表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
450/649

1534年8月2週目。日向攻めの兵站物資が着々と積みあがる。行軍は1週間かけて日向の国境まで向かう。

八月二週目は、まさにばたばただった。

本拠の庭には荷車が並び、米俵、味噌樽、塩、薪、桶、布、薬、釜が次々と積まれていく。

八郎は小さな体で帳面を持ち、あちらこちらに指示を飛ばしていた。

「湯浴み釜は六百、持っていきます」

三郎が振り向いた。

「六百?」

「そんなに持っていけるんか」

八郎は平然と答える。

「拠点が二十あります」

「各拠点に三十個ずつ釜を用意できるはずです」

「それを拾いながら進みます」

「全部を本拠から持っていくわけではありません」

五郎が呆れたように言う。

「道中で釜を集める行軍か」

「はい」

「後ろからついてきてください」

「まず島津本家と伊東領の境まで行きます」

「一週間弱ほどかけて、ゆっくり進みます」

二郎が腕を組んだ。

「ゆっくり進む意味は」

「銭を落とすためです」

八郎は即答した。

「今回は一千万文ほど持っていきます」

その場が静まった。

「一千万文?」

「どんだけ持っていくねん」

三郎が思わず声を上げる。

八郎は帳面をめくった。

「慰安費も兼ねています」

「兵の士気を落とさないためです」

「それと、日向側の米を買い尽くすつもりで行きます」

五郎が顔を引きつらせた。

「えげつない攻め方するな」

「奪うより穏やかです」

八郎は真顔で言う。

「三倍で買う」

「米を持ってきた者には銭を払う」

「足りない分は、できるだけツケでも受けます」

「日向の農民が伊東の城へ米を持っていくより、こちらに売った方が得だと思えば、それで勝ちです」

四郎が静かに頷いた。

「米を買えば、向こうの兵糧が減る」

「こちらの兵糧は増える」

「農民は銭を持つ」

「噂も広がる」

「はい」

八郎は満足そうに頷いた。

「八郎商会全体がフル稼働すれば、利益で千二百万文ほど出ます」

「そこは心配していません」

「私が心配しているのは、市が止まること、交易が止まることです」

「兵が出ても、市は平常通り回してください」

「飯場、湯浴み、寺社市、米払い、帳面」

「ここが止まると、足元が崩れます」

六郎と七郎も真剣に頷いた。

「説明役は残しておきます」

「寺社市も見ます」

八郎はさらに帳面を指で叩いた。

「火矢は五百ほど集まりました」

今度は父が顔をしかめた。

「物騒なものまで集めとるな」

「千本欲しかったのですが、今回は五百です」

「とりあえず持っていきます」

三郎が頭を抱える。

「飯と湯と銭で進むと思ったら、火矢もあるんか」

「物は試しです」

「試すものが物騒すぎる」

八郎は涼しい顔で続けた。

「火矢は攻め落とすためだけではありません」

「眠らせない」

「不安にさせる」

「城の中で飯が足りない時に、外ではこちらが飯を炊いている」

「その状態を作ります」

「心を折るための道具です」

一郎が芋焼酎の甕を見ながら苦笑した。

「お前の戦は、ほんまに飯と嫌がらせやな」

「死ぬ人が少ない方がよいです」

「そのためには、嫌がらせもします」

母が少し心配そうに八郎を見た。

「無理しすぎたらあかんよ」

「私は四歳児なので、無理はしません」

三郎が即座に突っ込む。

「一千万文持って火矢五百持って行く四歳児がおるか」

準備は進んだ。

八月二週目の終わりに帳面をもう一度合わせ、三週目には出立する。

その前に、八郎は兄たちへ向き直った。

「出る前に、島津本家の姫君方へ挨拶します」

三郎と五郎の肩がぴくりと動いた。

「やっぱりあるんか」

「あります」

「兄様方も心の準備をしてください」

五郎が顔をしかめる。

「分家の時より緊張するんやけど」

「島津本家の姫君方も魅力的ですよ」

八郎はにこにこと言った。

三郎が呆れたように睨む。

「お前のそういうところが、ちょっとませてんねん」

「事実です」

「それに、おそらく市で働きたいと言ってくるかもしれません」

「その時は、来てもよいと伝えます」

「島津分家の姫君方も同様です」

四郎が少し反応した。

八郎は見逃さず、にこりと笑う。

「ただし、日向は立ち上げ直後です」

「荒い対応になる可能性もあります」

「危ないこともあります」

「ですから、何かあれば兄様方に頼ってください、と言うつもりです」

五郎がすぐに言った。

「余計なこと言うな」

「余計ではありません」

「縁です」

「縁という名の外堀やろ」

六郎が小さく笑い、七郎も苦笑した。

二郎は春姫の方を思い出したのか、遠い目をしていた。

「逃げ道は、あるうちに大事にしとけよ」

三郎と五郎が同時に二郎を見る。

「経験者の顔やめてください」

広間に笑いが起こった。

だが、その笑いの外では、荷車が動き続けている。

釜六百。

銭一千万文。

火矢五百。

米を買うための商人。

兵を慰める湯浴み。

日向の国境へ向けて、八郎商会は静かに、しかし恐ろしい速さで形を変えていた。

八郎は帳面を閉じ、ぽつりと言った。

「戦は、始まる前が一番大事です」

「飯を炊けるか」

「湯を沸かせるか」

「銭を払えるか」

「市を止めないか」

「そこを間違えなければ、勝てます」

三郎はため息をつきながらも、少し笑った。

「ほな、勝つために飯を作るか」

五郎も頷いた。

「銭を落として、米を拾って、心を寄せる」

四郎が静かに言った。

「順繰りですね」

八郎は嬉しそうに頷く。

「はい」

「順繰りです」

その言葉とともに、日向へ向かう準備は、さらに速度を上げていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ