1534年9月1週目。伊東の使者が大友に援軍を求めるも報酬等具体的なものを考えて欲しいと保留。肥後への圧力はかけると回答。
九月一週目。
大友の館に、日向の伊東から急ぎの文が届いた。
使者は汗と埃にまみれ、息を切らして膝をつく。
「申し上げます」
「八郎軍が西より七千、南より二千」
「飯を炊き、米を買いながら、日向へ迫っております」
「さらに、島津本家と伊東の停戦が切れ次第、島津本家より三千が加わるとのこと」
「合わせて一万二千の正規兵にて、日向が攻められようとしております」
「何卒、大友様のお力をお貸しください」
広間に低いざわめきが起こった。
大友の当主は、文を読み終え、静かに使者を見た。
「急ぎなのは分かった」
「だが、こちらも兵を起こすには支度がいる」
「しばし待たれよ」
使者は顔を上げる。
「しかし、日向はすでに危うく」
「至急にございます」
「至急と言われても、出せぬものは出せぬ」
当主は声を荒げなかった。
そのぶん、言葉は重かった。
「それで」
「我らが兵を出すとして、伊東は何を差し出す」
使者は一瞬詰まった。
「何を、とは」
「領土を割譲するのか」
「金を出すのか」
「兵糧を出すのか」
「戦後、どこの城をこちらに渡すのか」
「そこを詰めてきておるのか」
使者は汗をぬぐった。
「申し訳ございません」
「そこまでは」
「急ぎの使者でございましたので」
大友の重臣が、冷ややかに言った。
「急ぎなら、なおさら詰めて来るべきであろう」
「一万二千の正規兵を相手にするのだ」
「こちらがどれほどの兵を起こせばよいか」
「どれほどの兵糧が要るか」
「どれほどの見返りがあるか」
「それを決めずに、助けてくださいだけでは兵は動かせぬ」
使者は必死に頭を下げた。
「そこを、何卒」
「日向が落ちれば、大友様にとっても」
当主は手を上げた。
「分かっておる」
「日向が落ちれば、八郎と島津の力はさらに増す」
「それは分かっておる」
「だが、分かっていることと、今すぐ軍を出すことは別じゃ」
「一度戻り、伊東殿と話を詰めて来い」
「領土、金、兵糧、戦後の扱い」
「それを持って来い」
使者はなおも粘った。
「しかし、間に合いませぬ」
「間に合わぬと言われても、間に合わぬならなおさら兵は出せぬ」
当主はそう言い切った。
「ただし、肥後方面へ圧をかけることは考えよう」
「こちらが動くかもしれぬという噂を流す」
「八郎がそれを聞けば、多少は慎重になるかもしれぬ」
「今すぐ言えるのは、そこまでじゃ」
使者は苦い顔で頭を下げ、館を出ていった。
使者の足音が遠ざかると、広間の重臣が言った。
「よろしいのですか」
「あのような扱いでは、大友の信義が問われるのでは」
当主は鼻で笑った。
「信義も何も、伊東と我らはそこまで深い仲ではなかろう」
「苦しい時だけ助けてくれと言われて、はいそうですかと兵を出せるか」
別の重臣が頷く。
「相手は一万二千」
「しかも、八郎と島津」
「軽く出れば、こちらが損をしますな」
当主は地図を見た。
「様子見じゃ」
「肥後方面に、戦支度をするかもしれぬという噂だけ流せ」
「実際には、まだ動かぬ」
若い家臣が驚いたように尋ねる。
「動かないのですか」
当主は静かに答えた。
「動かぬ」
「聞いておろう」
「四歳の麒麟児が、ここまで仕込んでおる」
「西から七千」
「南から二千」
「島津本家三千」
「しかも飯を炊き、米を三倍で買う」
「この時点で、伊東の農民兵は集まらぬ」
重臣が頷く。
「八千集めると言っても、実際は七千、六千」
「それも農民兵混じり」
「士気は低いでしょうな」
「そうじゃ」
当主は地図の上の日向を指でなぞった。
「城に米を蓄えようとしても、農民は八郎の陣へ米を持って行く」
「三倍で買うと言われれば当然じゃ」
「そこで飯を食わされ、酒を飲まされ、借金まで見てもらえると噂を聞く」
「誰が伊東の城へ喜んで入る」
「八郎は農民を敵に回さぬ」
「そこが強い」
若い家臣は唸った。
「正面の戦の強さは」
「分からぬ」
当主はあっさり言った。
「だが、島津がついておる時点で弱くはない」
「そこへ八郎の金と飯と帳面が乗る」
「正面からぶつかって、こちらが兵を減らすのは愚かじゃ」
「では、何を狙いますか」
当主の目が細くなった。
「すべてが終わった後じゃ」
「伊東が崩れ、日向が乱れた時」
「北日向の一部をいただけるなら、それが一番よい」
「敗兵を受け入れる」
「国人衆へ声をかける」
「八郎が南と中央を押さえるなら、こちらは北へ手を伸ばす」
「それで十分じゃ」
重臣が静かに笑った。
「助けるのではなく、拾うのですな」
「そうじゃ」
「伊東を助けて大損をするより、伊東が崩れた後に得を拾う」
「その方が大友のためになる」
別の家臣が言った。
「では、伊東への返答は」
「兵を起こすには準備がいる」
「条件を詰めよ」
「こちらは肥後方面で圧を強める」
「そう返せ」
「実際には噂を流し、様子を見る」
当主はそこで、ふっと笑った。
「しかし、八郎という童は面白い」
「刀を振るう前に、米の値を三倍にする」
「戦場に市を持ち込む」
「敵の腹と財布と噂を先に奪う」
「そんな戦、聞いたことがない」
重臣が頷く。
「だからこそ怖い」
「相手にすると、どこを斬ればよいか分かりませぬ」
当主は日向の地図を見つめた。
「日向は、おそらく落ちる」
「問題は、その後じゃ」
「八郎と島津が百二十万石級になるなら、大友も黙って見てはおれぬ」
「だが、今はまだ動かぬ」
「焦って兵を失うより、次の縁、次の城、次の国人衆を見よ」
広間の者たちは頭を下げた。
外では、肥後方面へ噂を流すための使者が静かに用意されていた。
大友は、すぐには動かない。
だが、見ている。
伊東が崩れる音を。
八郎の飯の湯気が、日向の城を包む瞬間を。
そして、その後に拾えるものを。




