1534年6月1週目。高級湯あみのつけ500万文。肥後南部の侍の借金完済。交易の量を増やす。砂糖や芋、陶磁器等
六月一週目。
帳面合わせの日である。
大広間には、庄屋衆、職人衆、侍の代表、帳面役、兄たちが集まっていた。
八郎はいつものように小さな体で帳面の前に座り、ぱん、と手を打った。
「大きくは変わりません」
三郎が眉を上げる。
「お前の大きくは変わりませんは、だいたい大きいねん」
「今回は本当に大きくはありません」
八郎はそう言って、帳面役に目配せした。
帳面役が札を一枚置く。
「まず、高級湯浴み関連で、以前から滞っておりました付け」
「五百万文」
「本日、支払います」
職人衆の間に、どよめきが走った。
「五百万文……」
「ほんまに払ってくれるんですか」
「はい」
八郎は頷いた。
「湯浴みは、うちの市の柱です」
「職人衆に無理をさせたままでは、次が作れません」
「なので、ここで消します」
桶職人の親方が、深々と頭を下げた。
「ありがたいことでございます」
「こんな額を払っていただけるなら、またガンガン作りますわ」
「ただし、ガンガン作っても帳面は出してください」
「そこは厳しいな」
「湯は温かく、帳面は冷静に、です」
三郎が横で呟く。
「変な格言作るな」
続いて、帳面役が二枚目の札を出した。
「肥後南部、一箇所」
「侍借金、三百六十万文」
「全額返済」
今度は侍たちの方が騒がしくなった。
「三百六十万文」
「一箇所丸ごとか」
「我らの借金が、消えるのか」
八郎は静かに頷いた。
「消します」
「ただし、消えた後が大事です」
「借金が消えたから遊んでよい、ではありません」
「交易の用心棒、荷運びの警護、市の見回り、鳥獣対策」
「仕事はあります」
侍の一人が、目を潤ませながら頭を下げた。
「そこまで面倒を見ていただけるとは」
「これなら、戦でも頑張れます」
八郎はそこで、少しだけ首を傾げた。
「戦の話なんですけども」
広間の空気が、ぴたりと止まった。
五郎が顔をしかめる。
「嫌な入り方するな」
「大事な話です」
八郎は地図を広げた。
「今後、日向の伊東を攻めるという流れは、おそらく決まっています」
「ただし、それまでの間、皆様には交易で頑張っていただきたい」
商人衆が身を乗り出した。
八郎は指を折って数える。
「琉球で珍しいものがあれば買ってください」
「今欲しいのは、黒糖、芋、少量の陶磁器」
「それから、新しい武器です」
広間が再び止まった。
三郎が顔をしかめる。
「黒糖から武器に飛ぶな」
「飛んでいません」
「全部、交易です」
「武器も交易に入れるな」
八郎は真面目な顔で続けた。
「明の方では、火薬を使った武器があると聞いています」
「火矢、火筒、小型の砲のようなもの」
「別に、すぐ戦をひっくり返すような画期的なものではなくていいんです」
「形が見たい」
「使い方が見たい」
「私の発想が膨らめば、何かに使えるかもしれません」
実久様が、低く笑った。
「恐ろしい想像力じゃな」
「気づきが欲しいのです」
八郎はきっぱり言った。
「いろいろなものを見たい」
「黒糖も、胡椒も、蘇木も、香木も、陶磁器も、火矢も」
「南方のもの、明のもの、琉球を通ってくるもの」
「こちらに持ってこられるだけで価値があります」
商人衆の一人が尋ねた。
「胡椒も、でございますか」
「はい」
「肉料理、高級料理、贈答に使えます」
「ただし、庶民向けに大量に使うものではありません」
「黒糖は市向け」
「胡椒は武家向け」
「陶磁器は見栄向け」
「火矢は……」
八郎は少し考えた。
「寝かせない向けです」
三郎が即座に言った。
「用途が怖いわ」
八郎は帳面を指差した。
「今、週の交易利益は五十万文ほどです」
「これを、順繰り回して七十万文まで引き上げたい」
商家衆がざわめいた。
「週七十万文」
「二十万文上げるのですか」
「はい」
「大隅を押さえたことで、船の動かし方が変わりました」
「肥後、薩摩、大隅、天草、琉球」
「大隅から四国にも回せます」
「船を空で戻さない」
「芋焼酎、味噌、干物、布、鍋、椀を積む」
「帰りに黒糖、胡椒、陶磁器、薬種、珍しい物を積む」
「順繰りです」
五郎が頷いた。
「船が空で走るのは損やからな」
「はい」
「銭も船も人も、寝かせると腐ります」
「船は腐るけど銭は腐らんやろ」
「使わない銭は、心が腐ります」
「また変なこと言うた」
八郎は構わず続けた。
「それから、来年には大隅でも芋が植えられるようにしましょう」
二郎が目を丸くする。
「来年ですか」
「はい」
「大隅は新しく入った土地です」
「そこに市を入れ、湯浴みを入れ、芋を入れる」
「飢えに強くなります」
「芋焼酎にもつながります」
「土地が広がったら、作物も広げます」
三郎が呆れたように笑った。
「言うてることが早すぎる」
「早く考えて、ゆっくり植えます」
「それっぽいこと言うな」
八郎は、そこで少し声を明るくした。
「黒糖が安定して入れば、ふくふく焼きが広げられます」
母が顔を上げた。
「また、あれか」
「はい」
「ふくふく焼きは、人を集めます」
「数量限定でも、一店で一日二百文くらいは利益が出ると思います」
三郎が腕を組む。
「確かにな」
「あれは砂糖、いや黒糖の量に依存する」
「安定供給と値段設定が肝やな」
「そうなんです」
八郎は嬉しそうに頷いた。
「黒糖がたくさん入ると、甘味が安定して売れます」
「甘味が売れると、人が市に長くいます」
「人が長くいると、飯も売れます」
「湯にも入ります」
「酒も出ます」
「布も売れます」
「つまり黒糖は甘いだけではありません」
「市を回す燃料です」
実久様が感心したように笑った。
「砂糖で国を動かす気か」
「黒糖で市を動かします」
「市が動けば、国も動きます」
広間に、低い笑いが広がった。
商家衆はすでに目を光らせている。
職人衆は湯浴みの追加を考え始めている。
侍たちは、借金が消えた後の仕事を思い浮かべている。
三郎は、ふくふく焼きの生地と黒糖の量を考え、母は酢漬け揚げに甘みをどう合わせるかを考えていた。
八郎は帳面を閉じる。
「戦は来ます」
「でも、戦が来るまでに、できることがあります」
「交易を増やす」
「珍しいものを見る」
「市を増やす」
「甘味を増やす」
「芋を植える」
「火矢を見つける」
三郎がため息をついた。
「最後だけ物騒やねん」
八郎は胸を張った。
「全部つながっています」
「そのつながり方が怖いんや」
笑い声の中で、六月一週目の帳面合わせは終わった。
だがその日から、八郎商会の船は、さらに遠くへ目を向け始めた。
黒糖を求めて。
胡椒を求めて。
陶磁器を少しだけ求めて。
そして、まだ誰も形を知らない火の道具を求めて。




