1534年6月3週目。帳面合わせと島津本家への市導入圧力をかける勝負をするために種をまきに行く八郎。
六月三週目――帳面合わせの日。
大広間には、いつものように帳面が山のように積まれ、八郎一家の兄弟たち、実久、番頭衆、
商家衆の代表が顔を揃えていた。
八郎は帳面をぱらぱらとめくると、にこりと笑う。
「細かい数字は、皆さん後で見といてください」
「もう雑やな!」
三郎がすぐに突っ込む。
「数字が増えすぎて、説明しとったら一日終わりますので」
「それもそうやけどな……。」
広間に笑いが起こる。
八郎は改めて帳面を閉じた。
「まず、薩摩で新しく立ち上げた市、それから湯浴み、高級湯浴み、
この立ち上げ費用のツケは全部消します。」
「おおっ!」
職人衆がどよめく。
「さらに、残っていた湯浴みと高級湯浴み三か所分のツケも、全部返済します。」
「ええっ!」
「また消すんか!」
番頭衆が顔を見合わせる。
「いくら消えたか、もう私も細かく覚えてません。」
「そこ覚えとけ!」
五郎が笑いながら突っ込む。
「でも、とにかく全部消えました。」
八郎はさらりと言った。
「現時点で、手元資金は一千四百八十七万文あります。」
広間が静まり返る。
「……とんでもないな。」
実久が思わず呟く。
四郎も苦笑した。
「ここまで来るとは思わんかったな。」
八郎は頷く。
「領地が広がったこともあります。」
「それと、お母様と三郎兄様が考えてくださった酢漬けと、ふくふく焼きですね。」
「そこだけちゃうやろ。」
三郎が照れくさそうに笑う。
「でも、売れ行きは順調です。」
「砂糖が入れば、もっと伸びます。」
「数量限定でも利益は十分見込めます。」
番頭衆が帳面を見ながら何度も頷いた。
「なるほど……。」
「甘味で客を呼んで、ご飯も売る。」
「相乗効果ですな。」
八郎は指で帳面を叩く。
「ここからは段階が変わります。」
「今までは店を作る段階でした。」
「これからは、お城の借金、お侍様方の借金を、順繰り消していく段階です。」
「借金が減れば、皆さん働きやすくなります。」
「戦になっても士気が違います。」
「だから、ここは惜しまず回します。」
実久が腕を組む。
「次の戦まで考えとるわけやな。」
「もちろんです。」
八郎は即答した。
「借金が減れば、領民も武士も動きやすくなります。」
「それが結果として、領地を強くします。」
「市も変わらず伸ばします。」
「寺社市も増えます。」
「交易も回します。」
「八月までは、とにかく借金を減らすことに力を入れます。」
五郎が笑う。
「また数字との戦いやな。」
「数字は嘘つきません。」
「怖い四歳児や。」
八郎は笑いながら続けた。
「あと、今週か来週か再来週か、その辺は島津本家次第ですけど。」
「私たち兄弟は薩摩へ行きます。」
「島津本家の市を見に行きます。」
三郎が顔を上げた。
「いよいよやな。」
「はい。」
「ここら辺で勝負をかけようと思ってます。」
実久が苦笑する。
「勝負をかけるというか……。」
「本家が毒を飲むかどうかやな。」
「毒ではありません。」
八郎は真顔で返した。
「薬です。」
広間が一瞬静まり、すぐに笑いが起こる。
「その薬が効きすぎとるから、今こんな状況なんやろ!」
「そうですか?」
「そうや!」
実久が笑いながら机を叩く。
「市を入れたところは借金が消える。」
「湯浴みが増える。」
「布団が売れる。」
「民が元気になる。」
「隣の村が羨ましがる。」
「そら毒や。」
「薬です。」
「まだ言う!」
笑いが止まらない。
八郎は少し照れながら頭をかいた。
「それと。」
「島津の姫君方にも、ちゃんとご挨拶してきます。」
「今後のお話もありますので。」
実久はニヤリと笑う。
「うちにも挨拶来てくれよ。」
「こんだけ大きな話になっとるのに、千代姫だけでは寂しいやないか。」
兄弟たちが一斉に実久を見る。
「殿。」
「また縁談の話ですか。」
「当たり前や。」
実久は胸を張る。
「ここまで大きくなる家や。」
「一人だけで終わるわけあるか。」
三郎と五郎は顔を見合わせる。
「また俺ら巻き込まれるんちゃうか。」
「間違いなく巻き込まれるな。」
八郎はにっこり笑った。
「その辺も、ちゃんと考えてます。」
「考えんでええ!」
兄たちの声が大広間いっぱいに響き渡る。
笑いに包まれた帳面合わせは、そのまま次の薩摩行きへ向けた準備会議へと移っていった。




