1534年6月3週目。既に導入してしばらくたった市を見学する八郎と島津本家の姫一行。寺社市で島津ではなく八郎様が面倒見てと言われるwww
先に導入された市は、すでに本拠地の市と大きく変わらぬほどの賑わいを見せていた。
湯気が上がり、味噌汁の匂いが流れ、荷車が並び、米俵を抱えた農民が帳面役の前に列を作っている。
姫君たちは町娘の姿でそれを見て、思わず足を止めた。
「……普通、市というのは既存の市があるから、ここまで入り込むのは難しいのではありませんか」
長女格の姫が八郎に尋ねる。
八郎は周囲を眺めながら答えた。
「捨て値のものを扱っているからです」
「捨て値?」
「はい。下魚をつみれにしたり、あまり食べないマグロを煮たり、親鳥を柔らかくなるまで
煮込んで親子丼にしたりしています」
「普通なら安く叩かれるものを、飯に変えています」
「その辺りは三郎兄様たちの功績ですね」
三郎が少し得意げに鼻を鳴らした。
「まあな」
八郎は付け加える。
「案は私が出していますけどね」
「台無しや!」
五郎が笑いながら突っ込む。
そこへ、市の商人が八郎を見つけて頭を下げた。
「八郎様、今日もありがとうございます」
「こちらこそ、よく回してくださっています」
商人は姫君たちを見て、少し首を傾げた。
「こちらの美しい方々は?」
八郎はさらりと答える。
「本家の方から、こちらへ応援に来てもらおうと思っている女衆です。視察のようなものですね」
「ほう、それはありがたい」
商人は笑った。
「こんな別嬪さん方に手伝ってもろたら、市がますます栄えますわ」
姫君たちは少し頬を赤らめた。
商人は続ける。
「前は、この辺りの市は静かすぎて、息をしておりませんでした」
「隣の島津分家領はどんどん賑わっていくのに、こちらは銭が回らん」
「正直、苦しかったです」
「それが今は、八郎様のおかげで銭も米も動く」
「ほんま、八郎様様ですわ」
姫君たちは複雑そうに顔を見合わせた。
島津本家の領地で、島津ではなく八郎の名が感謝とともに呼ばれている。
それは喜ばしいようで、胸の奥に小さな棘が刺さる言葉でもあった。
別の商人が声をかけてきた。
「よかったら、今週から出してるふくふく焼きも食べていってください」
薄く焼いた皮に甘い餡を挟んだものが、皿に乗せられて差し出される。
姫君たちは一口食べ、思わず目を丸くした。
「……おいしいです」
「悔しいけれど」
八郎はにこりと笑った。
「悔しい味です」
「そういうところです」
長女格の姫に睨まれながら、一行は寺社市へ向かった。
寺の境内には、すでに多くの人が集まっていた。
野菜を持った農民、米俵を抱えた男、布を選ぶ女、子どもを連れた母親。
八郎が姿を見せると、人々が一斉に声を上げた。
「八郎様や!」
「八郎様、こっちにも来てください!」
「もう八郎様が島津を押さえてくださいよ!」
その言葉に、姫君たちだけでなく付き添いの者たちまで苦笑いした。
八郎は慌てて手を振る。
「そんなことを言わないでください」
「ここは春姫様と二郎兄様が縁を結び、ちゃんと島津の領地としてやっています」
「戦になれば、島津の侍様方は強いんですよ」
農民の一人が笑った。
「そら強いんやろうけどな」
「わしらからしたら、借金をばかばか消してくれる方がありがたいんや」
「それに、ここは米で買える」
町娘姿の姫が思わず尋ねた。
「米で買えることが、そんなにありがたいのですか」
「銭で買うのと、何が違うのです」
農民は目を丸くした。
「あんた、何も分かってへんな」
姫君の背筋がぴくりと伸びる。
農民は遠慮なく続けた。
「普通の商人は、米を買い叩くんや」
「時期によったら半値みたいな値で持っていく」
「でもこっちは銭が欲しいから文句も言えん」
「しかも、その商人に借金しとったりする」
「利息分や言われたら、泣き寝入りや」
姫君たちは黙った。
「けど八郎商会は、飯を炊くやろ」
「米を仕入れとして見てくれる」
「値をつけてくれる」
「それで帳面に載せて、塩や布や湯浴み代に使える」
「寺社市でも米払いでいいと言うてくれる」
「多少高くても、売上の一部は寺や神社に寄進される」
「八郎商会にも入り、商人にも入る」
「だから商人も来る」
「農民からしたら、外の市よりこっちの寺社市の方がありがたいくらいや」
近くの商人も頷いた。
「正直、ここでこんなに売れるとは思いませんでした」
「売り先を作ってもらって、こちらもありがたいです」
「布団まで売れますからな」
姫君が驚く。
「布団を売っているのですか」
「ありますよ」
農民の女が笑う。
「布団があって、湯浴みがあって、もう幸せですわ」
「湯浴み五文で使えるんやで」
「こんな暑い時に汗を流せるんや」
「見ましたか、あの湯浴みの数」
「もう前の暮らしには戻れません」
姫君たちは言葉を失った。
民の声は、帳面より重かった。
借金が減る。
米が値を持つ。
湯に入れる。
布団が買える。
それは、城の広間で語る面子とはまったく違う重さを持っていた。
八郎は何も言わなかった。
ただ、姫君たちがその声を聞くのを待っていた。
その沈黙こそが、姫君たちには一番腹立たしかった。
分かっているのだ。
八郎は、こうなることを分かっていて連れてきた。
そして今、民の言葉は、確かに姫君たちの胸の奥へ入り込んでいた。




