1534年10月2週目。大友の姫達が帰国して当主に八郎の話を報告する。戦の強さは分からないが民への姿勢や市の立ち上げはすごすぎる。
十月二週目。
大友の姫君たちは、いったん豊後の本拠へ戻った。
遊学を本格的に始めるためである。
女中、護衛、荷物、衣、薬、文箱。
それらの準備は下の者に任せ、姫君たちはまず当主である義鑑の前に出た。
義鑑は、姫たちの顔を見るなり笑った。
「どうじゃった」
「八郎という童は」
姫君の一人は、少し考えてから答えた。
「戦のことは、私には分かりませぬ」
「ただ、戦が終わってからのことは、目を見張るものがございました」
義鑑は目を細める。
「ほう」
「市の立ち上げです」
姫君は言葉を選びながら続けた。
「皆が、自分の役割を分かって動いております」
「八郎様が頭脳であることは間違いありません」
「けれど、あの兄君方の動きも重要です」
「三郎様、五郎様、四郎様、六郎様、七郎様」
「それぞれが、市、飯、寺社市、帳面、人の誘導を分かっております」
重臣が少し驚いた顔をした。
「四歳児一人の奇策ではない、と」
「はい」
「おそらく最初は、八郎様がすべて考えていたのでしょう」
「けれど、肥後、薩摩、大隅と広げる中で、兄君方にも動きが染みついております」
「言われて動くのではなく、先に必要なものを見て動いておりました」
義鑑は頷いた。
「それは強いな」
「一人の童を斬れば終わる仕組みではない」
「はい」
姫君はさらに続けた。
「まず庄屋衆を集めます」
「村の代表、寺社の者、侍衆の使いも集めます」
「証文を全部出させます」
「表の帳面だけではなく、裏のもの、個人で借りたものまで」
「そこで突き合わせをいたします」
義鑑が問う。
「すぐ消すのか」
「いえ」
「市がまだ動いていないので、最初は利息を下げます」
「年五割の利を取っていたものまで、八郎様が前に出て、一律二割五分へ下げさせました」
広間がざわついた。
「半分か」
「商人が飲んだのか」
姫君は頷いた。
「飲みました」
「八郎商会と取引できなくなることを恐れているようでした」
「大隅、薩摩、島津本家での噂がすでに届いております」
「それに、芋焼酎と米焼酎を贈答として出されました」
「商人衆の目が変わりました」
義鑑は思わず笑った。
「酒まで使うか」
「飯、帳面、酒」
「商人の腹をよく分かっておる」
姫君は少し表情を引き締めた。
「その利下げだけで、農民たちは泣き出しました」
「薬が強い、と感じました」
「借金がなくなる前に、利が半分になる」
「それだけで、田を捨てずに済むかもしれぬと言う者もおりました」
義鑑は黙って聞いた。
姫君の声には、まだ佐土原で見たものの熱が残っていた。
「その後、市が動きました」
「三郎様が飯場を見ておられました」
「下魚、親鳥、捨て値のものを料理して、最初はただで食べさせるのです」
「利益を取りに行かないのですか、と聞きました」
「すると、まず食べてもらうことが大事だと」
「仕入れを回し、借金帳面と合わせることが大事だと」
「先々を見て動いておられました」
義鑑は、ふっと笑う。
「兄も凡庸ではないか」
「はい」
「八郎様だけではありません」
「兄君方も、ただ従っているだけではありません」
「自分の持ち場を理解しておりました」
姫君は少し声を落とした。
「そして、二週目」
「証文を破りました」
広間が静かになる。
「市で仕入れた米、薪、魚、野菜、味噌、塩」
「その帳面を庄屋衆の借金と突き合わせます」
「利が高いもの、緊急のものから、順に借用書を出させます」
「八郎様が確認し、商人も控えを確認し」
「その場で、びりっと破るのです」
姫君は、思わず自分の手元を見た。
あの紙の裂ける音が、まだ耳に残っていた。
「その瞬間、民の顔が変わりました」
「疑っていた者が、並び始めます」
「自分の証文も見てくれ、と」
「私たちも、その感情に動かされました」
「見ていて、気持ちがよいのです」
義鑑は大きく笑った。
「すっかり八郎の毒にやられておるではないか」
姫君は、少し頬を染めた。
「否定はできませぬ」
「ですが、敵にするより味方にした方がよい、ということは分かりました」
義鑑は真顔に戻る。
「守りが強い理由も、そこじゃな」
「借金を消してくれる領主を、農民は裏切りにくい」
「どれほど借金があった」
「最初に見た三万五千石の束で、千二百万文です」
重臣たちが息を呑む。
義鑑も眉を上げた。
「三万五千石で千二百万文」
「佐土原以南、二十四万五千石なら、単純に八千万文ほどか」
「えげつないな」
「はい」
「それを順繰り消していくのです」
「飯屋の仕入れと、市と寺社市と湯浴みで」
義鑑は腕を組んだ。
「八千万文など、交易でも年単位でかかる」
「それを飯屋で消していくか」
「大したものじゃ」
「だから奪いにくい」
「少なくとも農民は八郎側につく」
姫君は頷いた。
「八郎様は、好んで大友を攻めるようには見えませんでした」
「取れるものを取る」
「無理に大友とぶつかるより、小さい勢力を順に飲む」
「そのように見えます」
義鑑は地図を見た。
「龍造寺、有馬、松浦あたりか」
「その話は、ちらりと出ておりました」
「そうじゃろうな」
義鑑は少し笑った。
「ならば、やはり縁を組むべきじゃ」
姫君は静かに言った。
「兄君方も、働く姿が素敵でした」
「島津の姫君方も、市で働いておられました」
「姫が働くのも珍しいことです」
「ですが、彼女たちはそれを自然に受け入れておりました」
「なぜ武の島津が、四歳児に振り回されているのか」
「その答えを、島津の姫君が普通に言っておりました」
義鑑が問う。
「何と」
「八郎様の魅力です、と」
広間に、少し妙な沈黙が落ちた。
姫君は続けた。
「それを、何の迷いもなく言うのです」
「そこが、少し怖かったです」
義鑑は、ゆっくりと笑った。
「なるほど」
「島津まで毒が回っておる」
「いや、毒というより、飯と湯と帳面の薬か」
そして、姫君を見た。
「よい」
「遊学の支度を整えよ」
「女中も護衛もつける」
「ただし、目を開けて見てこい」
「八郎だけを見るな」
「兄を見ろ」
「商人を見ろ」
「民の顔を見ろ」
「島津の姫が何を見ているかも見ろ」
姫君は深く頭を下げた。
「はい」
「必ず見てまいります」
義鑑は地図の日向を見つめた。
北日向は大友。
佐土原以南は八郎と島津。
だが、線を引いただけでは終わらない。
八郎商会の市は、線の向こうから人の心を引っ張ってくる。
義鑑は小さく呟いた。
「一万貫より厄介なものを見せられたな」
その声には、警戒と期待が同じだけ混ざっていた。




