1534年7月4週目。実久から島津分家の城に早馬が数騎来る。三郎たちを見つけ、八郎が島津分家の侍の借金千三十万文消した話をする。
七月四週目。
島津分家の領内で、三郎たちは淡々と市を回していた。
島津本家でやっていたことと、基本は変わらない。
三郎は飯場に立ち、味付けを見て回る。
「味噌が強すぎるな」
「こっちは塩を少し控えた方がええ」
「親鳥はもう少し煮たら柔らかくなる」
そう言いながら、鍋を覗き、匙で味を見て、女衆や若い者に手順を教えていく。
四郎と五郎は、寺社市と湯浴み釜の方を回った。
どこに釜を据えるか。
水はどこから運ぶか。
米払いの帳面は誰が見るか。
寺への寄進分はどう分けるか。
六郎と七郎も、寺社市の列を整え、農民に米払いの仕組みを何度も説明していた。
「銭がなくても、米で払えます」
「ただし、帳面にはちゃんと残します」
「寺社市で買った分と、飯屋へ出した米を混ぜないようにしてください」
ぎこちなさは残るが、動きは丁寧だった。
姫君たちはその隣で見ていた。
町娘の姿ではあるが、目は真剣である。
「すごいですね」
一人の姫が、ぽつりと言った。
「ちゃんと回しておられる」
「八郎様だけではないのですね」
五郎は少し笑った。
「そうですよ」
「八郎は取りまとめです」
「外交もやるし、軍事も見るし、帳面もまとめる」
「でも、八郎商会そのものは、うちの人間で回してます」
「八郎商会の心臓は我々です。(笑)」
三郎が鍋をかき混ぜながら言う。
「混ぜ飯のころから、みんなでやってましたからね」
「思い入れは、私らも一緒です」
姫君たちは少し驚いた顔をした。
八郎だけが異様なのではない。
その異様な八郎を支える兄たちも、すでに現場ではなくてはならない存在になっている。
そんな時だった。
飯場の近くで、商家の男が三郎に声をかけた。
「三郎様」
「このたびは市、本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
「それで、その……うちの娘も少し面倒見てもらえませんかね」
三郎の手が止まる。
「面倒、ですか」
「いや、変な意味ではなく」
「お茶でもどうですか、という話で」
商家の男の後ろには、若い娘が恥ずかしそうに立っていた。
三郎は困ったように笑った。
「ありがたい話なんですけどね」
「他の娘さんも見てますので」
すると、周りの女衆がくすくす笑った。
「私たちも三郎様と仲良くなりたいのに」
「三郎様、かっこいいですよ」
「鍋見てる時、すごく真剣ですし」
三郎は耳まで赤くなった。
「いや、すいませんね」
「ありがたいんですけど」
そう言いつつ、少し未練がましい顔をしている。
その横で、分家の姫君たちがじっと見ていた。
「本当は、私たちがいなければ行きたかったでしょう」
三郎はぎくりとする。
「いや、気持ちはありますけども」
「ありますのね」
「そら、女の人に褒められたら嬉しいです」
「でも、責任感とか、いろいろ考えないといけないじゃないですか」
姫君たちは苦笑した。
「正直でよろしいです」
「でも、私たちの前でそこまで正直に言うのですね」
「隠しても見抜かれるでしょう」
「はい」
一方、四郎は四郎で、城の中で以前から言葉を交わしていた姫君と、
寺社市の帳面を見ながら、落ち着いた様子で話していた。
昼には少し離れた席で茶を飲み、穏やかに言葉を交わしている。
五郎がそれを見て呟いた。
「四郎は、なかなかやな」
三郎も頷く。
「島津本家でそんなに圧をかけられてへんからな」
「俺らほどではないか」
姫君の一人が笑う。
「いいではありませんか」
「敵がいないということでしょう」
「敵って言い方」
五郎が苦笑する。
「こっちはこっちの苦労があって、向こうは向こうで……苦労なのかは分からないですけど」
三郎も四郎の方を見る。
「少なくとも、本家の圧を受けてない分、こっちでのびのびしてるのはあるかもしれませんね」
「別にお姫様がいないわけではないんですけど」
「仲良くなったのが、こっちの姫様の方が先やったからかな」
その時、遠くから馬の蹄の音が響いた。
一騎ではない。
何騎かが城へ向かって駆けている。
五郎が眉をひそめる。
「何かあったか」
そのうち一騎が、市の近くで手綱を引いた。
侍は三郎たちを見つけると、馬上から声を張った。
「八郎様の兄上方ですね!」
「はい」
三郎が返事をする。
「何事ですか」
侍は満面の笑みだった。
「本日、宴会をいたします!」
五郎が顔をしかめる。
「宴会?」
「何の宴会ですか」
「八郎様が、我ら島津分家の家臣、侍衆の借金、合わせて千三十万文を返してくださいました!」
その場が一気にざわついた。
「千三十万文?」
「全部ですか」
「全部でございます!」
侍は声を弾ませる。
「実久様も大変お喜びで、今夜は祝いじゃ、とのことです」
「兄上方も必ず出席してください」
「これは念押しでございます」
そう言って、侍はまた城へ向かって駆けていった。
三郎と五郎は顔を見合わせた。
「八郎やな」
「絶対いたずらでやってるな」
五郎が額を押さえる。
「俺らがここにいる間に、祝いの席を作ろうとしたんや」
三郎も苦笑した。
「逃げ場をなくしにきたな」
姫君たちは楽しそうに笑った。
「いたずらでもよいではありませんか」
「私たちの領地は、めちゃくちゃ喜んでいますよ」
「借金が消えるなど、夢のような話です」
別の姫が、にこりと微笑む。
「これはあれですね」
「お父様から、縁組をもう一組くらい言われるかもしれません」
三郎と五郎は同時に肩を落とした。
「また何か始まるぞ」
「祝いの席が、祝いだけで終わるわけないよな」
四郎が遠くから戻ってきて、状況を聞き、静かにため息をついた。
「八郎は、離れていても八郎やな」
六郎と七郎も顔を見合わせる。
「俺らも出るんかな」
「出るやろな」
湯気の立つ市の向こうで、城はすでに祝いの気配に包まれ始めていた。
借金が消えた喜び。
八郎のいたずら。
実久様の大笑い。
そして、兄たちを待つ、少し重たくて逃げにくい宴会。
三郎は鍋をもう一度かき混ぜ、ぽつりと言った。
「せめて飯はうまく作ろう」
五郎が頷く。
「祝いの飯がまずかったら、また八郎に言われるからな」
姫君たちの笑い声が、夕方の市に軽く響いた。




