1534年9月4週目。八郎、一つ目の庄屋衆が終わると次にいく。その場は残った四郎と数人の面子で詳細を詰める。大友の姫は利下げの衝撃の余韻が残る。
八郎は、一つ目の庄屋衆との帳面合わせを終えると、すぐに籠へ乗った。
「次へ行きます」
その後ろには、八郎商会の商人衆。
さらに、芋焼酎と米焼酎の壺を積んだ荷車が続く。
三郎が呆れた顔で言った。
「酒を武器みたいに運ぶな」
八郎は真顔で答えた。
「決め手です」
「利息を下げるには、信用と贈答が要ります」
「あと、味です」
五郎が笑う。
「まあ、実際さっき効いたからな」
八郎は、兄一人と姫君数人をその場に残した。
「ここは、残った兄様が詰めてください」
「どの米を最初に仕入れるか」
「薪はどこから取るか」
「魚はどの商家が扱うか」
「市の売上と、どの証文を合わせるか」
「そこを決めてください」
四郎が頷く。
「分かりました」
分家の姫君も、少し緊張した顔で四郎の横に立った。
大友の姫君たちは、まだ先ほどの利下げの衝撃から戻っていなかった。
一人が、ぽつりと言った。
「なんですか、これは」
「八郎様が少し話しただけで、年五割が二割五分に下がりました」
「千二百万文なら、利だけで二百五十万文、三百万文近く変わるではありませんか」
「それでよいのですか」
島津本家の姫君が、涼しい顔で答えた。
「それが信用です」
「ただ、本当にこれが普通だとは思わない方がよいです」
大友の姫君が振り向く。
「普通ではないのですか」
「はい」
「今、肥後、薩摩、大隅で、八郎商会の仕組みが回っています」
「肥後四十万石、薩摩二十八万石、大隅十七万石」
「その広さで、市の売上、交易、付け払い、仕入れの帳面合わせが回っているから、これができます」
分家の姫君も続けた。
「最初は、薩摩川内の一万五千石からです」
「混ぜ飯と握り飯から始ったそうです」
「そこから市を作り、庄屋衆と商人衆と取引し、借金を消し始めました」
大友の姫君は、証文の束を見た。
「城の借金もあるのですか」
「えげつないぐらいあります」
島津本家の姫君は、はっきり言った。
「お侍さんの借金もあります」
「農民だけではありません」
「だからまず八郎商会が市を動かします」
「飯屋が仕入れをする」
「その仕入れと証文を合わせる」
「農民の借金を消す」
「次に侍衆、城の借金も順繰り見ます」
大友の姫君は息を呑んだ。
「それを、落城したばかりの佐土原で始めるのですか」
「はい」
「早い方がよいのです」
四郎が静かに言った。
「民は不安です」
「領主が変わった」
「兵がいる」
「大友とも停戦したばかり」
「その時に、飯を出し、帳面を開き、借金を下げる道を見せれば、空気が変わります」
大友の姫君は、少し考えてから尋ねた。
「寺社市とは何ですか」
六郎が嬉しそうに説明を始めた。
「お寺や神社の場所を借りて、市を開きます」
「商人さんに売りに来てもらいます」
「利益を三つに分けます」
「寺社への寄進」
「八郎商会の利益」
「商人さんの利益」
七郎も続ける。
「ただ、農民は銭を持っていないことが多いです」
「だから米払いを認めます」
「米、薪、野菜、卵、干物」
「現物で払えるようにします」
大友の姫君が目を丸くした。
「それで売れるのですか」
「売れます」
島津本家の姫君が微笑む。
「むしろ、ものすごく集まります」
「農民は銭を生み出しにくいのです」
「でも、米や薪なら持っています」
「それを買い物に変えるのです」
「そして、その帳面をまた市の仕入れと合わせます」
「だから借金が消えていきます」
そこへ、別の姫君が湯浴み釜の方を見た。
「では、あの釜は」
「湯浴みです」
六郎が答えた。
「風呂と言うても、足まで浸かる大きいものではなく、体を拭くための湯です」
「五文で提供します」
大友の姫君たちは、はっきり驚いた。
「風呂に入れるのですか」
島津分家の姫君が、懐かしそうに笑った。
「入れます」
「私も、初めて湯浴みに入った時は感動しました」
「八郎様が混ぜ飯から始めて、ここまで作った仕組みの中で、湯浴みは本当に人の顔を変えます」
五郎は釜を指した。
「今回は六百持ってきています」
「さらに六百、後から来ます」
「一つの釜で三人ほど働けます」
「釜番、湯番、桶洗い、薪運び」
「一人一日四十文くらい払います」
大友の姫君が声を上げた。
「そんなに払うのですか」
「払います」
「仕事がないと荒れますから」
「仕事を作り、銭を払って、飯を食わせます」
「それが治安になります」
四郎が帳面を見せた。
「一つの釜に一日五十人来るとします」
「五文なら二百五十文」
「人足三人で百二十文」
「薪や水や雑費を引いても、三十五文ほど利益が残る」
大友の姫君が少し困った顔をした。
「三十五文は、少なくありませんか」
五郎は笑った。
「八郎が大事にしているのは、そこだけではありません」
「百二十文が村に落ちることです」
「銭をもらった者は、借金を返すかもしれない」
「寺社市で買い物をするかもしれない」
「酒を飲むかもしれない」
「布団を買うかもしれない」
「布団を?」
「はい」
島津本家の姫君が嬉しそうに言った。
「肥後や薩摩では、農民が布団を買い始めています」
「酒を買う者もいます」
「全部、米払いと付け払いを帳面で見ているからです」
大友の姫君は、ただ黙って聞いていた。
佐土原の民が、遠巻きにこちらを見ている。
少し前まで伊東の領民だった者たちである。
その一人が、握り飯を食べながら呟いた。
「伊東様の時は、借金が減る話なんぞ聞いたことなかった」
「湯に入れるなんて、思わんかった」
「領主が変わって、よかったのかもしれん」
その声が、ぽつぽつと広がった。
「八郎軍に変わってよかった」
「少なくとも、話は聞いてくれる」
「飯もある」
「利も下がる」
四郎は静かに帳面を閉じた。
「では、次は仕入れ先を決めましょう」
「米、薪、魚、野菜」
「最初の市を回す分です」
大友の姫君は、まだ驚いた顔のまま言った。
「これが、八郎商会の市なのですね」
島津の姫君たちは頷いた。
「はい」
「飯だけではありません」
「市だけでもありません」
「湯だけでもありません」
「全部つながっています」
遠くで、八郎の籠が次の商家へ向かっていく。
後ろには、芋焼酎の壺を積んだ荷車。
その小さな背中を見ながら、大友の姫君は小さく呟いた。
「父上が見たがった理由が、少し分かりました」
佐土原の一束目では、もう市の根が張り始めていた。




