1534年9月4週目。大友の姫君と島津両家の姫君に指示。島津の姫に抱かれながら市を見る組と庄屋衆や寺社の説得組に分かれる指示を出す。
島津本家の長女格の姫君に抱き上げられたまま、八郎は平然と話を続けていた。
周囲は、少しおかしな空気になっている。
落城したばかりの佐土原。
湯浴み釜。
飯場。
帳面。
島津本家、分家、大友の姫君たち。
そして、その中心で姫君に抱っこされている四歳児。
三郎が顔をしかめた。
「お前、その体勢で軍議するんか」
八郎は真顔で答える。
「はい。問題ありません」
五郎が呆れる。
「問題しかないやろ」
八郎は大友の姫君たちへ顔を向けた。
「大友の姫君方には、この二週間ほど、少し綺麗な格好でお手伝いしていただきたいです」
大友の姫君が首を傾げる。
「町娘の格好ではなく、ですか」
「はい」
八郎は頷いた。
「島津の姫君方は、町娘に扮して働いていただいて構いません」
「もう薩摩本家でも経験がありますし、分家の姫君方も一緒に動けます」
「でも、大友の姫君方は、今は少し違います」
「どう違うのですか」
「今は九ヶ月の停戦中です」
八郎は淡々と言った。
「緊張は少し解けました」
「でも、佐土原の民から見れば、大友と八郎軍がまた戦うかもしれないという不安があります」
「だから、大友の姫君が手伝っている姿を見せたいんです」
「大友の姫君がここにいる」
「八郎軍の市を手伝っている」
「つまり、すぐ戦になるわけではない」
「そう見せるためです」
大友の姫君たちは、顔を見合わせた。
島津本家の長女格の姫君は、八郎を抱いたまま小さく頷く。
「なるほど」
「姫君の姿そのものが、停戦の証になるのですね」
「はい」
八郎は言った。
「ただし、今後、別の場所で市を手伝っていただく時は、普通に町娘姿で大丈夫です」
「たとえば肥前とか」
三郎が即座に反応した。
「またや」
五郎も頭を抱える。
「またこいつ攻めようとしてるぞ」
八郎はきょとんとした。
「大友様と仲良くなれたら、次は大内以外の小さいところを取るでしょう」
「さらっと言うな」
「恐ろしいわ」
しかし島津本家の姫君は、微笑んだ。
「頼もしいですね」
三郎と五郎がそろって姫君を見る。
「頼もしいで済ませるんですか」
「感覚が染まってきてる」
八郎は気にせず続ける。
「それで、姫君方もいくつかに分かれた方がよいと思います」
「三郎兄様を中心に、飯屋の立ち上げを見る組」
「捨て値の魚や親鳥をどう料理するか」
「安く仕入れたものに、どう値をつけるか」
「これはこれで大事です」
三郎は腕を組んだ。
「まあ、そこは俺が見る」
「ただ、考えたのは私です」
「だから台無しや言うてるやろ」
姫君たちがまた笑う。
八郎は次に四郎、五郎、六郎、七郎の方を見た。
「もう一つは、市と寺社市の説明を見る組です」
「最初は、なかなか受け入れてもらえません」
「領主が変わったばかりです」
「帳面を出せと言われると、皆、怖がります」
「でも、この寺社市の仕組みが、八郎商会の市の根っこの部分です」
四郎が静かに頷いた。
「米払い、寺社への寄進、庄屋衆との帳面合わせ」
「それを説明する必要があります」
「はい」
八郎は続けた。
「飯屋は分かりやすいです」
「うまい」
「安い」
「腹が膨れる」
「でも本当に強いのは、その裏です」
「飯屋が仕入れをする」
「庄屋衆から現物を買う」
「その買い付けを借金帳面と合わせる」
「農民や侍衆の借金を順繰り消していく」
「ここです」
大友の姫君の一人が、真剣な顔で尋ねた。
「農民の借金を消すことが、領地を強くするのですか」
「はい」
八郎は即答した。
「鬼のように消します」
「借金が減れば、農民は逃げにくくなります」
「米を隠しにくくなります」
「市に出すようになります」
「庄屋衆も、うちと取引した方が得になります」
「侍衆も借金が減れば、戦に出やすくなります」
「だから、ただ飯を売っているだけではありません」
「飯と市と帳面で、領地の血の流れをよくしています」
場が少し静まった。
四歳児が、姫君に抱かれたまま、領地経営の核心をさらりと語っている。
三郎が耐えきれず言った。
「お前、その体勢からようそんな話できるな」
五郎も頷く。
「抱っこされながら、農民の借金を鬼のように消すとか言うな」
八郎は少し考えてから答えた。
「でも、柔らかいですよ」
「そういう話ちゃうねん」
島津本家の長女格の姫君は、八郎を抱いたまま楽しそうに笑った。
「掴みどころがありませんね、相変わらず」
「私は四歳児ですから」
「都合のいい時だけ四歳児になるな」
八郎はさらに指示を続けた。
「湯浴み釜は、持ってきた六百をまず使います」
「ただ、佐土原以南二十四万五千石を立ち上げるには足りません」
「早馬を出してください」
「本拠では、もう六百ほど作れる状態になっているはずです」
「運べる分から順番に運びます」
「費用は後で帳面に載せます」
「まずは、動かしてください」
五郎が帳面を開きながら頷いた。
「釜六百追加」
「運搬費、人足、薪、釜番、湯番」
「全部あとで計上やな」
「はい」
八郎は姫君の腕の中で胸を張った。
「順繰りです」
三郎がため息をつく。
「最後はそれやな」
四郎が小さく笑った。
「でも、本当に順繰りですね」
「飯を炊く」
「湯を沸かす」
「帳面を見る」
「借金を消す」
「人を雇う」
「縁を作る」
八郎はこくりと頷いた。
「全部つながっています」
城下では、すでに釜に火が入り始めていた。
大友の姫君たちは、少し綺麗な装いのまま、佐土原の民の前に立つことになる。
島津の姫君たちは、町娘姿に着替え、市と寺社市の立ち上げに入る。
兄たちは逃げ腰ながらも、それぞれの持ち場へ向かう。
そして八郎は、まだ抱っこされたまま、次の指示を出していた。
三郎が最後にぼそりと言う。
「ほんま、締まらんな」
五郎が笑う。
「でも、これが八郎軍や」
八郎は得意げに言った。
「はい」
「順繰りです」
その一言で、佐土原の新しい二週間が始まった。




