1534年9月。日向の市立ち上げと借金証文の付け合わせ。1200万文の借金を市の仕入れで消していく。利息下げ交渉。5割を2割5分に下げさせる。
最初の帳面合わせは、佐土原から少し離れた庄屋の座敷で始まった。
集められたのは、商家衆、村の代表、寺の者、侍衆の使い。
そして、籠から降ろされた八郎である。
庄屋の主は、眉間に皺を寄せていた。
「なんで領主様が、庄屋と農民の借金なんぞを見るんですか」
八郎は、座布団の上にちょこんと座り、静かに言った。
「これから市を立ち上げます」
「その市で使う米、野菜、魚、下魚、薪、味噌、塩、干物」
「そういうものを、皆さんの庄屋衆から仕入れます」
「その仕入れと借金の帳面を合わせて、証文を消していきます」
庄屋衆がざわついた。
「仕入れで借金を消す?」
「そんなことができるんかいな」
八郎は頷いた。
「肥後、薩摩、大隅」
「今の八郎領では、もうやっています」
「八郎商会がやっています」
「だから、ここでも同じように、皆さんの借金を消していく話し合いをしたいんです」
庄屋の主は、渋い顔で帳面を出した。
「ざっくり集めましたが、五百万文ほどですわ」
八郎は即座に首を横に振った。
「それは嘘です」
場が凍った。
「私は、一千万文はあると見積もって来ています」
「それは表の帳面だけです」
「裏の帳面」
「個人で借りたもの」
「親戚名義」
「寺社を挟んだもの」
「全部出してください」
庄屋衆の顔が曇る。
「そんな恥ずかしいもん、出せるかいな」
「出してどうするんですか」
八郎はまっすぐ見た。
「出さないと、全部消せません」
「消せないと、生活が良くなりません」
「隠した借金だけ利息が膨らんで、あとでまた苦しくなります」
「だから、今出してください」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、一人が懐から小さな帳面を出した。
それを見て、別の者も出す。
寺の者が預かり証を出す。
村の代表が泣きそうな顔で証文を出す。
半刻ほどで、座敷の上は証文だらけになった。
四郎が数え、五郎が束ね、八郎商会の商人衆が突き合わせる。
そして出た数字は、千二百万文だった。
庄屋は、顔を伏せた。
「もう、うちもきりきりでやってるんです」
八郎は帳面を見ながら言った。
「ようそんなに溜めましたな」
三郎が横から小声で言う。
「感心するとこちゃうぞ」
八郎は続けた。
「今、私は三万五千石の束で帳面をつけています」
「八郎領では、一束で毎週九十万文ほど借金が消えることもあります」
座敷がまたざわついた。
「九十万文?」
「毎週?」
「そんな馬鹿な」
八郎は首を振る。
「今週は、まだ市が回っていません」
「だから全部は消せません」
「まずは利息を下げていただきたいんです」
農民たちが一斉に声を上げた。
「それができたら苦労せんわ!」
「利が重いから苦しいんや!」
「下げろと言って下がるなら、誰も泣いとらん!」
商人衆は、しばらく黙っていた。
そして、低く言った。
「下げますわ」
場が止まる。
「八郎商会の話は聞いております」
別の商人も続いた。
「うちも下げます」
「年五割のやつ」
「二割五分まで落としましょう」
農民たちは目を見開いた。
「なんで急に」
「お前ら、今まであんなに渋ってたやないか」
庄屋の主は、少し苛立ったように言った。
「八郎商会のすごさを、お前ら何も知らん」
「大隅で借金を鬼のように返している話は聞いてる」
「島津本家でも市が入って、商いの動きが変わった」
「ここで逆らって、八郎商会から外される方が怖いんや」
八郎は、そこでにこりと笑った。
「では、とどめにこれです」
合図をすると、八郎商会の商人衆が壺を運んできた。
米焼酎五本。
芋焼酎五本。
八郎は壺を指した。
「皆さんへ差し上げます」
「まず芋焼酎を少し飲んでみてください」
商人衆が恐る恐る口をつける。
「うわ、きつい」
別の者も飲む。
「きついけど……癖になるな」
「水で割ってください」
水で薄めると、表情が変わった。
「ああ、これはええ」
「まろやかや」
「これ、いただけるんですか」
「高いでしょう」
八郎は頷いた。
「今は希少品です」
「今年は贈答品です」
「ですが、芋は島津本家、島津分家、八郎領の畑で広げています」
「米の取れにくい畑でも育ちます」
「この秋から冬にかけて芋が増えます」
「次の春には、芋焼酎ももっと作ります」
「腐りません」
「運べます」
「贈答にも使えます」
「商いになります」
商人衆の目が変わった。
「これを、うちで扱えるんですか」
「順繰りです」
八郎は言った。
「市に協力してくれる商人から、先に回します」
商家の主は、深く頭を下げた。
「利息、二割五分でいきます」
「証文も全部出します」
「八郎商会と取引させてください」
その瞬間、農民の一人がその場に崩れ落ちた。
「半分になる……」
「利が半分になるんか」
「これで、来年も田を捨てんで済むかもしれん」
別の者も泣き出した。
「子を奉公に出さずに済むかもしれん」
座敷の中に、すすり泣きが広がった。
三郎は腕を組み、少し照れくさそうに言った。
「ほんま、飯と酒と帳面で泣かせよるな」
五郎は証文の束を抱えて笑った。
「これだけで、だいぶ空気が変わったな」
八郎は真面目な顔で言った。
「まだ消えたわけではありません」
「でも、減らす道ができました」
「次は仕入れです」
「市を回します」
「飯を売ります」
「薪を買います」
「魚を買います」
「帳面を合わせます」
「順繰り、消します」
商人衆は、芋焼酎の壺を大事そうに抱えた。
「四歳児とは思えませんな」
八郎は胸を張った。
「私は四歳児です」
「ただ、帳面があります」
農民たちは泣きながら笑った。
その日、佐土原の最初の一束で、利息は一気に二割五分まで下がった。
借金はまだ残っている。
だが、首に巻きついていた縄が、少し緩んだ。
それだけで、人の顔は変わる。
八郎商会の市は、まだ始まったばかりだった。




