1534年8月4週目。八郎軍の動きを見て苦々しく見る伊東勢。選択肢を考えるがどれも危機を乗り切れる確信が持てない。
八月四週目。
八郎軍が日向との領境で飯を炊き、米を三倍で買い、農民に酒まで振る舞っているころ。
伊東方の城では、苦々しい評定が開かれていた。
「本来なら、西側の炊き出し部隊など、叩き潰したいところじゃ」
伊東の重臣が、地図を睨みながら言った。
「だが、相手は七千で陣を構えておる」
「炊き出しと言いながら、兵は揃っておる」
「こちらが中途半端に出れば、逆に食われる」
別の者が唸る。
「こちらの正規兵は、五千を立てるのが精一杯か」
「そこに農民兵を集めて、八千ほど」
「数だけなら足りるように見えるが」
肝付から来た領主が、苦い顔で首を横に振った。
「正規兵七千と、農民兵混じりの八千では質が違います」
「しかも、向こうは飯を食わせ、湯を沸かし、銭を払う軍です」
「腹が減って荒れる兵ではない」
「こちらは農民をかき集めても、逃げる者が出る」
伊東の家臣たちは黙り込んだ。
さらに悪いことに、周辺の国人衆の動きが鈍い。
伊東につく、と即答した者は少ない。
「相談する」
「隣の動きを見る」
「しばし待たれよ」
そんな返事ばかりだった。
要するに、中立である。
いや、丁寧に言えば中立。
悪く言えば、伊東には加わらないということだった。
「この流れが続けば」
重臣の一人が言った。
「国人衆は、よくて中立」
「悪ければ八郎へ振れる」
「八郎につけば、命は保証、借金は面倒を見ると触れておる」
「城主には責任を取らせると言いながら、身と住居は保証する」
「これは、怖い」
伊東の当主は、奥歯を噛んだ。
「米はどうなっておる」
「早刈りして城へ入れろと命じました」
「ですが」
報告役は言いにくそうに続ける。
「八郎軍が、日向の米を三倍で買うと触れております」
「農民の一部は、こちらへ運ぶ前に、八郎の陣へ持って行っております」
「そこで飯を食わされ、酒まで飲まされ、余計なことをべらべら話しておるとか」
場に怒気が広がった。
「裏切りではないか!」
「捕らえて斬れ!」
だが、肝付の領主が静かに言った。
「それをやると、もっと逃げます」
「八郎軍のやり方は、そういうものです」
「戦う前に、兵を集めさせない」
「米を城へ入れさせない」
「農民の口を軽くする」
「我ら肝付も、それでやられました」
伊東の者たちが、肝付の領主を見る。
彼は唇を噛んだ。
「こちらは五千集めるつもりでした」
「ですが、実際には三千も集められなかった」
「籠城しても、二割は逃げた」
「城の外では飯を炊かれ、こちらの中では腹が減る」
「最後は心が折れる」
「それが八郎軍です」
伊東の当主は、地図に拳を置いた。
「ならば対策は」
「一つは、強制的に農民を城へ入れることです」
肝付の領主は答えた。
「早刈りさせ、米と人を城へ入れる」
「籠城の形を早く作る」
「ただし、農民兵は戦を生業にしておりません」
「包囲された中で、外から飯の匂いを流され、酒の話を聞き、借金を消すと言われれば」
「城の物を持って逃げる者も出ます」
「では、農民を入れず、米だけ入れるか」
別の重臣が言った。
肝付の領主は頷いた。
「それも一つです」
「正規兵五千だけで籠もる」
「士気は保ちやすい」
「だが、数は減ります」
「外へ出て正面から叩くなら、島津の兵がいる」
「騎馬もある」
「そこを突破できるかどうかが肝です」
「南はどうだ」
「大隅方面から二千が動いております」
「その間には国人衆がいますが、そこも日和見です」
「簡単には動かせません」
「嫌がらせ程度ならできましょう」
「しかし、大きく崩すには足りません」
評定の空気は、重く沈んだ。
どの策も苦しい。
農民を集めれば逃げる。
正規兵だけなら数が足りない。
出撃すれば島津に当たる。
籠城すれば飯と火矢と噂に削られる。
国人衆は動かない。
米は三倍で吸われる。
「大友へ使者を出すしかないか」
誰かが言った。
伊東の当主は目を細めた。
「大友か」
「日向へ直接来られずとも、肥後方面で圧を強めてもらえれば、八郎軍も兵を割かざるを得ません」
「ただ、日向は縦に長い」
「援軍を送るにも時間がかかる」
「しかも大友は大内と揉めておる」
「現実的かと言われれば、薄い」
「それでも出します」
肝付の領主は静かに言った。
「打てる手は打つべきです」
「大友が動かずとも、八郎の耳に入れば、少しは慎重になるかもしれません」
伊東の当主は、長く黙った。
やがて、低く言う。
「つまり、選べる道は三つか」
「一つ、農民を早刈りさせ、米と共に城へ入れて籠城」
「二つ、米だけを集め、正規兵五千で固く守る」
「三つ、一撃で出て、八郎の西の陣を叩く」
重臣が顔をしかめた。
「どれも厳しいですな」
「厳しいどころではない」
当主は苦く笑った。
「どれを選んでも、八郎の飯の匂いがついてくる」
肝付の領主は、重々しく頷いた。
「そうです」
「八郎軍は、城を攻める前に、腹と銭と噂で攻めてきます」
「槍で受けられぬ攻めです」
外では、早刈りを命じる使者が慌ただしく走っていた。
しかしその先の村々では、すでに別の噂が広がっている。
八郎軍は米を三倍で買う。
飯を食わせる。
酒も出る。
借金も見てくれる。
伊東の評定が重く沈む中、日向の田のあぜ道には、米俵を背負って八郎の陣へ向かう農民の姿が、
少しずつ増え始めていた。




