1534年8月1週目。分家の姫と四郎様がいい関係であることに焦る島津本家の姫君。分家が笑顔と茶で縁を取るなら本家は市と仕事ぶりで縁を取る。
一方、島津本家の姫君たちは、分家での宴の話を聞いていた。
場所は、島津本家の奥の間。
表向きは茶を飲むだけの集まりだったが、中身は完全に評定である。
「島津分家では、ずいぶん盛り上がったそうですね」
長女格の姫が、茶碗を置きながら言った。
「借金千三十万文が消えた祝い」
「芋焼酎」
「侍衆の感謝」
「そして、四郎様と分家の姫君が仲良くなっておられる、と」
妹姫の一人が、少し悔しそうに頬を膨らませた。
「確認が甘かったですね」
「私たちは三郎様、五郎様の話で盛り上がりすぎました」
「四郎様は、静かに横を抜けていかれました」
別の姫が頷く。
「おそらく、四郎様は取られます」
「分家の姫君は、結婚したいと言っているとか」
「四郎様も嫌ではない」
「一緒にいて落ち着く」
「そこまで来ているなら、もう二歩三歩、向こうが先です」
長女格の姫は、少しだけ息を吐いた。
「邪魔をするより、諦める方がよいかもしれません」
「無理に割り込めば、こちらの品が落ちます」
「ただし、もし決まらなければ、日向の市立て直しで絡む機会はあるでしょう」
「でも、今は分家が先です」
奥にいた春姫が、静かに頷いた。
「では、その分、三郎様か五郎様を取りたい、ということですね」
部屋の空気が少し熱を帯びた。
「はい」
「三郎様、五郎様は、八郎商会の中核です」
「料理、飯場、庄屋衆、人の扱い」
「現場を回せる方々です」
「八郎様が取りまとめであるなら、兄様方は手足であり、心臓です」
別の姫が続ける。
「日向を八郎様が押さえれば、その先、大友や大内から縁談が降ってくるかもしれません」
「その前に、島津本家の縁を入れておく意味は大きいです」
「六郎様、七郎様もよいのですが、やはり今すぐ中核に近いのは三郎様、五郎様です」
妹姫が小さくため息をついた。
「でも、逃げはるんですよね」
別の姫が即座に頷いた。
「逃げます」
「本当に逃げます」
「責任という言葉を聞くと、すぐ湯浴みに行こうとします」
「布団に倒れ込もうとします」
春姫が少し笑った。
「それは二郎様も似たところがありました」
「ただ、逃げる方ほど、ちゃんと話せば情は深いと思います」
妹姫は不満げに言った。
「でも、町娘に声をかけられて照れているのを見ると」
「そんなに軽いお付き合いがしたいのか、と疑ってしまいます」
長女格の姫がぴしゃりと言った。
「そこは言ってはいけません」
「言えば逃げます」
「詰めるなら、籍を入れてからです」
「まずは、茶を飲む」
「仕事を見る」
「市を一緒に回る」
「逃げ場を少し残して、じわじわ囲うのです」
春姫が微笑む。
「囲う、という言い方は少し怖いですが」
「でも、八郎家の兄様方には、それくらいでちょうどよいかもしれません」
「完全に逃げ道を塞ぐと畳に転がります」
その場に笑いが起こった。
長女格の姫は、しかし真面目な顔に戻る。
「島津本家は、分家より空気が重いです」
「国高も、立場も、家臣の目もあります」
「だから三郎様や五郎様からすれば、逃げる理由を作りやすい」
「でも、こちらが何もしなければ、大友や大内の縁談が上から降ってくるかもしれません」
「そうなれば、彼らは逃げられません」
「そして、私たちの入り込む余地もなくなります」
妹姫が小さく頷いた。
「だから、日向の市立て直しですね」
「そうです」
長女格の姫は茶碗を置いた。
「八郎商会の市立ち上げは、正直、楽しかった」
「村の顔が変わる」
「湯が沸く」
「米払いが動く」
「借金が見える」
「あれを一緒にやっているうちに、自然に話す時間は増えます」
「三郎様、五郎様だけでなく、六郎様、七郎様ともです」
一人の若い姫が、少し頬を染めた。
「六郎様も、よい方だと思います」
皆の視線が、そちらに向いた。
「どうよいのですか」
長女格の姫が面白そうに尋ねる。
若い姫は少し慌てた。
「いえ、その」
「まだお若いですけれど」
「寺社市で農民に説明する時、言葉を選んでおられました」
「分からない者に、苛立たず、何度も言い直していて」
「こちらにも気を使って話してくださるので」
「面白いですし、優しいと思います」
妹姫たちは顔を見合わせた。
「それはそれで、よいかもしれませんね」
「婚約という形なら、年の差も少し待てますし」
若い姫は真っ赤になった。
「まだ、そういう話では」
「そういう話にするかどうかを考えているのです」
春姫が穏やかに言った。
「ただ、無理に急がなくてよいと思います」
「六郎様、七郎様はまだ幼さもあります」
「でも、早くから一緒に市を回り、仕事を見て、言葉を交わすことはできます」
長女格の姫は頷いた。
「うちとしては、四郎様だけを分家に取られて終わるわけにはいきません」
「もちろん、島津は本家も分家も、八郎様たちと武で動いています」
「今すぐ困るわけではない」
「けれど先々を考えれば、八郎商会の中核と縁を結ぶ意味は大きい」
「特に、分家は侍衆の借金が先週全部消えました」
「千三十万文です」
「分家は、その恩に縁で応えようとしている」
「では、本家はどうするのか」
部屋の空気が静かになった。
春姫が少しだけ目を伏せた。
「本家も、いずれ借金を消していただくことになるでしょう」
「その時、何も返すものがないのは、重いです」
「銭だけでは返せない恩があります」
妹姫が呟いた。
「縁、ですね」
「はい」
長女格の姫ははっきりと言った。
「だから考えておきましょう」
「三郎様」
「五郎様」
「六郎様」
「七郎様」
「誰とどう縁を作るのか」
「ただし、無理に奪わない」
「焦って詰めすぎない」
「仕事を一緒にして、茶を飲んで、逃げられないほどではなく、逃げたくなくなるようにする」
春姫が小さく笑った。
「難しいですね」
「戦より難しいかもしれません」
長女格の姫も笑った。
「八郎様は帳面で国を取ります」
「分家は茶と笑顔で縁を取ろうとしています」
「なら、私たちは市と仕事で心を取ります」
若い姫が少し恥ずかしそうに言った。
「では、日向の市立て直しには、私たちも行けるように準備ですね」
「もちろんです」
「湯浴み、寺社市、米払い、帳面」
「全部、もう一度覚え直します」
「そして、八郎家の兄様方を順繰り見ます」
妹姫がくすりと笑った。
「順繰り、ですね」
「八郎様みたいです」
その言葉に、部屋中が笑った。
けれど、笑いながらも姫君たちは分かっていた。
これはただの恋話ではない。
島津本家の未来。
八郎商会との結びつき。
大友や大内が伸ばしてくるかもしれない手。
そのすべてが、三郎や五郎の逃げ腰な笑顔、六郎の丁寧な説明、
七郎のぎこちない働きぶりの中に重なっている。
長女格の姫は最後に、静かに言った。
「まずは、日向です」
「そこで一緒に働きましょう」
「市が立ち上がる時、人の心も動きます」
「その時、私たちも動けばよいのです」
春姫が頷いた。
「焦らず、でも遅れずに」
島津本家の姫君たちは、茶を飲みながら、それぞれの胸に小さな決意を抱いた。
四郎は分家に行くかもしれない。
ならば、こちらは別の縁を作る。
日向の湯気の中で。
寺社市のざわめきの中で。
逃げる兄様方が、いつの間にか逃げなくなるように。




