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1534年6月3週目。島津本家での視察の日。兄上達に指示を出す八郎。町娘姿の姫君。長女格の姫に頬をつねられる。思い通りにはなりません。

島津本家での視察の日。

八郎は朝から、兄たちを集めて段取りを話していた。

「まず、すでにほぼ回りきっている市があります」

「それから、今まさに立ち上げている市があります」

「姫君方には、その両方を見ていただきます」

三郎が腕を組む。

「で、俺らは何すんねん」

「三郎兄様と五郎兄様は、飯場と庄屋衆回りです」

「四郎兄様、六郎兄様、七郎兄様には、寺社市を見てもらいます」

六郎と七郎が同時に顔を上げた。

「俺らも?」

「はい」

八郎はあっさり頷いた。

「そろそろ六郎兄様と七郎兄様も、単独で動いて説明してください」

「寺社市を入れる意味」

「農民がなぜ助かるか」

「米払いがなぜ大事か」

「寺社への寄進にもなること」

「混雑をどう避けるか」

「そういうことを話しに行ってください」

七郎が不安そうに言う。

「ええ……俺らできるかな」

「できます」

「失敗してもいいです」

八郎はさらりと言った。

「立ち上げの時は、やるに越したことはありません」

「失敗したら、やり直せばいいだけです」

「そんな簡単に言うなや」

六郎が苦笑する。

八郎は真面目な顔で続けた。

「兄様方は、みんな最初は何も分からない状態から始めています」

「握り飯を売り、混ぜ飯を売り、米を集め、銭を数え、失敗しながら覚えました」

「今の方が楽です」

「手順があります」

「帳面があります」

「意味も分かります」

四郎が静かに頷いた。

「たしかに、最初よりはずっと説明しやすいな」

「はい」

八郎は六郎と七郎を見た。

「市で米払いができることは、とても大きいです」

「農民は現金を作るのが難しい」

「でも米や野菜なら持っている」

「それをちゃんと値をつけて受け取る」

「その分で布や塩や湯浴みや布団が手に入る」

「そして帳面の借金が鬼のように減っていく」

「そこを話せばいいです」

七郎は少しだけ背筋を伸ばした。

「……分かった」

六郎も息を吐く。

「やるしかないか」

「八郎商会はもう十分大きいです」

八郎は少し声を落とした。

「正直なところ、六郎兄様、七郎兄様にも、握り飯の頃から一緒にやってもらえたら

 よかったと思っています」

「でも寺子屋もありましたし、皆が皆、同じことをするわけにもいきませんでした」

「だから、今からやればいいです」

「どうせ日向の時にも同じようなことになります」

六郎が顔をしかめた。

「話でかすぎんねん、いつも」

七郎も笑う。

「弟のくせに」

八郎は胸を張った。

「その弟が、今は大黒柱です」

「しかも、めちゃくちゃ大きい船で走っています」

「支えてください」

五郎が横から笑った。

「なんか丸投げやな、いつも」

「でも、そのおかげで俺らはええ暮らしもできてるし、姫様方とも遊んだりできてるわけやろ」

三郎が肩をすくめる。

「運がええと思って、やることやるしかないわな」

六郎と七郎は顔を見合わせ、それから小さく頷いた。

「分かった」

「寺社市、回ってくるわ」

警護の者と、八郎商会の帳面役をつけて、四郎、六郎、七郎は寺社市の方へ向かった。

八郎はその一方で、市の真ん中にどかっと座っていた。

「その釜は少し奥です」

「人の流れを塞ぎます」

「洗う場所と、湯を汲む場所は離してください」

「米払いの帳面はこちら」

「借金帳面はこちら」

「混ぜると後で泣きます」

釜、薪、椀、米俵、帳面。

八郎の周りでは、島津領の者たちが右往左往している。

それでも、湯気は上がり、味噌汁の匂いが広がり、人が集まり始めていた。

そこへ、町娘の姿に着替えた姫君たちがやって来た。

髪を少し地味に結い、着物も控えめなものに替えている。

春姫もその中にいた。

長女格の姫が八郎を見下ろす。

「八郎様」

「はい」

「父上から事情を聞きました」

「私たちは、全部八郎様の手のひらの上に乗っているそうですね」

八郎はぱちぱちと瞬きをした。

「そんな、ひどい言い方です」

「ひどいのは八郎様です」

長女格の姫は、すっと手を伸ばし、八郎の頬をつねった。

「痛いです」

「痛いようにつねっています」

「そんなつもりはないんです」

「あるでしょう」

周囲の兄たちが笑いをこらえている。

三郎が小声で言う。

「つねられとる」

五郎も肩を震わせた。

「たまにはええ薬や」

八郎は頬を押さえながら、必死に言う。

「私は見ていただきたいだけです」

「市が入ったところ」

「今、立ち上げているところ」

「まだ入っていないところ」

「それぞれを見て、考えていただきたいのです」

長女格の姫は目を細めた。

「それを見れば、私たちがどう考えるかも分かっているのでしょう」

八郎は少し困ったように笑った。

「姫様方は賢いので」

「民の顔を見れば、考えてくださると思いました」

「そういうところです」

また頬を軽く引っ張られた。

「痛いです」

「覚えておいてください」

「八郎様の言いなりにはなりません」

八郎は真面目に頷いた。

「はい」

「言いなりではなく、見て判断してください」

春姫が小さく笑った。

「では、まずどこから見ますか」

八郎は立ち上がった。

「まずは、すでに出来上がっている市から見に行きましょう」

「一番分かりやすいです」

「借金がどれだけ減ったか」

「湯浴みがどう使われているか」

「米払いで何が買えるか」

「民がどんな顔をしているか」

「それを見てください」

長女格の姫は、まだ少し不満そうに言った。

「見ます」

「ただし、八郎様の思惑通りにはなりません」

八郎は頬をさすりながら答えた。

「では、思惑抜きで見てください」

三郎が後ろでぼそりと言う。

「思惑まみれのやつが言うな」

五郎も頷く。

「ほんまそれや」

姫君たちは町娘の姿で、市の方へ歩き出した。

八郎はその小さな足で先頭に立つ。

その後ろを、春姫たちと兄弟たちが続いた。

湯気の向こうに、すでに回り始めた市が見えていた。

そこには、帳面では分からない民の顔があった。

そして八郎は、その顔を姫君たちに見せようとしていた。

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