1534年8月2週目。帳面合わせ。借金の消すのは一旦停止。日向攻めの準備を進める。連合軍12,000の兵をあげる見積もり
八月二週目。
本拠の広間には、久しぶりに家族全員が揃っていた。
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎、七郎。
父と母。
番頭衆、庄屋衆、侍衆の代表。
そして八郎が、いつものように分厚い帳面を前に座っている。
「では、帳面合わせを始めます」
八郎は淡々と言った。
「細かい数字は、全部見ておいてください」
三郎が久しぶりにその場で突っ込んだ。
「またそれか」
「久々に聞いたわ」
五郎も笑う。
「帰ってきた感じがするな」
八郎は気にせず帳面をめくった。
「増えたか減ったかで言えば、増えました」
「ただ、新しい領地を獲得しているわけではありません」
「ですので、通常の湯浴み釜については、いったん大きな増設は止めています」
「高級湯浴みは、順繰り進めます」
職人衆が頷く。
「急に広げず、今あるところを固めるということですね」
「はい」
「それと借金ですが」
広間の空気が少し引き締まる。
最近の帳面合わせでは、どこかの城、どこかの侍衆、どこかの庄屋衆の借金が大きく消えてきた。
皆、今回も何か消えるのかと思っていた。
だが、八郎は首を横に振った。
「今回は、大きく返しません」
父が少し驚いた。
「返さへんのか」
「返せます」
「ですが、そろそろ仕込み始めます」
八郎は地図を広げた。
日向。
伊東。
国境。
街道。
米の集まりそうな村。
川筋。
飯を炊ける場所。
そこに小石が置かれていく。
「日向進行への準備です」
三郎が低く言った。
「いよいよか」
「はい」
「まず、どれくらい兵を上げるか、ざっくり計画を立てます」
八郎は指で地図を押さえた。
「肥後・薩摩の八郎領から五千」
「大隅の八郎領から二千から二千五百」
「島津分家から二千」
「島津本家から三千」
「合計で一万二千前後を見ます」
侍衆がうなずく。
「妥当な線ですな」
「大隅の二千五百は少し厳しいかもしれませんが、二千なら出せましょう」
一郎が腕を組む。
「稲刈りを考えたら、それ以上は無理をさせすぎるな」
八郎は頷いた。
「はい」
「八郎軍が、肥後薩摩五千と大隅二千で七千」
「島津分家二千」
「ここまでで九千」
「停戦期間が終わった後、島津本家三千」
「合わせて一万二千」
「これくらいで動きます」
二郎が地図を覗き込む。
「伊東はどれくらい集める」
「農民兵を合わせれば八千ほどかもしれません」
「ですが」
八郎は少し声を低くした。
「こちらは飯を炊きながら近づきます」
「米を買いながら進みます」
「城に集まれと言われた農民が、素直に集まるかは分かりません」
五郎が眉を上げる。
「また飯で崩すんか」
「はい」
「国境近く、日向側に近い村では、米を三倍で買います」
広間がざわめいた。
「三倍?」
「それはえぐいな」
「伊東に納めるより、こちらに売りたくなるやないか」
八郎は静かに頷いた。
「それが狙いです」
「伊東方へ米を持っていくより、八郎商会に売った方がよい」
「そう思わせます」
「こちらは米を手に入れる」
「向こうは米を集めにくくなる」
「農民は銭を得る」
「こちらの兵は飯を食える」
「四つ得ます」
三郎が苦笑した。
「米を買ってるだけで戦になってる」
「戦です」
八郎は真顔で言った。
「刀を抜く前の戦です」
四郎が帳面を見ながら言う。
「だから今週は借金返済を抑えて、米と兵站に銭を残すわけやな」
「はい」
「飯を炊く場所」
「味噌、塩、薪、釜、桶」
「馬の餌」
「怪我人用の布」
「慰安の湯浴み」
「移動する商人への手当」
「全部、先に積みます」
母が少し心配そうに言った。
「また銭が湯水みたいに消えるんやね」
「消えます」
八郎は素直に答えた。
「ですが、使う場所を間違えなければ、戻ってきます」
「米として」
「降伏として」
「市として」
「借金返済として」
「日向の平定後の寺社市として」
実久の使者が頷いた。
「島津分家二千は、かなり前向きです」
「借金が消えた侍衆は士気が高い」
「参加したい者も多いとのことです」
八郎は帳面に筆を走らせた。
「では、分家二千は見込みます」
「一週間準備します」
「八月二週が終わったら、西側五千、大隅二千から二千五百の兵を上げます」
「まず国境付近まで近づく」
「飯を炊く」
「米を買う」
「銭を落とす」
「噂を広げる」
「島津分家二千と合わせて九千で圧をかけます」
「停戦が切れた後、島津本家三千が上がる」
「その形で動きましょう」
父が静かに言った。
「戦の前から、もう日向の村に銭を落とすんやな」
「はい」
「敵地と思わず、先の市と思います」
「こちらに売れば得をする」
「こちらの兵は乱暴に奪わない」
「飯を炊いて銭を払う」
「それを見せます」
二郎が頷いた。
「城に籠もるより、村に残って米を売った方が得やと思わせるわけか」
「そうです」
八郎は皆を見渡した。
「そのためにも、八郎領内の市は平常通り回してください」
「戦が始まるからといって、市が乱れるのが一番よくありません」
「前回の戦もそうでした」
「飯場、湯浴み、寺社市、米払い、帳面」
「全部、普段通り」
「その普段通りがあるから、外へ兵を出せます」
五郎が背筋を伸ばした。
「分かった」
「こっちはこっちで市を崩さんように見る」
三郎も頷く。
「飯場も任せろ」
四郎は帳面を閉じた。
「寺社市と米払いは、特に揉めやすいところを見ます」
六郎と七郎も顔を見合わせ、頷いた。
「説明役、やります」
「村ごとに違うところも聞いておきます」
八郎は満足そうに頷いた。
「お願いします」
「私は全体を見ます」
「兵を上げる費用、米の買い付け、慰安費、湯浴み釜の移動、商人への手当」
「すべてこちらで計上します」
「誰が何を持ち出したか、曖昧にしません」
侍衆がざわめいた。
「それなら兵も出しやすい」
「家に説明が立つ」
「銭を払う戦か」
「八郎様らしい」
八郎は地図の上の日向を見た。
「奪う戦ではありません」
「寄せる戦です」
「米を寄せる」
「人を寄せる」
「心を寄せる」
「それでも逆らう城だけ、火矢と飯で眠らせません」
三郎が苦笑する。
「最後だけ怖いんよ」
広間に笑いが起こった。
だが、その笑いには力があった。
島津分家は二千。
島津本家は三千。
八郎軍は七千。
一万二千の兵を動かすために、帳面の上で銭と米と釜が動き始める。
八月二週目。
日向への戦は、まだ始まっていない。
けれど、八郎商会の飯の匂いは、もう国境へ向かって流れ始めていた。




