1534年9月2週目。後半。包囲の圧を一段強める。国人衆にも圧をかける。降伏したことを大々的に叫びまわる。大友の動きを考察する。
九月二週目の後半。
伊東の城を囲む八郎軍は、さらに一段、圧を強め始めた。
城から飛んでくる矢が、目に見えて減っていた。
最初は近づくだけで矢が降ってきた。
だが、今は違う。
矢の数が少ない。
射る者の手も遅い。
見張りの声にも張りがない。
四郎が帳面を見ながら言った。
「矢の数、明らかに減っていますね」
五郎も頷く。
「城内の余裕が減ってるんやろな」
八郎は小さく頷いた。
「では、門を叩きます」
三郎が眉を上げる。
「破るんか」
「破りません」
「突撃して、叩いて、引きます」
「矢を射たせます」
「相手の疲れを見るためです」
昼になると、盾を並べた兵たちが城門へ近づいた。
どん、どん、と門を叩く。
「降るなら命は取らんぞ!」
「外には飯はある!」
「城内で米を隠しても腹は膨れんぞ!」
そう叫んで、矢が飛んでくるとさっと引く。
城の中から矢は飛ぶ。
だが、勢いはない。
八郎軍は無理に門を破らない。
ただ近づき、叩き、騒ぎ、引く。
夜になれば、また太鼓と笛が鳴る。
火が焚かれ、飯の匂いが流れ、歌が聞こえる。
寝かせない。
安心させない。
それを続けながら、八郎は国人衆たちへさらに文を送った。
「今、伊東は包囲されております」
「この状況で、どちらへつくか選んでください」
「降るなら、命は保証します」
「借金は見ます」
「遅くなればなるほど、条件は悪くなります」
この文は効いた。
国人衆たちは、もう十分に見ていた。
伊東の城は包囲されている。
米は八郎軍へ吸われている。
大友が来るという話はあるが、まだ遠い。
島津本家、分家、八郎軍が一体となって動いている。
そして何より、外の村々が八郎軍の飯を食い始めている。
一人、また一人と、国人衆が降伏を申し出た。
そのたびに、八郎軍は大隅でやった時と同じように、大々的に触れ回った。
「どこそこの国人衆、八郎軍に降る!」
「伊東ではなく、八郎様と島津に従う!」
「命は保証!」
「借金は帳面で見る!」
「村は荒らさぬ!」
伝令たちは、これでもかというほど大声で叫びながら、村々を回った。
城の中にも、その声は届いた。
「また降ったのか」
「どこの者だ」
「隣が降るなら、うちはどうなる」
不安は、兵の間に広がっていく。
その夜、八郎は火矢を再び使った。
北側から、今度は前より多く。
火の筋が夜空を走り、破裂音が連なった。
城の中で怒号が上がる。
「水を持て!」
「火だ!」
「またか!」
燃え広がるほどではない。
だが、眠りかけた兵を叩き起こすには十分だった。
その翌朝。
逃げ出した兵は、まとまって三百ほどにのぼった。
それまでも十人、二十人と逃げる者はいた。
だが、今回は数が違った。
城内に残る兵は、およそ五千五百。
しかも士気は低い。
飯は少ない。
眠れない。
兵が兵を見張り、逃げぬように目を光らせている。
八郎軍の陣にたどり着いた逃亡兵たちは、怯えながら膝をついた。
「命だけは」
「殺さないでください」
八郎は静かに言った。
「殺しません」
「飯を食べてください」
「それから、城の中の様子を話してください」
三郎が握り飯を渡す。
五郎が水を出す。
四郎が話を聞き、帳面に控える。
そして八郎は、いつものように言った。
「よければ、握り飯を持って帰って、まだ中にいる仲間に配ってもいいですよ」
逃亡兵たちは、信じられないという顔をした。
「戻ってもよいのですか」
「戻りたいなら」
「戻らず、こちらに残るのもよいです」
「ただ、城の中にいる人にも、外には飯があると伝えてください」
三郎が小声で言う。
「いつもの毒やな」
八郎は少し頬を膨らませた。
「毒ではありません」
「選択肢です」
その後、八郎は島津本家、島津分家の殿様方と軍議を開いた。
実久は上機嫌だった。
島津本家の忠良は、少し難しい顔をしている。
話題は大友だった。
八郎は地図を見ながら言った。
「おそらく大友は、戦の準備をしています」
「北日向を取るつもりでしょう」
「伊東との領境あたりまで来て、我々と対峙する」
「その上で、停戦を求めるのがよいところではないでしょうか」
島津本家の忠良が眉をひそめた。
「停戦か」
「一万の軍を並べてか」
「はい」
「それが一番、大友が失敗しにくい手です」
実久が笑う。
「助けるふりをして、拾うわけじゃな」
「そうです」
「伊東への義理は立つ」
「北日向を取れる」
「我々とは正面からぶつからずに済む」
「その上で停戦する」
「その時、おそらく我々へいくらか銭を出してくれ、と言ってくるでしょう」
島津本家の忠良が声を上げた。
「なんでこちらが金を出さなあかん」
八郎は平然と答える。
「大友も遠征してきています」
「戦費がかさんでいます」
「ここで半年ほどの停戦にしておけば、お互い兵を減らさずに済む」
「その迷惑料、あるいは手切れの銭として、何か言ってくる可能性があります」
実久が腹を抱えて笑った。
「戦場で商談か」
「大友も大友で、嫌らしいのう」
八郎はさらに続けた。
「縁談の一つや二つも降ってくるかもしれません」
「そこで縁談か」
島津本家の忠良が唸る。
実久は楽しそうに言った。
「わしは四郎殿がうちの姫とちゃんと結婚してくれたら、それで一安心じゃ」
「うちはもう、これ以上は無理に押さぬ」
「大友の姫様は、そちらでよろしくやってくれたらよい」
島津本家の忠良がすぐに言い返す。
「そんなこと言うな」
「こっちはこっちで、もう一人くらい縁を作りたいと思っておるんじゃ」
「お前のところはええよな」
「侍の借金、全部消えたらしいやないか」
実久はにやりと笑った。
「全部消えた」
「だから、うちの兵たちはご機嫌よ」
「飯も食うし、戦もやる気じゃ」
「四郎殿の話もあるしな」
島津本家の忠良は苦々しく茶を飲んだ。
「ずるいのう」
「八郎殿、うちの借金も早く頼むぞ」
八郎は涼しい顔で答えた。
「順番です」
「今は日向です」
実久が大笑いし、場は少し世間話のような空気になった。
しかし話の中身は重い。
大友一万。
北日向。
伊東敗残兵。
停戦。
縁談。
金。
八郎は地図の北を見ながら言った。
「大友は、むやみに銭を使って兵を削ることは望んでいないと思います」
「兵が戻れば、収穫もできます」
「だから、伊東の敗残兵を北日向に置き、大友の盾にする」
「その形が見えます」
島津本家の忠良は腕を組んだ。
「そこまで読むか」
「見える範囲です」
八郎は答えた。
「ですから、我々は急ぎすぎません」
「伊東を削る」
「国人衆を降らせる」
「大友が来る前に、できるだけ日向の形を決める」
「その上で、大友と話します」
三郎が横で呟いた。
「飯炊きながら、そこまで考えてんのか」
五郎も苦笑する。
「ほんまに四歳児ちゃうな」
八郎は少しだけ胸を張った。
「私は四歳児です」
「ただ、帳面があります」
城の方では、また門を叩く音がした。
どん、どん、どん。
外では飯が炊かれ、内では兵が減る。
日向の伊東は、少しずつ、しかし確実に追い詰められていた。




