表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
438/649

1534年7月3週目。周囲の城と侍の借金を鬼ほど減る。兄様方は島津分家へ姫君と市を見に行く2週間。

七月三週目の帳簿合わせ。

広間には、いつものように帳面が積み上げられていた。

八郎は小さな体で上座近くに座り、兄弟たち、番頭衆、庄屋衆、職人衆を見渡した。

「ここから七月、八月四週目くらいまでは、私はあまり大きく動きません」

三郎が眉を上げる。

「ほんまか?」

「ほんまに動かへんのか?」

八郎は少し考えてから言った。

「私自身は、です」

「周りは動きます」

「やっぱりやないか」

五郎がため息をついた。

八郎は帳面を開く。

「皆さんの意見を聞きながら、順繰り借金を返していくことに力を入れます」

「まず、肥後南部、薩摩川内の北側三万五千石分」

「この城の借金を全部消します」

広間がざわりと揺れた。

「全部ですか!」

「城の借金が消えるのですか!」

八郎は続ける。

「さらに、その上の地域の武士の借金も全部消します」

今度は武士たちが声を上げた。

「おおっ!」

「これで面目が立つ!」

「八郎様、ありがとうございます!」

八郎は小さく頷いた。

「これは、ただ借金を消すだけではありません」

「北肥後を圧迫するための策でもあります」

その言葉に、広間の空気が少し引き締まった。

四郎が静かに尋ねる。

「豊かさを見せる、ということか」

「はい」

八郎は帳面を指で叩いた。

「南肥後の城の借金が消える」

「武士の借金が消える」

「農民は米払いで物を買える」

「湯浴みも寺社市も動いている」

「それを北肥後の国人衆や庄屋衆が見れば、こちらへ心が振れやすくなります」

「攻める前に、羨ましがらせます」

実久が苦笑した。

「また飯と借金で国を削る気か」

「はい」

「刀を抜く前に、帳面を見せます」

「お前の戦は、ほんまにいやらしいのう」

八郎は平然と続けた。

「それと、高級湯浴みのツケも消しております」

「職人衆への支払いも済ませます」

職人衆が顔を輝かせた。

「ありがたいです!」

「これでまた次を作れます!」

「作ってください」

八郎は頷いた。

「ただし、出費はものすごいです」

「八郎商会の手元資金は、先週に比べて一千万文ほど減っています」

広間が静まり返った。

「一千万文?」

「そんなに減っているんですか?」

五郎が思わず聞き返す。

「減っています」

八郎はあっさり答えた。

「ですが、その分、借金を減らしています」

「銭が消えたのではありません」

「城の重しを外し、武士の首にかかっていた縄を切り、職人衆が次に動けるようにしたのです」

三郎が腕を組む。

「言い方はうまいけど、数字はえぐいな」

「はい」

「でも、借金は基本的によいことがありません」

「消せるときに消します」

「その地域では、これから寺社市の売上も伸びるでしょう」

「高級湯浴みを使う人の頻度も上がります」

「借金が消えれば、銭が暮らしに回ります」

「銭が暮らしに回れば、市が育ちます」

「順繰りです」

六郎が小さく呟いた。

「最近、順繰りが怖く聞こえる」

七郎も頷く。

「一つ消したら、次の国が見えてくるもんな」

八郎は帳面を閉じ、今度は兄たちの方を見た。

「それから、三郎兄様以下の兄様方」

三郎、四郎、五郎、六郎、七郎が一斉に身構える。

「島津分家で二週間ほどお世話になります」

「姫君方と交流してきてください」

「私は残ります」

広間が一瞬止まった。

三郎が叫ぶ。

「なんで俺らだけそんな雑やねん!」

五郎も顔をしかめる。

「市の立ち上げより説明が雑やぞ」

八郎は真顔で答えた。

「私はめちゃくちゃ丁寧にやっています」

「兄様方が全然動かないから、こうなっているだけです」

「辛辣やな!」

四郎が苦笑し、六郎と七郎は顔を見合わせた。

「俺らも入ってるんか」

「完全に巻き込まれてるな」

八郎は構わず続ける。

「私はこの一ヶ月、あまり本拠を離れられません」

「取らないといけない情報があります」

「北肥後、大友、龍造寺、島津本家、伊東」

「それぞれの動きを見ます」

「それから火矢です」

「火矢?」

実久様が眉を上げた。

八郎は静かに言った。

「火薬を含んだ火矢を、千本ほど用意したいと思っています」

「次の伊東攻めに備えて」

広間の空気が、さらに重くなった。

三郎が顔を引きつらせる。

「また恐ろしいこと言うな」

五郎も呟いた。

「千本て」

「攻撃というより、眠らせないためです」

八郎は淡々と言う。

「夜に火矢を飛ばす」

「音を立てる」

「煙を見せる」

「城の中を不安にする」

「飯の匂い、太鼓、松明、火矢」

「城に籠もるのが嫌になれば勝ちです」

実久様が腕を組んだ。

「体より先に心を折るわけか」

「はい」

「ただし、火薬は危ないです」

「保管場所、試し撃ち場、火消し、水桶、砂、運搬役」

「全部決めないといけません」

「飯屋や湯浴み場の近くでは絶対に作りません」

「そこだけ急に現実的やな」

三郎が呆れたように言う。

「全部現実です」

八郎は言い返した。

「戦は派手に見えますが、勝つ前にやることは地味です」

「米を買う」

「借金を消す」

「湯浴みを入れる」

「寺社市を回す」

「火矢を作る」

「兵を食わせる」

「馬を休ませる」

「それを全部、帳面に乗せます」

番頭衆が真剣な顔で筆を走らせる。

八郎は兄たちを見た。

「だから兄様方」

「島津分家へ行ってください」

「縁談だけではありません」

「市を見て、寺社市を見て、分家の姫君方と話して、現場を回してください」

「私が本拠で戦の準備をしている間、兄様方には人の心を見てもらいます」

三郎は大きく息を吐いた。

「それを最初に言え」

五郎も少しだけ肩を落とした。

「結局、仕事なんやな」

「はい」

「ただし、姫君方とも仲良くしてください」

「そこは余計や!」

広間に笑いが戻った。

だが、帳面の上では確かに、日向への戦が近づいていた。

借金を消すこと。

北肥後へ豊かさを見せること。

島津分家との縁を深めること。

火矢を千本用意すること。

どれも別々に見えて、八郎の中では一本の線でつながっている。

八郎は最後に、静かに言った。

「大きく動く前ほど、細かく積みます」

「一つずつです」

「私たちが作った城を、崩さないために」

その言葉に、誰も軽口を返さなかった。

四歳児の前に積まれた帳面は、すでに一つの国の形をしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ