1534年10月4週目。島津本家に挨拶に向かう。島津分家の綾姫の結婚を祝福してくれた礼。それと八郎軍をしばき倒してもらう代わりに侍の借金1200万文を消す提案をする。
八郎は、三郎、五郎、六郎、七郎を連れ、さらに二郎と春姫も伴って、
島津本家へ挨拶に向かった。
本家の館では、春姫の帰りもあり、姫君たちも出迎えてくれた。
八郎は座るなり、まず深く頭を下げた。
「このたび、島津分家にて、四郎兄様と綾姫様の縁が無事にまとまりました」
「本家の姫君様方にも祝っていただいたと聞いております」
「ありがとうございます」
忠良は上機嫌に笑った。
「いや、めでたいことじゃ」
「四郎殿と綾姫か」
「市を立ち上げ、証文を破り、湯浴みを回しておるうちに縁までできた」
「八郎殿の商いは、縁まで生むのう」
貴久も笑う。
「しかし聞いたぞ」
「鎧武者を並べたら、四郎殿が腹を決めたとか」
姫君たちがくすくす笑った。
三郎と五郎は同時に顔をしかめる。
八郎は真面目な顔で頷いた。
「なるほど」
「鎧武者を周りに並べればいいのですね」
三郎が即座に言った。
「そこだけは真似しないでください」
五郎も続ける。
「本当にお願いします」
「それを八郎が仕組みにしたら、婚姻調整が軍事訓練になります」
姫君たちが声を上げて笑った。
春姫も、二郎の横で口元を押さえている。
八郎は首を傾げた。
「有効そうですが」
「有効やから怖いんや」
三郎が真顔で返した。
ひとしきり笑いが落ち着いたところで、八郎は改めて姿勢を正した。
「本日は、もう一つお願いがございます」
忠良が杯を置く。
「なんじゃ」
「縁の話か」
八郎は首を振った。
「兄様方の恋愛は、基本的には自由にしていただいて構いません」
「ただ、私の方から、島津本家をないがしろにしていない証も兼ねて、お願いがあります」
姫君たちの表情が少し変わった。
貴久も身を乗り出す。
「聞こう」
八郎は帳面を出した。
「現在、島津本家筋に残っている借金がございます」
「三万五千石の束が四つ」
「一束あたり八百万文」
「合わせて三千二百万文ほどです」
忠良は苦笑した。
「うむ」
「頭の痛い数字じゃ」
八郎は続けた。
「その一部を消す代わりに」
「八郎軍を、しばき倒してください」
広間が止まった。
「……しばき倒す?」
「はい」
「十一月から二月末まで、四か月」
「肥後と薩摩川内の八郎領を中心に、八郎軍の正規兵を鍛えていただきたいのです」
三郎が小声で言う。
「自分で言うたな、しばき倒せって」
五郎も頷く。
「まあ、甘いのは事実やけど」
忠良は少し面白そうに笑った。
「その心は」
八郎は地図を広げた。
「肥前です」
「龍造寺が隣にあります」
「2月か3月、春先、龍造寺を攻めることを考えています」
広間の空気が少し締まった。
八郎は続ける。
「ただ、うちの軍は飯を炊き、米を買い、敵を寝かせず、証文を破ることには慣れています」
「けれど、島津の軍に比べれば、端的に言って甘いです」
「突撃する軍にはしたくありません」
「ですが、崩れない軍にはしなければなりません」
「槍、盾、行軍、夜間、柵、撤退、負傷者の運び方」
「そのあたりを、島津本家の侍衆に四か月しごいていただきたい」
忠良は腕を組んだ。
「何人出せばよい」
「一か月につき六百人です」
八郎は即答した。
「同じ六百人を四か月ではなく、三万五千石の束ごとに、六百人ずつ交代で出していただきたいです」
「十一月は一束目」
「十二月は二束目」
「一月は三束目」
「二月は四束目」
「一か月ごとに交代です」
貴久が目を細める。
「偏りをなくすためか」
「はい」
八郎は頷いた。
「特定の家中だけ得をする形にしたくありません」
「各束に機会を与えます」
「一束あたり、月三百万文の借金を消します」
「四束で合計一千二百万文」
「島津本家の借金三千二百万文のうち、一千二百万文を、この冬で消します」
姫君たちが、はっと顔を上げた。
忠良は数字を噛みしめるように呟いた。
「一か月六百人」
「一人あたり月五千文か」
「厚いな」
「はい」
八郎はあっさり認めた。
「かなり厚いです」
「ただし、ただの兵の手当ではありません」
「教練役です」
「出張して、八郎軍六千人を鍛えていただきます」
「滞在費、飯、酒、宿、医薬はこちらで別に見ます」
「この五千文は、手間賃であり、借金返済であり、島津本家との友好の割増料金です」
三郎がぽつりと言った。
「言い方がすごいな」
五郎も苦笑する。
「でも、分かりやすい」
八郎は姫君たちの方を見た。
「春姫様のことも」
「本家の姫君様方のことも」
「島津本家のことも、私は忘れておりません」
「分家との縁ができたから、本家を軽く見るようなことはありません」
「今回の話は、その証でもあります」
その言葉に、本家の姫君たちは一斉に頭を下げた。
「ありがとうございます」
春姫も静かに頭を下げる。
「八郎様」
「そう言っていただけるだけで、嬉しゅうございます」
二郎は少し照れたように横を向いた。
忠良は、ゆっくり笑った。
「よい」
「実によい話じゃ」
「島津の侍が八郎軍を鍛える」
「借金も減る」
「本家の面目も立つ」
「そして春には龍造寺を見る」
貴久も頷く。
「ただし、本気でしごくぞ」
八郎はすぐに頭を下げた。
「お願いします」
「甘いところは、全部叩き直してください」
「ただし、飯は食わせます」
「怪我人は見ます」
「無駄に潰すのではなく、崩れない兵にしてください」
忠良は笑った。
「注文の多い四歳児じゃ」
八郎は胸を張った。
「私は四歳児です」
三郎が呆れた。
「都合のいい時だけな」
広間に笑いが広がる。
だが、その笑いの奥で、島津本家の者たちは理解していた。
これはただの訓練ではない。
借金整理であり、軍制改革であり、龍造寺攻めの布石であり、島津本家への礼でもある。
忠良は杯を掲げた。
「よかろう」
「十一月より、島津本家の侍六百人ずつを出す」
「八郎軍を、しばき倒してくれる」
八郎は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
三郎と五郎は顔を見合わせた。
「冬、きついやろな」
「八郎軍、泣くやろな」
八郎は静かに言った。
「春に泣くより、冬に泣いた方がよいです」
その一言に、広間はまた静かになった。
そして忠良は、満足そうに笑った。
「やはり、四歳とは思えぬな」




