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1534年6月1週目。島津本家は実際に導入した市を見に行く。八郎の市の毒の回り方が早い。米払い可能。布団が買える。湯あみがある。もう戻れない

翌日、島津忠良は貴久と数名の家臣を連れ、すでに八郎商会の市が入っている土地へ向かった。

最初は、ただの視察のつもりだった。

だが道に入ったところで、忠良はすぐに眉を上げた。

「……人が多いな」

街道の脇には荷車が並び、米俵、野菜、薪、布、魚の干物が積まれている。

女たちが子どもの手を引き、侍が荷を見張り、商人が帳面を広げている。

飯屋からは味噌汁の匂いが流れていた。

貴久が低く言う。

「以前、島津軍が分家領を通った時に見た市に、かなり近くなっておりますな」

忠良は頷いた。

「実久のところで見た市と似てきた」

「つまり、銭が回っているということか」

「はい」

貴久は周囲を見渡す。

「人が動き、荷が動き、銭が動く」

「それだけで、土地の顔が変わります」

さらに一行は、近くの神社へ向かった。

そこでも寺社市が開かれていた。

忠良は思わず足を止めた。

「なんじゃ、この賑わいは」

神社の境内には、農民、女衆、子ども、商人、旅の者まで集まっていた。

飯を売る者、布を売る者、塩や味噌を量る者、木札を渡す帳面役。

小さな市のはずなのに、熱気がある。

忠良に気づいた庄屋が、慌てて駆け寄ってきた。

「お殿様」

「市を入れていただき、さらに寺や神社でも開いていただき、ありがとうございます」

忠良は手で制した。

「待て」

「こちらの方が高いのではないか」

「市まで行けば、もう少し安く買えるのではないか」

庄屋は苦笑した。

「それは、そうでございます」

「ですが、こちらでは米でも買ってくれるのです」

「米で?」

「はい」

「それに、私らの借金が、めちゃくちゃ減っております」

忠良は貴久と顔を見合わせた。

庄屋は、少し照れたように続けた。

「本当を申しますと、八郎商会の話が来た時、私も渋い顔をしておりました」

「庄屋衆など、もっとひどかったです」

「なんで島津の市によそ者が入ってくるのか、と」

「三郎様や五郎様が来られても、最初はまあ、よそよそしい態度でございました」

貴久が尋ねた。

「それが変わったのか」

「変わりました」

庄屋は大きく頷いた。

「何日か市をやって、帳面が消えた瞬間に」

「帳面が消えた?」

「借金の証文です」

「利息ばかり膨らんでいたものが、目の前で消えていくんです」

「庄屋衆も、農民も、そこで態度を変えました」

「面子より、借金が減る方がええわ、と」

忠良の口元がわずかに引きつった。

「はっきり言うな」

「はい」

庄屋は笑った。

「でも本当に、鬼のように消えております」

「残りは今、四百万文ほどまでになりました」

貴久が目を見開く。

「四百万文」

「市を導入して、まだ一月少しであろう」

「はい」

「鬼のように消えております」

「八郎商会は、恐ろしいです」

忠良は低く唸った。

「恐ろしいという顔で、ありがたがっておるな」

「ありがたいのです」

庄屋は素直に言った。

「しかも、ここでは布団も買えます」

忠良が思わず聞き返した。

「布団?」

「布団まで買えるのか」

「布団など高かろう」

「ツケで買えるのでございます」

「しかも、米払いでよいと」

「米払い?」

「はい」

庄屋は身を乗り出した。

「八郎商会は飯屋をたくさん持っております」

「米は店で使える」

「だから買いたたかずに買ってくれる」

「その分、こちらも米を出しやすい」

「そして布団が手に入る」

「寝心地が違います」

「疲れの取れ方が、まるで違うんです」

忠良は少し黙り、それから小さく呟いた。

「……俺も欲しいぞ」

貴久が咳払いをした。

「殿」

「いや、布団は大事であろう」

庄屋はさらに嬉しそうに続けた。

「それに、湯浴みもたくさん作っていただきました」

「日頃の疲れが違います」

「農作業をすれば、汗をかきます」

「田に入り、草を取り、泥だらけになる」

「前は体を拭くだけで、寝苦しい夜も多かった」

「でも今は、五文ほど出せば湯に入れます」

忠良は眉を寄せた。

「五文か」

「はい」

「五文なら、まあええかと思う者が多いのです」

「借金も減っておりますし」

「湯に入って、飯を食べて、ほかほかの布団で寝る」

庄屋は笑った。

「いやあ、もう全然やる気が違いますわ」

その言葉に、忠良は何も言えなかった。

貴久もまた、静かに周囲を見ていた。

子どもがふくふく焼きらしきものを手にして走っている。

女衆が布を選んでいる。

侍が荷車の横で見張りをしている。

農民が米俵を持ち込み、帳面役がそれを丁寧に記している。

そこには、確かに島津の民がいた。

けれど、彼らの暮らしを動かしているのは、八郎商会の仕組みだった。

忠良は低い声で言った。

「貴久」

「はい」

「これは、毒の回り方が早すぎる」

貴久は頷いた。

「毒であり、薬でもありますな」

「借金が減る」

「湯に入れる」

「布団が買える」

「飯がある」

「これを見せられて、元に戻れと言うのは難しい」

忠良は苦い顔で笑った。

「民は正直じゃ」

「面子では腹は膨れぬ」

「島津の誇りでは、布団は買えぬ」

貴久が静かに言う。

「ただ、この市が入っていない土地の者が見れば、必ず羨みます」

「そうじゃな」

忠良は神社の境内をもう一度見た。

市は賑わっている。

それは良いことだった。

民が笑っている。

それも良いことだった。

だが、その笑顔の奥で、島津本家の形が少しずつ変わっている。

忠良はそれをはっきり感じた。

「明日は、隣の市を入れていない土地へ行く」

家臣たちが頷く。

貴久が言った。

「差を見るのですな」

「うむ」

忠良は静かに答えた。

「同じ島津の土地で、どれほど違うのか」

「それを見ねば、決められぬ」

庄屋は頭を下げた。

「お殿様」

「どうか、ほかの村にも市を」

忠良はすぐには答えなかった。

ただ、境内の湯気と飯の匂いと、人の笑い声を聞いていた。

そして胸の中で思う。

八郎の市は、たしかに毒だ。

だがこの毒は、民を生かす。

だからこそ、厄介なのだ。

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