1534年10月3週目。島津分家でも一泊する。八郎の戦費350万文の御礼。四郎と姫は軽く一晩布団を並べてみたらどうや?深い意味はない。本当に深い意味はない。
島津本家で一夜を過ごした翌日、一行は島津分家へ向かった。
館に着くと、実久は門まで出てきて、上機嫌に手を広げた。
「よう来た、よう来た」
「八郎殿から三百五十万文、きちんと届いたぞ」
「兵の損害も少ない」
「銭も届く」
「姫も無事に戻る」
「うちは大喜びじゃ」
三郎は苦笑した。
「八郎、ほんま支払いだけは早いな」
五郎も頷く。
「そこ渋ったら信用落ちるって、よう分かってるんやろな」
実久は笑いながら言った。
「今日は泊まっていけ」
「本家にも泊まったのだろう」
「なら、分家にも泊まらねば釣り合わぬ」
分家の姫君たちも、少し照れながら兄たちを迎えた。
本家の姫君たちが、同じ島津なのだから仲良くしましょう、ともてなしてくれた話を聞くと、
実久はさらに目を細めた。
「よいことじゃ」
「本家も分家も、もとは島津」
「姫たちが仲良くしておるなら、それだけで酒がうまい」
宴が始まってしばらくすると、実久は杯を置き、にやりと笑った。
「ところで、聞いたぞ」
「八郎殿が、また妙なことを始めようとしておるらしいな」
三郎と五郎は顔を見合わせた。
「また変なこと始めたな」
「ほんま、それです」
実久は楽しそうに続けた。
「人を集めて、話をさせる会じゃろう」
「客から二十五文を取り、話のうまい者を五人ほど並べる」
「旅商人、船乗り、行商人、寺の者、侍でもよい」
「一人ずつ、旅の話、商いの話、琉球の話、失敗話、怖い話、笑える話をする」
「客は面白ければ、竹串を投げる」
「竹串一本五文」
「それがおひねりになる」
三郎が頷いた。
「そうです」
「八郎は、芸人呼ぶより軽いって言ってました」
「芝居小屋を建てるよりも、まず喋れる人を育てる方がええやろって」
五郎も補足する。
「入場料二十五文のうち、十文は喋り手へ」
「五文は場所代」
「残りで座布団、灯り、呼び込み、見張りの手間賃」
「八郎商会が大きく持ち出さずに、場を回せるようにしてます」
実久は満足そうに頷いた。
「そこじゃ」
「ただの遊びではない」
「八郎殿は、娯楽を作る顔をして、仕事を作っておる」
「喋り手に銭が入る」
「客が市に来る」
「飯が売れる」
「湯浴みの帰りに寄る者も出る」
「竹串を売る者も、席を案内する者も、灯りを守る者も要る」
「全部、仕事になる」
三郎は苦笑した。
「ほんま、あいつは何でも仕事にしますね」
「飯、湯、布団、酒の次は話ですわ」
実久は杯を傾けながら言った。
「それだけではない」
「話会は、情報を集める場にもなる」
「商人が喋れば、どこの米が高い、どこの港が荒れた、どこの国人衆が揉めている、そういう話が出る」
「船乗りが喋れば、琉球や四国、瀬戸内の風向きも分かる」
「旅人が喋れば、道の危ういところも分かる」
「笑い話として聞いているうちに、皆が九州の様子を知る」
五郎は感心したように言った。
「そこは、ほんまそうやと思います」
「八郎は、面白い話を集めるって言うてますけど、たぶん情報の網にもなるんですよ」
「しかも、喋る人が増えると、商いもうまくなる」
「説明がうまい商人は売れますから」
実久は大きく笑った。
「八郎領の者は、そのうち皆、口が達者になるかもしれぬな」
「飯を売り、湯を沸かし、借金を消し、今度は話で人を集める」
「本当に、四歳とは思えぬ」
分家の姫君が静かに微笑んだ。
「でも、八郎様らしいです」
「人を集め、銭を回し、仕事を作り、情報も集める」
「それでいて、皆が楽しめる」
「だから市が明るくなるのですね」
実久は頷いた。
「借金が減り、布団が買え、湯に入れるようになれば、次は笑いが欲しくなる」
「笑いがある場所には、人が来る」
「人が来れば、商いが生まれる」
「ようできておる」
三郎は酒を飲みながら言った。
「八郎はたぶん、そこまで全部考えてますね」
「でも本人は、娯楽です、順繰りです、くらいで済ませますけど」
五郎が笑う。
「それが一番腹立つんです」
「全部つながってるのに、平然としてるから」
宴の場は、そこでひとしきり八郎の話で盛り上がった。
その後、実久はふと四郎へ目を向けた。
「ところで、四郎殿」
四郎は姿勢を正した。
「はい」
「うちの娘とは、仲良くしてくれておるのか」
分家の姫君が、少し頬を染めた。
四郎は困ったように目を伏せる。
「仲良くは、させていただいております」
実久は穏やかに笑った。
「娘はな」
「慕っておると言っておる」
「結婚もしたいと言っておる」
「ただ、四郎殿はなかなか、うんともすんとも言わぬらしい」
四郎は少し苦い顔をした。
「軽く扱いたくないのです」
「責任を持てるのか」
「本当にそれでよいのか」
「そう考えると、簡単には」
実久は頷いた。
「責任感があるのは、悪いことではない」
「むしろ、そこがよい」
「だが、惚れた腫れたの話は、考えすぎても進まぬ」
三郎が小声で言う。
「来たな」
五郎も小声で返す。
「分家の外堀やな」
実久は聞こえぬふりをして続けた。
「せっかくうちの館へ来たのじゃ」
「今夜は、広間に布団を並べてみてはどうじゃ」
四郎は固まった。
「布団を、ですか」
「もちろん、無理はせぬ」
実久は軽く手を振った。
「侍女も近くに置く」
「布団も離して並べる」
「酒もほどほど」
「ただ、夜に少し話してみるだけじゃ」
「それで娘がどうしても無理なら、わしも諦められる」
「そうでないなら、軽い付き合いからでもよいではないか」
三郎がすぐに言った。
「軽いって二回言いそうな顔してますね」
五郎も笑った。
「二回言う時は、だいたい深い意味ありますよ」
実久様は大笑いした。
「深い意味はない」
「本当に軽くじゃ」
「ほら二回目」
「もう深い意味しかないですやん」
分家の姫君は、四郎をまっすぐ見た。
「私は、少しでもお話しできるなら嬉しいです」
「でも、無理はしてほしくありません」
四郎はしばらく黙り、やがてゆっくり息を吐いた。
「では」
「少し離して、布団を並べていただけるなら」
「話をするだけなら」
「それでお願いします」
分家の姫君の顔が、ぱっと明るくなった。
「はい」
実久は満足そうに杯を掲げた。
「よい」
「戦も終わり、銭も届き、姫も笑う」
「今日はよい宴じゃ」
その夜、広間には少し離して布団が並べられた。
侍女たちが近くに控え、灯りは柔らかく落とされた。
四郎と分家の姫君は、佐土原の証文の話をした。
寺社市の話をした。
民の顔が変わる瞬間の話をした。
恋の話は、まだ少しぎこちなかった。
けれど、同じものを見てきた二人には、言葉にしなくても分かるものがあった。
隣の部屋で三郎が呟く。
「八郎の話会より、こっちの方が面白いかもしれんな」
五郎も小さく笑った。
「竹串、投げたら怒られるやろな」
島津分家の夜は、少し甘く、少し賑やかに更けていった。




