1534年6月3週目。宴会の次の日。市の取り決めと縁組・養子の取り決めをして八郎は帳簿を締めに拠点に帰る。兄様達はこちらで仕事してください。
翌日。
酒の席でまとまった話は、朝になると、すでに紙の上に落とされていた。
八郎は小さな手で筆を持ち、覚書の文言を確認する。
「島津本家領への市導入について、八郎家は誠意をもって協力する」
「また、島津本家と八郎家は、今後より良い縁を結ぶため、互いに尽力する」
「姫君のうち一人を養女にする、とまでは書けません」
「ですが、より良い縁を作るために尽力する、なら書けます」
忠良はその紙を受け取り、じっと眺めた。
「十分じゃ」
貴久も頷く。
「酒の席の戯れではなく、こうして一筆あれば家臣団にも見せられます」
「市を入れるだけではない」
「島津本家も、縁という形を得る」
忠良は満足そうに笑った。
「よし」
「では、島津本家は次の一束への市導入を進める」
「八郎殿、頼むぞ」
八郎はぺこりと頭を下げた。
「承知しました」
「では、朝一番で戻ります」
「一郎兄様とも話を詰めます」
「それから風呂釜を大量に用意して、市へ送る準備をします」
「兄様方は、こちらで市を開く準備を始めておいてください」
三郎が目を見開く。
「おい、俺ら置いていくんか」
「置いていくというか、働いていただきます」
「言い方!」
五郎も顔をしかめる。
「また急に動かすな」
「急ではありません」
八郎は覚書を指差した。
「もう紙があります」
「紙があるなら動きます」
「怖いわ」
姫君たちも、そこへ顔を出していた。
昨夜の酒席とは違い、皆、少しだけ晴れやかな顔をしている。
長女格の姫が、八郎を見て言った。
「私たちも、覚書に従って動くということですね」
「はい」
八郎はにこりと笑う。
「姫君方には、兄様方が働いている姿を見ていただきます」
「惚れそうなら、私に言ってください」
「助け舟ぐらいは出します」
三郎と五郎が同時に叫んだ。
「余計なことすんな!」
八郎は首を傾げる。
「余計なことと言われましても」
「私たちは覚書に従って、淡々と動くだけです」
兄たちは固まった。
四郎が静かに笑う。
「八郎、紙を盾にし始めたな」
「紙は大事です」
長女格の姫は三郎と五郎を見た。
「年頃の殿方であれば、良き縁を求めるのは自然なことではありませんか」
三郎が咳き込む。
「いや、俺は今、料理に生きるからな」
五郎も慌てて続けた。
「俺も仕事が忙しいからな」
「そういうわけにはいきません」
妹姫の一人が、きっぱりと言った。
「こちらも、ただ待っているだけではありません」
「町娘に化けて、隣で様子を眺めながら、一緒にお仕事しようと思います」
五郎の顔がさらにこわばった。
「一緒に仕事?」
「はい」
「米払いを見たり、寺社市を見たり、湯浴みの順番を聞いたり」
「五郎様がどう話すのか、見ておきたいのです」
三郎が頭を抱える。
「なんで見られながら仕事せなあかんねん」
長女格の姫が笑う。
「せっかく、こんな面白い話があるのです」
「やらないと損でしょう」
「面白いって言った!」
「言ってません」
「今言いましたよね!」
「気のせいです」
姫君たちは涼しい顔で言い返す。
春姫は横で口元を押さえて笑っていた。
二郎は少し同情するように兄たちを見る。
「まあ、俺も春姫様と芋を見て回ったしな」
「それでまとまったところはある」
三郎が睨む。
「兄さんは成功した側やから言えるんや」
五郎も頷く。
「俺らはまだ何も始まってへんのに、外堀が埋まってるんや」
八郎は真面目な顔で言った。
「外堀は大事です」
「城攻めも縁談も、外堀からです」
「やめろ、その例え!」
六郎と七郎の方にも、妹姫たちが近づいていた。
「六郎様、七郎様」
「今日、寺社市の説明に行かれるのですよね」
六郎が少し身構える。
「行くけど、遊びちゃうで」
七郎も頷く。
「市の意味とか、米払いとか、説明するんやで」
妹姫はにこりと笑った。
「では、私は隣で聞いております」
「聞いてどうするんや」
「すごいなあと思いながら、尊敬の念を持って見るという仕事があります」
七郎が目を丸くした。
「どんな仕事やねん」
六郎は顔を赤くしながら、ぼそりと言う。
「やりにくいわ」
「でも、頑張ってください」
「失敗しても、やり直せばよいのでしょう」
その言葉は、昨日八郎が六郎たちに言ったものだった。
六郎は苦笑した。
「八郎の言葉、使われとるやないか」
七郎も肩を落とす。
「逃げ場ないな」
八郎は満足そうに頷いた。
「良いことです」
「兄様方も姫君方も、動きながら知ればよいのです」
「市も縁も、座って考えるだけでは進みません」
忠良はその様子を見て、大きく笑った。
「よいよい」
「八郎家の兄弟も、島津の姫も、よう働け」
「酒の席で始まった話じゃが、ここからは仕事じゃ」
高橋も頷く。
「市の導入、釜の手配、帳面役の配置、寺社市の調整」
「同時に、姫君方の視察と交流」
「すべて並行して進めます」
三郎が低く呟いた。
「仕事も縁談も一緒に来るな」
五郎もため息をつく。
「ほんま、八郎と関わると一個で済まへん」
八郎は胸を張った。
「一つのことに、二つ以上の意味を持たせるのが大事です」
長女格の姫が笑った。
「それが、昨日私たちが見てきた八郎様の仕組みですね」
「はい」
「では、私たちもその仕組みに乗ります」
「ただし、言いなりにはなりません」
八郎はにこりと笑った。
「それで十分です」
朝の島津本家は、にわかに慌ただしくなった。
釜を運ぶ者。
帳面を抱える者。
寺社へ走る者。
そして、町娘姿に着替える姫君たち。
市を入れる火と、縁を探る火が、同時に燃え始めていた。




