1534年8月3週目。八郎と島津分家のみで伊東の両境まで進軍。行軍が滅茶苦茶緩いwww米を3倍で買い取る。
八郎軍の行軍は、どう見ても普通の軍勢とは違っていた。
三郎が道の脇で握り飯を頬張りながら言った。
「これ、絶対に普通の軍に比べたら、軍律というか規律が緩いよな」
五郎も周囲を見渡して頷く。
「緩い」
「兵が笑って歩いてる」
「荷車の横で飯の話してる」
「戦に行く顔やない」
四郎は帳面を抱えながら言った。
「でも、乱れているわけではない」
「決まった場所で休み、決まった場所で飯を炊き、決まった者が米と銭を見ている」
「緩く見えるだけで、流れは決まっている」
三郎は唸った。
「あれやな」
「大金と、八郎の顔と、あと余裕や」
「市が揃ってるから、無理に兵站を新しく作らんでええ」
「俺らが作ってきた市が、結局そのまま兵站になってもうてる」
五郎が笑った。
「飯場、湯浴み、米払い、庄屋衆、寺社市」
「全部つながって、今こうして歩いてるんやな」
六郎が少し興奮したように言う。
「何回か、戦に行く人たちを見たことありますけど」
「こんなに緩く歩いてるの、見たことないです」
七郎も頷く。
「槍持ってる人が、今日の味噌汁の具を気にしてます」
「普通はもっと怖い顔してると思ってました」
近くで聞いていた兵士が笑った。
「緩く見えるだけですよ」
「やる時はやるのが八郎軍です」
別の兵も頷く。
「けど、腹が減ってないと人は荒れません」
「銭を払ってもらえるなら、荷もちゃんと運びます」
「湯に入れるなら、揉め事も減ります」
「八郎様の軍は、そこが違う」
三郎はその言葉に少し感心した。
「兵がそこまで言うんやから、だいぶ毒が回ってるな」
八郎は少し前の荷車の上で、帳面を見ていた。
「毒ではありません」
「仕組みです」
「同じや」
五郎が突っ込む。
八郎軍は一週間ほどかけて、ゆるゆると日向との領境へ向かった。
島津本家には、あえて寄らない。
停戦期間中に伊東を攻める準備をしている以上、島津本家を表立って巻き込む形にするのはよくない。
それが八郎なりの配慮だった。
「停戦が切れるまでは、島津本家は島津本家です」
「こちらは八郎軍と島津分家で動きます」
「筋は通します」
二郎が頷いた。
「そこは大事やな」
「揉める種は減らしておいた方がええ」
一方、大隅方面では、すでに飯炊きが始まっていた。
兵二千。
炊き出し五百。
国境近くで大釜が並び、煙が立ち、味噌の匂いが風に乗る。
同時に、日向の国人衆たちへ文が回っていた。
伊東につくか。
八郎につくか。
中立を保つか。
八郎につけば命は保証する。
借金は面倒を見る。
ただし、借金で民を苦しめた領主には責任を取ってもらう。
身と住居は保証するが、城をそのまま任せるとは限らない。
その文を読んだ国人衆たちは、顔をしかめた。
「なんという腹立たしい文じゃ」
「叩き斬りたいほどむかつく」
「だが、一万二千で来ると言われてはな」
ある者は伊東へ使いを出し、ある者は隣の国人衆の様子を探り、ある者は返答を濁した。
「しばし待たれよ」
「家中で相談する」
「隣の動きを見てから」
そんな返事が乱発された。
伊東につけば数は多少増える。
だが、集まるのは農民兵が多くなる。
一方、八郎軍は飯を食い、湯に入り、銭を持ち、正規兵を中心に進んでくる。
質が違う。
その差を、国人衆たちは肌で分かっていた。
やがて、西側から八郎軍七千。
南側から大隅勢二千。
二つの流れが、じわじわと日向へ圧をかけ始めた。
西側の七千は、領境で大きく陣を張った。
だが、陣というより市だった。
釜が並ぶ。
飯が炊かれる。
湯が沸く。
米を量る場所が作られる。
銭箱が置かれる。
そして触れが出た。
「日向の米は三倍で買う」
「早刈りでもよい」
「俵で持ってこい」
「米を出した者には飯と酒を振る舞う」
その話は、瞬く間に周辺の村へ広がった。
最初は半信半疑だった農民たちも、恐る恐る米を持って陣へ向かった。
「本当に買ってくれるのか」
「三倍など、嘘ではないのか」
陣の前で、五郎が米を見て、四郎が帳面をつける。
銭が渡される。
農民の目が丸くなる。
「本当に三倍や」
「しかも奪わん」
「飯まで食わせてくれる」
三郎の飯場では、味噌汁と握り飯が振る舞われた。
少し酒も出る。
兵士と農民が並んで飯を食う。
農民たちは最初こそ怯えていたが、腹が満ちるにつれて、口が軽くなった。
「伊東様の城へ米を持っていけと言われております」
「でも、こちらで三倍なら」
「家の借金も少し返せる」
「娘に布団を買える」
「湯にも入れると聞いた」
その声を、八郎は黙って聞いていた。
やがて、小さく言う。
「回り始めましたね」
三郎が鍋をかき混ぜながら言った。
「八郎軍の毒がな」
五郎も苦笑した。
「飯と銭と湯の毒や」
八郎は少し不満そうに頬を膨らませた。
「毒ではありません」
「選べる道を見せているだけです」
四郎が静かに帳面を閉じる。
「でも、伊東から見れば毒やな」
「農民が城に米を運ばず、こちらへ持ってくる」
「国人衆は返事を濁す」
「城は兵糧を集めにくくなる」
六郎が呟いた。
「戦が始まる前に、もう崩れ始めてるんですね」
八郎は日向の方を見た。
「まだ始まったばかりです」
「飯を炊きます」
「米を買います」
「噂を広げます」
「それでも城に籠もるなら、次です」
遠くで、また煙が上がる。
それは火矢の煙ではない。
味噌汁の湯気だった。
だが日向にとっては、その湯気こそが、最初に忍び込んでくる八郎軍の毒だった。




