1534年9月2週目。伊東の場内でも疲れが積り始める。大友の知らせを受けるが相手は合流しないかもと考える城主。
九月二週目。
伊東の城の中には、疲れが積もり始めていた。昼は八郎軍がじわじわ近づく。
夜は太鼓が鳴り、笛が鳴り、笑い声が聞こえる。
時折、火矢が飛ぶ。
毎晩撃たれるわけではない。
だから余計に眠れない。
「今夜は来るのか」
「来ないのか」
そう思いながら、兵は目を閉じられずにいた。
そんな中、大友からの返事が届いた。
「大友様、一万の軍を起こすとのこと!」
その知らせに、城内の兵たちは少し湧いた。
「助かるのか」
「大友が来るなら、八郎も引くのでは」
「まだ終わっていない」
だが、評定の場にいた伊東の当主の顔は晴れなかった。
重臣が問う。
「殿」
「大友が一万を出すのであれば、まだ望みはあるのでは」
当主はしばらく黙り、地図を見下ろした。
「一筋縄ではいかぬ」
「大友は、ただ我らを助けに来るわけではない」
重臣たちが顔を見合わせる。
「どういうことですか」
当主は苦々しく笑った。
「気持ちは分かる」
「わしが大友なら、そうする」
「助けるふりをして、日向の北を取る」
「国人衆には、大友へ振れと文を出す」
「こちらが八郎に押し潰されるのを待つ」
「そして、我らが崩れた後に、北日向だけ押さえる」
場が静まり返った。
別の重臣が低く言う。
「では、大友は我らを助けに来るのではなく」
「拾いに来る、と」
「そうじゃ」
当主は頷いた。
「それが一番、大友にとって得が大きい」
「伊東の要請を受けて軍を起こした」
「日向へ進んだ」
「義理は立つ」
「だが、直接八郎軍とやり合うとは限らぬ」
「取れるところだけ取り、我らが降伏するのを待つ」
「その後、八郎と対峙し、停戦する」
「それが最も損が少ない」
若い家臣が声を上げた。
「しかし、大友一万と我らが挟めば、八郎軍を破れるのでは」
当主は首を横に振った。
「それは最良の場合じゃ」
「だが、八郎軍には島津がいる」
「島津本家、分家、合わせて五千ほど」
「大友一万が島津五千と正面からぶつかれば、どちらもただでは済まぬ」
「大友が、わざわざその損を選ぶか」
重臣たちは押し黙った。
大友からすれば、伊東を守るために大損をする必要はない。
八郎と島津が日向を食うなら、大友は北だけを拾えばいい。
その見立ては、あまりにも冷たく、そして現実的だった。
「では、我らは」
「籠もるしかない」
当主は言った。
「だが、その籠城も苦しい」
外では八郎軍が飯を炊いている。
米を三倍で買っている。
農民は城へ米を持ってこない。
城内の米は、増えない。
むしろ毎日減っている。
さらに昼夜問わず、じわじわ攻められる。
「兵が眠れておらぬ」
重臣の一人が言った。
「昼は矢を射る」
「夜は太鼓と火矢」
「外では宴のように飯を食っている」
「こちらは米を数えるばかり」
「士気が落ちております」
「逃げる者は」
「少しずつ出ています」
「見つけ次第止めておりますが」
当主は目を閉じた。
「これからは、兵が兵を見張ることになるかもしれぬな」
その言葉に、場の空気がさらに重くなった。
敵を見張るための兵が、味方を見張る。
籠城の末期の匂いだった。
肝付から来た領主が、静かに口を開いた。
「八郎軍は、降った者をむやみに殺すような軍ではありません」
「我らの時もそうでした」
「捕らえた者には飯を食わせ、借金を見て、使える者は使いました」
「だからこそ、兵は逃げます」
「外に出ても殺されぬと思えば、人は城に命を預けなくなる」
重臣が苦い顔で言う。
「それも八郎の毒か」
「はい」
肝付の領主は頷いた。
「飯、銭、命の保証」
「全部、毒です」
「しかも効きます」
当主は地図の北を見た。
「大友は、おそらく我らが負けた後、受け入れてくれる」
「受け入れた上で、北日向に配置するだろう」
「伊東の名を残し、大友の盾にする」
「そこまでは読める」
重臣が小さく頷いた。
「あり得ますな」
「八郎に降れば、命は助かる」
「大友へ逃げれば、名は残るかもしれぬ」
「だが、どちらにせよ、今の伊東のままではいられぬ」
別の者が、呻くように言った。
「では、大友に文を出した意味は何だったのですか」
当主は答えなかった。
答えられなかった。
助けを求めた。
そのはずだった。
だが大友は、助けに来るのではなく、日向の割れ目を見に来る。
八郎は、攻めると言いながら飯を炊いている。
島津は、八郎と共に正規兵を並べている。
国人衆は、返事を濁している。
農民は、米を三倍で売っている。
城の中だけが、昔の戦のつもりで籠もっていた。
外から、また太鼓が聞こえた。
どん、どん、どん。
続いて、笑い声。
味噌汁の匂いが、風に乗って城内まで届く。
兵の一人が、壁にもたれて呟いた。
「外は、また飯か」
その声には怒りよりも疲れがあった。
当主はその声を聞き、拳を握った。
「まだ終わってはおらぬ」
そう言ったものの、自分の声に力がないことを、誰よりも自分が分かっていた。
大友は来る。
だが、それが救いとは限らない。
八郎軍は攻めてくる。
だが、槍ではなく、飯と銭と眠れぬ夜で攻めてくる。
伊東の城は、まだ落ちていない。
しかし、城の中の心は、少しずつ外へ漏れ始めていた。




