1534年6月3週目。島津の市を見た姫達と忠良、貴久が話し合い。八郎の仕組みが化け物時見ている。市を入れざるを得ない。飲むのまないではなく、どんな顔して飲むか。
島津本家の奥座敷には、忠良と貴久、そして里帰りした姫君たちが集まっていた。
八郎たち兄弟は別室へ下げられている。
忠良は娘たちを見渡し、静かに尋ねた。
「見てきたか」
長女格の姫が、深く頭を下げた。
「はい」
「出来上がった市、立ち上げ中の市、まだ市の入っていない村、すべて見てまいりました」
貴久が身を乗り出す。
「どうでございましたか」
姫は少し言葉を選びながら答えた。
「まず、出来上がった市は……すでに八郎拠点で見た市とほとんど変わりませんでした」
「捨て値の魚や親鳥に価値をつける」
「下魚をつみれにする」
「親鳥を柔らかく煮て飯にする」
「寺社市では米払いができる」
「飯屋の仕入れと帳面を合わせて、農民の借金を減らす」
「それが、ひとつの市の中で自然に回っておりました」
別の姫が続ける。
「湯浴みも同じです」
「ただ民が気持ちよくなるだけではありません」
「薪を割る者、釜を焚く者、桶を洗う者、湯番をする者」
「仕事を作っておりました」
「しかも特定の者だけに銭が固まらぬよう、順繰りに回しているそうです」
忠良は腕を組んだ。
「そこまで見たか」
「はい」
長女格の姫は唇を噛んだ。
「ひとつだけなら、すごい仕組みで終わります」
「ですが、それがいくつもいくつも重なっておりました」
「飯、米払い、寺社市、湯浴み、帳面、庄屋衆、布団、寄進」
「八郎様のされることは、一つ一つに二つ以上の意味があります」
「民を助ける」
「銭を回す」
「商人を喜ばせる」
「寺社に顔を立てる」
「借金を減らす」
「次の市を呼び込む」
「それらが全部、繋がっていました」
貴久は小さく息を吐いた。
「そこまで見えましたか」
姫は頷く。
「化け物としか言いようがありません」
「大内や大友の御曹司のように、幼いころから帝王学を受けたわけでもない」
「それなのに、あの仕組みを作っている」
「しかも四歳児が」
忠良はそこで、こらえきれずに笑った。
「そうじゃろう、そうじゃろう」
「役者が違うのじゃ」
「握り飯を売り始めたのは、二歳半か三歳のころであろう」
「そのころから大人を巻き込み、今や肥後、薩摩、大隅を回しておる」
「お前たちが口で勝てる相手ではない」
姫君たちは悔しそうに俯いた。
長女格の姫が続ける。
「最後に見た、市の入っていない村では、もっと驚きました」
「借用証文を集めたところ、一千万文ほどありました」
「商人たちは最初、偉そうにしていました」
「ですが八郎様の顔を見た途端、態度が変わりました」
忠良の眉が上がる。
「ほう」
「八郎様は、一文も使っておりません」
「ただ証文を並べ、商人たちと話をしただけです」
「それなのに、年五割の利を、二割五分まで下げさせました」
貴久が目を細めた。
「一千万文の五割なら、年の利は五百万文」
「二割五分なら二百五十万文」
「つまり、年二百五十万文が消えたわけですな」
「はい」
姫の声は少し震えていた。
「農民たちは泣き崩れておりました」
「娘を奉公に出さずに済むかもしれない」
「種もみを買えるかもしれない」
「冬を越せるかもしれないと」
座敷が静かになった。
忠良も貴久も、苦い顔で黙った。
長女格の姫は、ゆっくり言う。
「あれは心を打たれました」
忠良は深く息を吐いた。
「そこまで込みで連れて行ったのじゃ」
「民が泣くところまで、八郎は読んでおる」
「だから怖い」
「そして、だから腹が立つ」
貴久も頷いた。
「ですが、実際に見れば、否定はできませぬな」
「はい」
姫は悔しそうに頷いた。
「悔しいですが、市は入れた方がよいと思いました」
忠良はにやりと笑う。
「ようやく、わしらと同じ気持ちになったか」
「そうです」
姫は少し拗ねたように言った。
「やっていることが正しいのが、また憎いのです」
「他が羨むのも分かります」
「島津より八郎様の傘下に入りたい、という声も何度も聞きました」
「胸の奥が痛みました」
貴久が静かに言う。
「普段の姫君の姿であれば、誰もそのような言葉は申さなかったでしょう」
「町娘として聞いたからこそ、民の本音が出たのです」
忠良は頷いた。
「それも勉強じゃ」
しばらくして、別の姫がふと思い出したように言った。
「ただ、八郎様にも弱点はありました」
忠良が眉を上げる。
「ほう」
「頬をつねると痛いと言われました」
「そこで抱き寄せたところ、最高ですね、と」
一瞬、座敷が止まった。
次の瞬間、忠良が腹を抱えて笑った。
「そこは四歳児か!」
貴久も肩を震わせる。
「化け物でも、抱きしめられると弱いのですな」
忠良は笑いながら言った。
「なら、お前が八郎と縁を結べばよいではないか」
長女格の姫は即座に首を振った。
「十年後に捨てられます」
「今は私は可愛いからよいのです」
「十年後は分かりません」
「いや、八郎なら意外と丁寧に扱うかもしれぬぞ」
「父上、軽々しく言わないでください」
座敷に少しだけ笑いが戻った。
しかし、話はすぐに市へ戻る。
忠良は娘たちを見た。
「では、どう見る」
「市を入れるべきか」
長女格の姫は、迷わず答えた。
「入れるべきです」
「ただし、父上方の面子があることも、今日ようやく分かりました」
「民は早く入れてほしい」
「でも武士たちは、急にすべてを入れられれば、今までの政を否定されたように感じる」
「だから難しいのですね」
忠良は静かに頷いた。
「そうじゃ」
姫は続けた。
「ですが、もう希望を見てしまっています」
「市が入った村も」
「立ち上げ中の村も」
「まだ入っていない村も」
「みな、八郎様の仕組みを知ってしまっています」
「隣の村では、一文も使わずに利が半分になりました」
「そこまで見てしまえば、あとは島津本家が言うか言わないかだけだと思います」
貴久は目を閉じた。
「厳しいことを言われますな」
「でも、その通りです」
忠良は苦笑した。
「市を入れると言えば、八郎は思い切り動かしてくるぞ」
「釜も帳面も商人も、雪崩のように入ってくる」
「その流れについていけるかどうかじゃ」
長女格の姫は静かに答えた。
「ついていく、いかないではありません」
「もう、民が希望を見てしまっています」
その言葉に、忠良も貴久も黙った。
八郎の毒は、確かに回っていた。
だがそれは、民にとっては薬だった。
そして島津本家は、その薬を飲むかどうかではなく、どの顔で飲むかを問われる段階に入っていた。




