1536年6月3週目。すでに動いている市の帳面を見る。鬼のように減る借金。その後立ち上げ始めた市を見に行く。
寺社市を見た後、一行は市の奥にある帳面場へ向かった。
そこでは庄屋衆が集まり、帳面役と一枚一枚、証文を突き合わせているところだった。
米俵の数、売れた布の数、湯浴みの利用、寺社への寄進、商家への返済。
数字が読み上げられるたび、庄屋衆の顔が明るくなる。
八郎は帳面を覗き込み、ふむ、と頷いた。
「もう二百万文を切ってきましたかね」
その言葉に、庄屋衆の一人が深く頭を下げた。
「はい」
「ここまで減るとは、正直思いませんでした」
「八郎様には、一生頭が上がりません」
別の庄屋も続ける。
「前は利息を払うだけで精一杯でした」
「元本なんぞ、減る気配もありませんでした」
「それが市を入れて、米払いが回り、寺社市まで動くようになってから、
証文が目に見えて減っております」
町娘姿の姫君たちは、顔を見合わせた。
庄屋衆が、島津本家ではなく八郎に頭を下げている。
それも心からである。
長女格の姫が、少し固い声で尋ねた。
「これだけ借金が減った後は、皆様はどうされるのですか」
八郎が先に答えた。
「市をたくさん使ってください」
「米払いで」
姫君は驚く。
「返し終えた後も、ですか」
「はい」
「米払いで市を使えば、その分、銭が回ります」
「庄屋衆の利益にもなります」
「農民の手元にも物が残ります」
「次は布団を買う人が増えます」
「冬場を考えれば、布団は大事です」
「時々、高級品も入ってきます」
「少し良い布、良い椀、茶、甘味」
「そういうものを買えるようになれば、暮らしが潤います」
商人が頷く。
「実際、布団が売れ始めております」
「米払いにすると、今まで買えなかった者が買える」
「こちらとしても驚きです」
八郎はさらに続けた。
「湯浴みも使ってください」
「普通の湯浴みだけでなく、高級湯浴みも少しずつ増やしています」
「十文で入れるところも作っています」
「汗を流して、茶でも飲んで、少し休む」
「それだけで毎日が違います」
農民の女が近くで笑った。
「ほんまに違いますわ」
「湯に入って、布団で寝るだけで、人間に戻った気がします」
庄屋衆の一人が感心したように言った。
「そこまで考えてくださるのですか」
八郎は首を傾げる。
「考えているというか、商売です」
「民が元気になれば、市を使います」
「市を使えば、物が売れます」
「物が売れれば、借金が減ります」
「借金が減れば、また物が売れます」
「順繰りです」
「その順繰りがすごいのです」
庄屋衆が笑う。
「もう島津様より八郎様の方がええ、という者もおりますぞ」
その言葉に、姫君たちの顔が強張った。
八郎はすぐに手を振る。
「それは言わないでください」
「私は、島津のお殿様方が変な政治をしているとは思っていません」
「うちの領地だって、昔は似たようなものでした」
「違いは、八郎商会があることです」
「私が混ぜ飯から始めて、庄屋をやりながら、飯屋を広げて、庄屋衆を束ねて、借金の帳面を見た」
「その中で気づいたのです」
「飯屋は米を使う」
「なら、農民から米を仕入れられる」
「商人を集め、寺社を使い、帳面で合わせれば、米が銭のように回る」
「これが大きかったのです」
五郎が横でぼそりと言った。
「自分で言うな」
八郎は胸を張った。
「つまり、領主としてすごいというより、八郎商会がすごすぎたということですね」
「もっと自分で言うな」
三郎が突っ込むと、庄屋衆が声を上げて笑った。
「それでも、ついていきたくなりますわ」
「八郎様の市が入れば、借金が消える」
「米が値を持つ」
「湯浴みができる」
「布団が売れる」
「商人も農民も寺社も回る」
「こんなありがたいことはありません」
八郎は帳面を閉じた。
「あと二週間、長くても三週間ほどで、この束の庄屋衆の借金はほぼ消えると思います」
「二週間……」
姫君の一人が呟いた。
庄屋衆は深く頭を下げる。
「まずはそれだけで、一生分の恩をいただいたようなものです」
「それと、隣の市も動かしていただいてありがとうございます」
「ここで湯浴みや布団の話をすると、隣の村から来た者たちが、悔しそうに、
羨ましそうにしておりました」
「向こうにも入るなら、きっと喜んでおります」
八郎は姫君たちを見る。
「そうです」
「この後、その立ち上げ中の市を見に行きます」
「今見た場所と、これから動く場所」
「それから、まだ何も入っていない場所」
「その違いを見てください」
姫君たちは黙って頷いた。
腹立たしいほど、八郎の言葉は筋が通っている。
そして民も商人も、その筋の上で実際に助かっている。
長女格の姫は、町娘の袖をぎゅっと握った。
「……すごいのですね」
悔しさと納得と、島津の姫としての複雑な思いが混ざった声だった。
八郎は何も言わず、ただ次の市へ向けて歩き出した。




