1534年7月2週目。帳面合わせのため本拠地へ戻る。8月末日の日向侵攻を見ながらツケや借金を消していく。
八月二週目の帳面合わせは、久しぶりに本拠で行われた。
島津本家領で二週間、市を立ち上げ続けた兄たちは、帰ってくるなり湯浴みに入り、布団に倒れ込み、
そのまま一日近く眠った。
三郎も、五郎も、四郎も、六郎も、七郎も、顔に疲れが残っている。
それでも帳面合わせとなれば、広間には皆が集まった。
八郎は帳面を前に、いつものように座る。
「二週間分ですので、細かい数字は後で見ておいてください」
三郎が疲れた顔で突っ込む。
「最近、そればっかりやな」
「細かすぎるんです」
八郎は真面目に言った。
「大きなところだけ話します」
「概ね、予想通り動いております」
番頭衆がほっと息を吐いた。
八郎は帳面をめくる。
「まず、島津本家領で立ち上げた市三つ」
「それに付随する湯浴み三つ」
「この二週間分の収益で、立ち上げのツケは消しました」
広間がざわりと揺れる。
「二週間でか」
「なかなか大きな額やぞ」
五郎が目を丸くした。
八郎は頷く。
「はい。大きいです」
「ですが、それを消しても余裕があるくらいには、商会全体が動いております」
実久が腕を組み、低く笑った。
「いよいよ、とんでもないな」
「まだまだです」
八郎は即答した。
「次は、高級湯浴みです」
「一つ百二十万文のものが三つあります」
「これを来週あたりに消せればよいと思っています」
職人衆の顔が明るくなる。
「そこまで払っていただけるなら、また次も動けます」
「動いてください」
八郎は静かに言った。
「日向を見ています」
その一言で、広間の空気が変わった。
八郎は帳面に指を置く。
「八月四週目あたりから、日向の米を買い始める可能性があります」
「買い占め、とまでは言いません」
「ですが、伊東と向き合うなら、米を押さえることは大事です」
「収穫前、早刈り、兵糧、民心」
「全部絡みます」
三郎がぽつりと言った。
「恐ろしい戦が始まろうとしてるな」
「戦費も必要です」
八郎は頷く。
「北肥後の動き」
「大友の動き」
「龍造寺や大内の気配」
「そこを見ながら、兵をどれだけ動かすか考えなければなりません」
「市を立ち上げる銭」
「米を買う銭」
「兵を食わせる銭」
「怪我人を出した時の銭」
「全部、別々に見ます」
番頭衆が帳面に筆を走らせる。
八郎はさらに続けた。
「今の手元資金は、三千三百五十三万文です」
広間にどよめきが起こった。
「三千三百五十三万文……」
「もう、桁が分からん」
父が思わず呟いた。
だが八郎は首を横に振った。
「これは、見ただけの数字です」
「城の借金を数か所返せば、一気に飛びます」
「侍の借金をまとめて消せば、また飛びます」
「仕入れ、米、味噌、塩、薪、釜、桶、布、船賃、人足」
「今は持っておかなければならない銭も多いです」
「余っているわけではありません」
実久が苦笑する。
「三千万を超えて、余っておらぬと言うか」
「はい」
「日向を三万五千石の束で十個と考えるなら、全然足りません」
その言葉に、広間が静かになった。
「日向全体を見ておるのか」
「見ています」
八郎は淡々と答えた。
「まだ取ったわけではありません」
「ですが、取るなら取った後の借金も見なければなりません」
「市も、湯浴みも、寺社市も、帳面役も足りません」
「島津本家領の市も、まだ立ち上がったばかりです」
「寺社市はこれからです」
「米払いも、全部の村で回っているわけではありません」
「継続して見ていきます」
四郎が静かに頷いた。
「大きくなったからこそ、細かいところが大事になるな」
「はい」
八郎は帳面を閉じた。
「もう、感覚では無理です」
「どんどん大きくなって、誰も全体を一目で把握できなくなっています」
「だからこそ、細かい数字を一つずつ積み上げることが大事です」
「一つずれると、全部ずれます」
「米の数」
「湯浴みの利用」
「寺社市の売上」
「借金の利」
「返した証文」
「釜の数」
「全部です」
六郎が小さく呟いた。
「そこは四歳児じゃないな」
七郎も頷く。
「厳しい」
八郎は胸を張った。
「厳しくいきます」
「私たちが作った城ですから」
広間が静かになった。
八郎が言う城とは、石垣の城ではない。
市と帳面と湯浴みと米払いでできた、目に見えにくい城だった。
そこには農民がいて、商人がいて、侍がいて、寺社があり、湯気が立ち、借金の証文が
一枚ずつ消えていく。
三郎が小さく笑った。
「城主が四歳児か」
五郎が続ける。
「しかも、めちゃくちゃ細かい」
母が微笑んだ。
「でも、その城でみんな助かってるんやろ」
八郎は少しだけ照れた。
「はい」
「だから、崩さないようにします」
帳面合わせはその後も続いた。
数字は大きくなりすぎていた。
だが八郎は、その大きさに酔うことなく、一つずつ、米粒を数えるように帳面を見ていった。
日向への戦は、まだ始まっていない。
けれど、帳面の上では、すでにその準備が静かに始まっていた。




