1534年5月4目。帳面合わせ数日後、九州の戦略について八郎を囲み話す。伊東は何とかしたい。
帳面合わせから数日後。
八郎は、戻ってきた兄たち、帳面役、主だった商人衆、侍の代表を集めた。
場所はいつもの大広間である。
膳は出ていない。
代わりに広げられているのは、九州の地図と、いくつもの帳面だった。
八郎は地図の上に小さな手を置いた。
「今後の九州をどうするか、です」
三郎が眉をひそめる。
「また大きい話やな」
「大きいですが、今考えておかないと遅れます」
八郎は真面目な顔で答えた。
「私の考えとしては、今年一年かけて、日向の伊東をどうにかしたいです」
広間が少しざわつく。
五郎が腕を組んだ。
「やっぱり伊東か」
「はい」
「この中で、一番失敗が少ないと思います」
八郎は地図の南東を指した。
「大隅を取りました」
「島津本家とも縁ができました」
「つまり、日向へは大隅側と島津本家側の二つから圧をかけられます」
「飯を炊くにも、帳面を見るにも、国人衆を揺らすにも、二方向からできる」
「北九州より、南九州の方が状況が分かりやすいです」
帳面役が頷く。
「北肥後から肥前へ触ると、龍造寺、少弐、大内、大友が絡みます」
「少しの市導入でも、誰の味方かと疑われる恐れがあります」
「そこです」
八郎は北肥後のあたりを指した。
「龍造寺との間にある国人衆には、市を導入することも考えています」
「ただし、触りにくい」
「いきなり兵を出すところではありません」
「寺社市、湯浴み、借金帳面」
「そこからです」
四郎が静かに言った。
「北は、火種が多いな」
「はい」
「火種が多いところへ松明を持っていくと、全部燃えます」
「だから、米と味噌と帳面だけ持っていきます」
三郎が苦笑する。
「それでも燃えそうやけどな」
「その時は、飯を多めに炊きます」
「解決になってるようでなってへん」
次に八郎は、海沿いの地図へ目を移した。
「天草、有馬、松浦」
「この辺も欲しいです」
「船の交易を考えると、かなり大事です」
「ただ、飛び地です」
「龍造寺も邪魔になります」
「なので、ここは今は交易です」
五郎が頷いた。
「海は、急に領地にするより、商売で入った方がええな」
「はい」
「魚、塩、船、酒、砂糖、干物、味噌」
「船を通す」
「護衛を頼む」
「市を見せる」
「借金帳面を少しだけ見る」
「影響下に置くにしても、まずは商いからです」
帳面役が補足した。
「天草や松浦は、水軍や海の者との関係が肝になります」
「有馬は島原方面の口になります」
「いずれも、今すぐ戦で押さえる場所ではございません」
「そういうことです」
八郎は頷いた。
「琉球も同じです」
「砂糖は欲しい」
「芋や酒の話もあります」
「でも、琉球は交易を増やすだけで、今は十分です」
三郎がじろりと見る。
「今は、な」
八郎は何も言わずに茶を飲んだ。
「黙るな」
広間に少し笑いが起きた。
八郎は再び地図の南へ戻った。
「問題は、島津本家です」
「伊東を攻めるなら、島津本家に市をもっと入れてもらいたい」
「兵站を整える」
「農民の借金を減らす」
「侍には鳥獣対策で仕事を出す」
「そうすれば、伊東攻めの時に後ろが安定します」
一郎が腕を組む。
「ただ、本家の面子があるな」
「はい」
「そこが難しいです」
八郎は素直に頷いた。
「こちらから強く言えば、島津本家が八郎に下ったように見えます」
「でも、伊東が落ちた後に市を入れると、もっとそう見える」
「だから、春姫様を通じて、少しずつ入れてもらう」
「あるいは鳥獣対策から入る」
「武士の借金を消して、これは使えると思ってもらう」
「そこから市、寺社市、湯浴みへ広げる」
五郎が頷いた。
「春姫様が間に入れるのは大きいな」
「はい」
「ただ、春姫様に背負わせすぎてもいけません」
「だから様子見です」
「こちらは準備だけしておく」
「言われたらすぐ入れられるようにしておく」
八郎は地図の日向国境へ手を移した。
「そして、日向の国人衆です」
「ここには圧をかけます」
「兵を進める、というより、飯を炊きます」
「国境に市を立てます」
「帳面役を置きます」
「八郎領に入るか、伊東に残るか」
「直接聞きます」
侍の一人が尋ねた。
「すぐに攻めるのですか」
「いいえ」
八郎は首を振った。
「まずは削ります」
「伊東本体を叩く前に、周りの国人衆を剥がす」
「一万石でもいい」
「三万五千石の束で一つ取れれば、上出来です」
「そこで市を入れ、借金を消し、湯浴みを作る」
「そうすれば、次の国人衆が見ます」
「伊東に残るより、八郎領の方がましだと」
三郎がため息をついた。
「また飯と借金で国を削るんか」
「刀で削るより、人が死にません」
八郎は静かに言った。
「ただ、最後は戦になるかもしれません」
「その時は、島津本家の兵も必要です」
「大隅の兵も使えます」
「島津分家の助けも借ります」
「だから今は、島津本家の市導入、大隅の安定、日向国境の飯炊き」
「この三つです」
帳面役がまとめるように言った。
「北肥後は市導入の打診」
「天草、有馬、松浦は交易」
「琉球は砂糖と交易」
「島津本家は市と長獣対策を春姫様経由で拡大」
「日向は国人衆を削る」
「本命は伊東」
「はい」
八郎は頷いた。
「日向を押さえれば、その先で大友と面します」
「しかも、北肥後側と日向側、二方向で大友と向き合える」
「大友と対峙する時に、一方向だけよりずっといいです」
「もちろん、取った日向には借金も山ほどあります」
「民の信任を得るには時間がかかります」
「でも、挟む形を作れるのは大きい」
四郎が言った。
「そこで大友と婚姻、か」
「はい」
「大友と婚姻の一つでも結べれば、龍造寺にも向けます」
「四国にも目を向けられます」
「だから、日向を押さえることは、ありです」
三郎が呆れたように笑う。
「日向から大友、龍造寺、四国まで飛ぶんか」
「飛んでいません」
八郎は地図を指でなぞった。
「線でつながっています」
「見えている線を、順番に踏むだけです」
一郎が頷いた。
「急がん方がええな」
「急ぎたいです」
「でも、急げません」
八郎は素直に言った。
「まず、春姫様のところへ行って、島津本家の様子を聞きます」
「市の導入を打診してもらえるか」
「鳥獣対策なら入れやすいか」
「三万五千石の束で、残り三つ」
「最悪一つでも入ればよい」
「三つ全部は多分難しいと思っています」
「飲んでもらう代わりに、銭を出す」
「あるいは侍の借金を返す」
「そういう交換もありです」
五郎がぽつりと言う。
「島津本家が自分から市を入れる形にせなあかんのやな」
「はい」
「押し付けては駄目です」
「向こうが選んだ形にする」
「でも、選びやすいように、こちらは飯と帳面と銭を並べます」
三郎が笑った。
「それ、だいぶ誘導してるけどな」
「商売です」
八郎は胸を張った。
「戦ではありません」
全員が一斉に八郎を見た。
八郎は少しだけ目を逸らした。
「まだ」
「そこを付けるな」
広間に笑いが起きた。
けれど、その笑いの下で、九州の地図は確かに変わり始めていた。
北は触りにくい。
海は交易で染める。
本家は市でつなぐ。
日向は飯と帳面で削る。
そして伊東を取る。
八郎は最後に帳面を閉じた。
「徐々に考えていきましょう」
「一気に全部はできません」
「でも、順番を間違えなければ、九州は動きます」
五郎が苦笑した。
「四歳児が九州を動かすな」
八郎は平然と答えた。
「私は四歳児なので、皆さんに手伝ってもらいます」
「都合のいい時だけ四歳になるな」
いつもの突っ込みが響き、会議はようやく少しだけ柔らかく終わった。




