1534年10月1週目。八郎が本拠地に帰宅中も日向の市と借金の証文消しが続く。姫君達も借金が消えて住民が感動する姿にやりがいを感じる。
八郎が薩摩川内の本拠へ向けて発った後も、日向佐土原の仕事は止まらなかった。
むしろ、そこからが本番だった。
兄たちは、八郎が残した段取り通りに、三万五千石の束を順繰り回った。
庄屋衆を集める。
村の代表を呼ぶ。
寺社の者を座らせる。
証文を出させる。
市で仕入れた米、薪、魚、野菜、干物、味噌、塩の帳面を合わせる。
そして、利の高いものから順番に、証文を破る。
びりっ。
その音が鳴るたびに、誰かが泣いた。
誰かが手を合わせた。
誰かが膝から崩れた。
佐土原の民は、最初こそ遠巻きに見ていたが、二日、三日と続くうちに、
自分の証文を抱えて並ぶようになった。
「うちのも見てください」
「この利は、もう払えません」
「米を出します」
「薪も出します」
「湯浴みの仕事もします」
五郎は帳面を見ながら、静かに頷いた。
「順番や」
「利が高いやつから見る」
「急ぎのものから消す」
「隠してたら後で困るぞ」
三郎は飯場から声を飛ばす。
「並んでる者にも飯を出せ」
「腹減った顔で証文持ってたら、余計つらいやろ」
「下魚の甘酢漬け、今日の分は安く出す」
「最初の十人はただでええ」
島津の姫君たちは、その様子を手伝いながら見ていた。
島津本家の長女格の姫君が、大友の姫君たちに言った。
「これが、やりがいになるのです」
「最初は不思議でした」
「姫が庄屋衆の帳面や農民の借金を見るなど、普通ではありません」
「でも、証文が破られて、人の顔が変わるのを見ると」
「また見たくなるのです」
分家の姫君も頷いた。
「私たちも、それがあってここへ来たところがあります」
「この良さを、大友の姫君方にも分かっていただけて嬉しいです」
大友の姫君の一人は、破られた証文の切れ端を見て、少し笑った。
「この毒を私たちに飲ませたのですから」
「ちゃんと皆様で責任を取ってくださいね」
その言葉に、三郎がすぐ顔をしかめた。
「毒とか責任とか、話が重いんや」
「俺らは粛々と目の前の仕事をするだけや」
「飯を作って、食わせて、仕入れを見る」
「それだけや」
島津本家の姫君は、にこりと笑う。
「別に、そんなに逃げなくても」
「一緒に仕事をして楽しみましょう、というだけです」
「深い意味はありません」
少し間を置いて、もう一度言った。
「本当に、深い意味はありません」
五郎が小声で呟く。
「念押しが怖いな」
三郎も頷く。
「深い意味しかない時の言い方や」
一方、四郎は少し離れた場所で、分家の姫君と一緒に寺社市の札を並べていた。
「米払いはこちら」
「薪払いはこちら」
「寺社への寄進分は、この箱」
「庄屋衆の売上は、こちらの帳面に」
四郎が一つずつ説明すると、分家の姫君は丁寧に頷いた。
「一緒に同じものを見るのは、楽しいですね」
四郎は少し照れたように答えた。
「そうですね」
「同じ帳面を見て、同じ人の顔が変わるところを見ると」
「言葉にしなくても、分かることがあります」
それを少し遠くから見ていた島津本家の姫君たちは、顔を見合わせた。
「四郎様のところは、もうよい感じですね」
「邪魔をしない方がよさそうです」
「本家は本家で、三郎様と五郎様を頑張りましょう」
「六郎様、七郎様も見逃せません」
三郎が遠くでくしゃみをした。
「なんや、寒気がした」
五郎が笑う。
「外堀の音やろ」
大友の姫君たちは、一度大友へ戻る支度を整えていた。
帰る前に、彼女たちは兄たちへ頭を下げた。
「お兄様方が人気なのは、よく分かりました」
三郎が苦笑する。
「人気とか言わんでええ」
五郎も手を振る。
「仕事しに来ただけや」
大友の姫君は笑った。
「私たちも、瀬戸内や豊後、日本海側の珍しい品や話を、土産に持ってまいります」
「また遊んでくださいね」
六郎がぽかんとする。
「また来るんですか」
「はい」
「遊学ですから」
七郎が小声で言った。
「また縁が増えそうや」
島津本家の姫君が涼しく返す。
「縁が増えるのは、よいことではありませんか」
三郎と五郎は、そろって苦笑した。
「八郎がおらんのに、縁だけ増えていく」
「逃げたな、あいつ」
それでも、兄たちの顔は悪くなかった。
夕方。
その日の証文処理が終わり、飯場の火が少し落ち着いたころ、三郎は湯気の向こうに並ぶ民を見た。
「でも、あれやな」
「八郎が領地を増やせば増やすほど、困ってる人がこうやって笑うところを見られる」
「それは、俺ら兄貴の特権かもしれんな」
五郎は帳面を閉じながら頷いた。
「助けた感は、すごいあるな」
「飯食わせて、仕事作って、証文破って」
「そりゃ顔も変わるわ」
四郎も静かに言った。
「ここから先は、大友、大内、畿内の大きな勢力があります」
「そう簡単にはいかないでしょう」
「でも、日々の暮らしが変わる姿を見るのは、私も嫌いではありません」
分家の姫君が微笑む。
「なら、また一緒に見ましょう」
四郎は、少しだけ迷ってから頷いた。
「はい」
佐土原の夜に、また証文を破る音が一つ響いた。
びりっ。
それは戦の音ではない。
けれど、日向が少しずつ八郎の国へ変わっていく音だった。




