を消す一瞬の感動だけではない。

その後の暮らしが、明るくなっている。

それが分かった。

一行がさらに進むと、今度は別の音が聞こえた。

怒号。

木槍の打ち合う音。

盾を叩く音。

土を蹴る音。

姫君たちは足を止めた。

広い訓練場で、八郎軍の兵たちが島津本家の侍にしごかれていた。

「遅い!」

「前に出すぎるな!」

「槍を揃えろ!」

「倒れた者を見捨てるな!」

八郎軍の兵が次々と転がされる。

立ち上がった瞬間にまた崩される。

それでも、島津の侍は容赦しない。

姫君の一人が、思わず息を呑んだ。

「あんなに激しいことをしているのですか」

案内役が頭を下げる。

「十一月より、島津本家の侍衆に来ていただいております」

「八郎軍を鍛えるためでございます」

「八郎様は、うちの軍は勝ってきたが、強いわけではない、と」

「飯を炊き、米を買い、敵を眠らせず、策で勝ってきた」

「しかし、それだけでは大きな相手には足りない」

「だから冬のうちに、しごいていただくのだと」

姫君は静かに訓練場を見つめた。

兵たちは苦しそうだった。

だが、飯場には湯気が立っている。

訓練の後に湯浴みもあると聞いた。

ただ潰すのではない。

鍛え、食わせ、湯に入れ、また立たせる。

「弱点を、分かっておられるのですね」

姫君は呟いた。

「勝っているから強いのではない」

「勝った理由を分かっている」

「だから、次に備える」

その言葉に、護衛の侍も頷いた。

「恐ろしいことです」

「自分たちの弱さを見て、冬の間に直そうとしている」

「戦だけ見れば、島津に鍛えられている弱い軍」

「ですが、飯と湯と銭があれば、四か月で変わります」

やがて一行は八郎の本拠へ着いた。

八郎は、兄たちとともに出迎えた。

「遠いところ、ようこそお越しくださいました」

姫君たちは丁寧に頭を下げる。

「こちらこそ、遊学を受け入れていただき、ありがとうございます」

八郎は頷いた。

「佐土原では立ち上がりを見ていただきました」

「ここでは、回っている市を見てください」

「飯屋」

「湯浴み」

「寺社市」

「焼き芋屋」

「話会」

「それから、島津本家の侍衆による訓練」

「いろいろあります」

三郎が横で笑った。

「八郎がまた変なことを増やしてます」

五郎も続ける。

「話会は、まだ試し試しです」

「焼き芋はもう売れてます」

「うなぎは、今ちょっと研究中です」

姫君の一人が微笑んだ。

「うなぎまで」

八郎は真面目に答えた。

「骨を取れば、もっと食べやすくなります」

「食べやすくなれば、銭になります」

「銭になれば、借金が減ります」

姫君たちは思わず笑った。

「ああ」

「佐土原で聞いた通りです」

「全部つながっているのですね」

八郎は胸を張った。

「はい」

「順繰りです」

その後、姫君たちは用意された館へ通された。

館は広すぎず、しかし清潔で、女中が動きやすいように整えられていた。

湯浴み場も近い。

文を書く部屋もある。

護衛の詰所も用意されていた。

姫君たちは荷を解きながら、しばらく黙っていた。

やがて一人が文箱を開ける。

「父上には、どう報告しましょう」

別の姫君が窓の外を見る。

遠くから、市の声が聞こえる。

さらに遠くから、訓練の掛け声が聞こえる。

「佐土原で見たものは、始まりでした」

「ここで見たものは、続きです」

「市は立ち上げるだけではなく、暮らしに染み込ませるもの」

「兵は勝った後に強いと思い上がらせず、弱さを見せて鍛えるもの」

「飯と湯と笑いと訓練が、同じ領で動いております」

姫君は筆を取った。

義鑑へ送る最初の文には、何を書くべきか。

一千万文が小さく見えるほどの利益。

証文が破られる音。

湯浴みで明るくなる顔。

話会で笑う民。

島津に叩きのめされる八郎軍。

そして、そのすべてを平然とつなげる四歳児。

姫君は小さく笑った。

「父上」

「これは、思ったより長い文になりそうです」

そう言って、最初の一行を書き始めた。

――八郎領は、佐土原で見た毒が、すでに薬として民の暮らしに染み込んでおります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ